原題:“Love” / 監督、脚本、撮影&プロダクション・デザイナー:ウィリアム・ユーバンク / 製作:エンジェルズ&エアウェーヴズ、ダン・フィギュア、ネイト・コルベック、ヴァーテル・スコット / 製作総指揮:トーマス・デロング、マーク・イートン、ジョン・ハンフリー / 共同製作:チェイス・ラドルフ / 美術監督:ケヴィン・メイストロフ / 編集:ブライアン・バーダン、スコット・チェスナット / メイクアップ:ベアトリス・ナイジェラ、ライアン・ブルース / 音楽:エンジェルズ&エアウェーヴズ / 出演:ガンナー・ライト、コーリー・リチャードソン、ブラッドリー・ホーム、ナンシー・ステル / 配給:KLOCKWORX
2011年アメリカ作品 / 上映時間:1時間24分 / 日本語字幕:種市譲二
2013年1月15日日本公開
ヒューマントラストシネマ渋谷にて初見(2013/01/23)
[粗筋]
リー・ミラー大尉(ガンナー・ライト)の任務は、宇宙ステーションに逗留しての保守作業である。現在、彼以外に搭乗員は存在せず、リーは計器のチェックや自身の体調管理など、日々の業務を淡々とこなすだけで、地上の基地との定期的な交信だけが彼の楽しみだった。
だが就寝中、通信機器が何らかのノイズを拾って以降、突如として基地との通信が途絶える。リーは機器を綿密にチェックするが、一向に通信は恢復しなかった。日常業務を継続しながらも焦りと苛立ちは募っていく。そしてあるとき、辛うじて受信した録音メッセージが、リーに宣告をした。
「いま地上に、君を連れ戻すことの出来る人間はいない。本当に済まない」
エイプリル・フールなのか、ストレステストのつもりなのか、罵っても反応はない。脱出する手段もなく、リーは広大な宇宙空間にただひとり、取り残されてしまった……
[感想]
本篇の製作を中心となって手懸けているのは、エンジェルズ&エアウェーヴズというロック・バンドである。私はこのバンドについて知識を持ち合わせず、どういう経緯で本篇に着手したのか、どんな狙いを以て関わっていったのか、はよく解らないが、ロック・バンドが携わったプロジェクト、という認識で鑑賞すると、それだけで腑に落ちたような気分になる作品である。
映像の組み立てが、プロモーション・ヴィデオ風なのだ。
恐らく南北戦争辺りの出来事を描いたと思われるプロローグ的な部分もそうだし、幾度か挿入される、孤独について語るひとびとのインタビュー映像もそうだ。構図の美しさとテンポの良さ、何より音楽との調和が図られているのが窺え、心地好い。
全篇の大半を占める、宇宙ステーションでの様子にしても同様だ。極めて狭い空間を、構図を変え距離を変え、更に主人公の心情を含む状況の変化をも利用して、多彩に見せる。監督が撮影とプロダクション・デザインも兼任しているお陰だろう、こうしたヴィジュアルの完成度は傑出している。
ただ、そうした映像美によって描き出そうとする内容が、いささか抽象的で伝わりづらい。プロローグの戦争映画めいたくだりから突如宇宙ステーションへと舞台が移り、宇宙飛行士の日常を描いている辺りは、決して派手ではないが思わせぶりな語り口で牽引していくが、何かを象徴するインタビュー映像が挿入される辺りから、イメージが散漫としてしまう。どこまで話が進んでも、それ以前に提示された要素をどこに埋め込んでいいのか解らず、戸惑わされるのだ。
最後まで観ると、言わんとすることは何となく解るのだが、それでも過程の描写があまりに抽象的でうまく当て嵌まらず、どうにも腑に落ちない思いを味わう。序盤の明瞭な表現からすると、ストーリー性や、メッセージが伝わりづらいのが気にかかる。
しかし、咀嚼してみると、各々の要素に意図があったことは窺われる。放り出されたかのような結末の意味を、手探りで掘り下げていく、知的な楽しみも充分に備えている。本篇の締め括りに据えられた台詞を代表とする、随所に垣間見える如何にもアーティスト、と思わせる陶酔的な要素が鼻につくかも知れないが、ストレートではなく、感性と知性、双方に訴えかけようとした、趣のあるSF映画である――率直に言えば、似たような先行作品を超えている、とはとうてい言い難い出来映えではあるが、志と美意識は評価していいと思う。
関連作品:
『J・エドガー』
『ソラリス』
『月に囚われた男』
『アポロ18』
コメント
つまらなくて仕方がない。。むかつく!!
http://idol48.seesaa.net/article/386287708.html
まったくもって、意味がわからない映画です。正直、こちらのURLの評価のほうがすっきりします(笑)