『少林寺三十六房』

原題:“少林三十六房” / 英題:“The 36th Chanber of Shaolin” / 監督&武術指導:ラウ・カーリョン / 脚本:ニー・クワン / 製作:ランラン・ショウ、モナ・フォン / 撮影監督:アーサー・ウォン / 照明:チェン・フェン / 美術:ジョンソン・ツァオ / 編集:チャン・シンロン、レイ・イムホイ / 録音:ワン・ヨンホワ / 副武術指導:ウィルソン・タン / 音楽:フランキー・チャン / 日本語版主題歌:山﨑アキラ『Shaolin fighter』 / 出演:リュー・チャーフィー、ワン・ユー、ロー・リエ、ラウ・カーウィン、ツイ・シウキョン、ユー・ヤン、フランキー・ウェイフン、ホワ・ロン、チェン・ズーチャ、ユエン・シャオティエン、チャン・ウーロン、ウィルソン・タン、ウー・ハンシェン、リー・ホイサン、ホン・クオックチョイ、チァン・ハン、チョン・ナン / ショウ・ブラザーズ製作 / 初公開時配給:東映 / 映像ソフト発売元:TWIN
1978年香港作品 / 上映時間:1時間56分 / 日本語字幕:?
1983年4月11日日本公開
2017年6月20日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon|傑作カンフー映画 ブルーレイコレクション版:amazon]
Netflix作品ページ : https://www.netflix.com/watch/70062784
傑作カンフー映画 ブルーレイコレクションにて初見(2020/04/25)


[粗筋]
 17世紀中頃の中国、広東。民衆は清朝の圧政に苦しめられていた。台湾に拠点を置く鄭成功を主導者とする漢民族が抵抗を試みているが、清朝は容赦なく弾圧した。
 商人の息子であるリュー・ユウダ(リュー・チャーフィー)は私塾の教師ホー(フランキー・ウェイフン)に感化され、鄭成功による明再興運動に加わるが、清朝のティエン将軍(ロー・リエ)は密書の存在からユウダの関与を知ると、部下のタン・サンヤオ(ウィルソン・タン)らを派遣し、ユウダたちを追いつめる。
 家族を惨殺されたユウダは勉学の無力さを痛感した。暴力で支配するティエン将軍に対抗するには、力が必要となる。そのときユウダは、学友が口にした、少林寺の名を思い出す。少林寺の僧侶は修行の一環として拳法を学んでいる。それこそが民衆を救う力となるはずだ、と考えた。
 途中まで同行した友人を討手に殺され、自らも重傷を負いながらも、善良な民の手助けもあって、ユウダは辛うじて少林寺に辿り着く。
 弟子入りを懇願するユウダに対し、寺の戒律院住持(リー・ホイサン)は、復讐心を宿したユウダは仏法の精神にそぐわない、と言うが、管長(チァン・ハン)は苦難を乗り越え少林寺に辿り着いた忍耐力を評価し、入門を認めた。
 僧名サンダを賜ったユウダはそれから1年、下働きを務めたが、なかなか武術を学べないことに業を煮やし、改めて指導を求める。そうしてサンダは、少林寺に設けられた三十五の房での過酷な修行へと足を踏み入れるのだった――


『少林寺三十六房』日本公開時ポスター……“三節棍房”なんてあったっけ?
『少林寺三十六房』日本公開時ポスター……“三節棍房”なんてあったっけ?


