原題:“The Devil Inside” / 監督:ウィリアム・ブレント・ベル / 脚本:ウィリアム・ブレント・ベル、マシュー・ピーターマン / 製作:マシュー・ピーターマン、モリス・ポールソン / 製作総指揮:ロレンツォ・ディ・ボナヴェンチュラ、スティーヴン・シュナイダー、マーク・ヴァーラディアン、エリク・ハウサム / 撮影監督:ゴンサーロ・アマト / プロダクション・デザイナー:トニー・デミル / 編集:ティモシー・ミルコヴィッチ、ウィリアム・ブレント・ベル / 衣装:テリー・プレスコット / 特殊効果メイク:リー・ハジェンズ / 音楽:ブレット・デター、ベン・ロマンズ / 出演:フェルナンダ・アンドラーデ、サイモン・クォーターマン、エヴァン・ヘルムス、アイオナット・グラマ、スーザン・クロウリー / プロトタイプ製作 / 映像ソフト発売元:Paramount Home Entertainment
2012年アメリカ作品 / 上映時間:1時間23分 / 日本語字幕:?
日本劇場未公開
2012年7月13日映像ソフト日本盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
DVD Videoにて初見(2012/11/09)
[粗筋]
1989年、3名の聖職者を殺害したかどで、マリア・ロッシ(スーザン・クロウリー)は逮捕された。動機について詳しい報道はなされず、事件当時に8歳だったひとり娘イザベラ(フェルナンダ・アンドラーデ)にも事実は告げられなかったが、後年、マリアの夫はイザベラに、事件が“悪魔祓い”のさなかに起きたことを打ち明ける。
2009年、イザベラはドキュメンタリー監督マイケル・シェーファー(アイオナット・グラマ)とともにローマに旅立った。何故かアメリカからはるばるローマの、教皇庁直轄の精神病院に移送されていた母と面会し、“悪魔祓い”と呼ばれるものの背景を知るためである。
長年離ればなれになっていたイザベラの母は、もはや正気を失っていた。直接の面会を認められたが、クスリ漬けになっているマリアは我が娘の素性を把握せず、奇妙なことを取り留めもなく口走る。そのさまは、いわゆる解離性同一障害の症状と見分けがつかなかったが、会話の中で、マリアが知るよしもない、イザベラの過去について仄めかしたことだけは、心の病で説明がつけられなかった。
教皇庁は公式に“悪魔祓い”の取材を認めなかったが、ふたりの神父が撮影の申し出を受け入れた。デイヴィッド・キーン神父(エヴァン・ヘルムス)と、ベン・ローリングス神父(サイモン・クォーターマン)である。彼らは、教皇庁が深入りを禁じた案件について独自に調査を行い、悪魔の餌食となったひとびとの救済に務めていた。
マリアの身に何が起きたのか、そのことを理解するために、イザベラとマイケルはデイヴィッドたちの“悪魔祓い”の儀式に立ち会うことを決める。だがそこでイザベラたちは、思いも寄らない出来事に遭遇することとなった……
[感想]
いわゆるフェイク・ドキュメンタリー・スタイルによる作品である。この手法は普及しすぎていささか飽和状態にあるが、その利点をわきまえていれば、物語にリアリティと、観客を作品に惹きこむ力として有効に働きうる。本篇はその点、かなり成功している部類に属する。
“悪魔祓い”を扱ったフェイク・ドキュメンタリーとしては『ラスト・エクソシズム』が先にリリースされているが、本篇は切り口が異なる。あちらは神父自身がエクソシズムというものの欺瞞を暴く、という趣旨で撮影を始めたものとして描かれるが、本篇は出だしこそどこか似ているが、きっかけとなる事件を10年の過去に据え、“悪魔憑き”であったことを証明しようとする立ち位置をも含め、なるべく公平な立場から取材する、といった趣で組み立てられている。それ故に、“悪魔祓い”というものに対するさまざまな見方が描かれ、おのずとリアリティが増している。
面白いのは、時代の変遷とともに、“悪魔憑き”というものの解釈に教会側が慎重な態度を取り、それ故に有志が独自で“悪魔祓い”を行っている、という描写だ。実際は(教皇庁が悪魔祓いを行っているのか否か、ということ自体も含め)不明だが、言われてみればさもありなん、と感じられる状況で、よけい本篇の出来事に信憑性めいたものを付与している。
ただひとつ残念なのは、登場人物に終始、英語を喋らせてしまったことだ。製作国がアメリカであるにしても、舞台はイタリアである。もっとイタリア語を話す人のほうが多いのが自然であるし、現地に赴いて取材する側でも、自分である程度修得するか、最悪でも通訳を用意する程度の努力はするだろう。世界各地から様々な理由で多くの人が訪れるであろう土地が舞台なので、ある程度は許容できるにしても、さすがにまったくコミュニケーションに不自由しないのは、かなり違和感を覚えた。
しかし、その点を除けば、本篇の生々しさ、ストーリー展開は実に巧い。取材する側のなかに生まれる迷いを汲み上げ、予想もしない状況で忍び寄る“悪魔”の手を感じさせ、そして思わぬところで迎える幕切れ。だがあの展開に必要な概念、要素はきちんとちりばめており、そつがない。
推測する力、違和感を見つける直感がないと、ただただ登場人物が騒いでいるだけに見える――堅実に組み立てられたホラー映画ではしばしば招く誤解を生じる危険がやはり本篇にもあるが、意外なほどに骨のある作品である。……ただ、大スクリーンで観る醍醐味には乏しそうなので、映像ソフトに直行してしまったのは、まあ仕方ない気もする。
関連作品:
『悪霊喰』
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