[感想]
 本篇は製作から日本での公開まで5年を要している。この時代はまだブルース・リーからジャッキー・チェン登場までの空白にあり、本篇のように日本で馴染みのない監督・キャストの作品は注目されなかったのかも知れない。しかし1982年にリー・リンチェイ=ジェット・リーの『少林寺』が公開されるとにわかに少林寺ブームが巻き起こり、その流れに乗じてようやく日本に輸入された、という経緯らしい。
 出遅れはしたものの、いまや日本の好事家のあいだでは『少林寺』よりも評価が高く、少林寺ものの代名詞のように扱われている。観てみると成る程、と頷ける、“少林寺”映画のお手本がきっちりと詰めこまれた好篇なのだ。
 ただ、率直に言えば、序盤はそこまで魅力を感じない。圧政を強いる為政者たちと、民衆の困窮ぶり、そしてそれに立ち向かおうとする有志たちの暗躍が描かれるが、いずれもステレオタイプかつ安易なので、わざとらしさや芝居臭さの方が鼻についてしまう。
 しかし、ユウダが少林寺に辿り着き、修行に入ってから俄然面白くなる。修行は数の小さい房から順に学ぶ内容、そのレベルが上がっていく、という趣向だが、それがいちいち映像的にインパクトが強い。見た目から発想しているのが明白なのだが、そのくせ劇中で語られる理屈に妙に説得力がある。
 最初の房はただ食堂に移動する、というだけなのだが、経験の少ない僧は池に浮いた材木の束を踏んで渡らねばならない。落ちてずぶ濡れの状態では食堂に入れてもらえない、という嫌がらせめいた内容だが、軽快な足運びを身につける、という理屈も、その攻略のために師範が提示する手がかりにも妙に説得力があり、それ故にユウダ=サンダが試練を突破する姿に明快なカタルシスがある。
 序盤こそシリアスに展開していたが、この修行の過程では随所にユーモアを交えており、観ていて重苦しさがない。修行そのもののハードさは伝わるが、他の者を手助けしてしまうサンダのお人好しぶりや、しばしば垣間見える師範達の茶目っ気ある振る舞いにしばしば笑いを誘われる。修行に臨む姿勢には真剣さを感じさせつつも決して沈鬱に陥らない、というのはジャッキー・チェン初期、彼が独自路線を模索するうちに辿り着いた『酔拳』や『笑拳』に通じるものがある。本篇のラウ・カーリョン監督はのちにジャッキー・チェンの『酔拳2』でメガフォンを取っているが、こうした共通点ゆえの起用だったのかも知れない――もっとも、実際には映画の理想像が違っていたようで、撮影途中で袂を分かち、実質ジャッキーが監督していた、という話だが。
 様々な修行を経てサンダは下山、募った門下生らとともにティエン将軍に復讐を試みる。ただ、映画全体の構成を俯瞰しても、このくだりにそれほど重きを押していない、という印象だ。尺の短さもそうだが、せっかく個性的な門下生を募ったのにその個性が最終対決でまったくと言っていいほど活かされておらず、シナリオとしての掘り下げも甘い。
 本篇の場合、復讐のくだりはあくまで修行の成果を見届けるためにあるだけ、と捉えるべきだろう。本篇の面白さ、魅力は題名通り、三十五の房での修行にこそある――タイトルと比べてひとつ足りないが、それこそまさに本篇の軸が少林寺での修行にあることの何よりの証左だ。その意味は、最後まで鑑賞していただければ解る――勘が良ければすぐに察しはつくだろうけれど、解り易いからこそ、見届けてきたこと、経験してきたことがしっかりと収まるべき場所に収まる爽快感が味わえる。
 ユニークな修行のインパクト、という意味ではジャッキーの人気を決定づけた『スネーキーモンキー/蛇拳』『ドランクモンキー/酔拳』『クレージーモンキー/笑拳』のほうがより洗練され完成されているが、それよりも早く、ここまで見事に仕上げていた、というのは、やはり評価されて然るべきだろう。なにせ40年以上経ったいま観てもなお充分に面白いし、奇妙な説得力を失っていないのだから。無茶だと解ってても、ちょっと試してみたくなるくらいに。


関連作品:
阿羅漢』/『酔拳2
キル・ビル Vol.1』/『キル・ビル Vol.2』/『ドラゴンゲート 空飛ぶ剣と幻の秘宝』/『スネーキーモンキー/蛇拳』/『ドランクモンキー/酔拳』/『ユン・ピョウinドラ息子カンフー
ジャッキー・チェンの秘龍拳/少林門』/『少林寺木人拳』/『少林寺』/『少林寺2』/『少林サッカー』/『カンフーハッスル』/『少林少女』/『カンフー・パンダ2』/『新少林寺/SHAOLIN

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