原題:“Killing Them Softly” / 原作:ジョージ・V・ヒギンズ(ハヤカワ文庫NV・刊) / 監督&脚本:アンドリュー・ドミニク / 製作:ブラッド・ピット、デデ・ガードナー、アンソニー・カタガス、スティーヴン・シュワルツ、ポーラ・メイ・シュワルツ / 製作総指揮:ミーガン・エリソン、マーク・バタン、ビル・ジョンソン、ジム・セイベル、ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン、アディ・シャンカル、スペンサー・シルナ / 共同製作:サミュエル・アディダ、ヴィクター・アディダ / 撮影監督:グリーグ・フレイザー / プロダクション・デザイナー&衣裳デザイン:パトリシア・ノリス / 編集:ブライアン・A・ケイツ,A.C.E. / キャスティング:フランシーヌ・マイスラー / 出演:ブラッド・ピット、リチャード・ジェンキンス、ジェームズ・ガンドルフィーニ、レイ・リオッタ、スクート・マクネイリー、ベン・メンデルソーン、ヴィンセント・カラトーラ、サム・シェパード / プランBエンタテインメント/チョックストーン・ピクチャーズ製作 / 配給:Presidio
2012年アメリカ作品 / 上映時間:1時間37分 / 日本語字幕:川又勝利 / R15+
2013年4月26日日本公開
公式サイト : http://jackie-cogan.jp/
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2013/04/26)
[粗筋]
2008年末、大統領選挙に騒然となるなか、ギャングの経営するカジノで強盗事件が起きた。
この大胆な犯行に及んだのは、フランキー(スコット・マクネイリー)とラッセル(ベン・メンデルソーン)という2人組である。本来なら、裏カジノを襲撃する、などという暴挙を犯す度胸もない連中だが、彼らに計画を示唆したジョニー(ヴィンセント・カラトーラ)には読みがあった。問題のカジノを経営するマーキー(レイ・リオッタ)は以前、自らの経営するカジノに、雇った男達を襲わせ、客たちからまんまと大金をせしめていた。当時は漠然と疑われただけで済んだが、ほとぼりが冷めたのち、マーキーは自らの計画であったことを白状している。当人は否定しても、マーキーが疑われるのは必然だった。
案の定、組織の上層部が犯行を疑ったのはマーキーだったが、確信を持てず、使者となった男(リチャード・ジェンキンス)はかつてマーキーを取り調べるのに雇った、裏社会の便利屋ディロン(サム・シェパード)にふたたび依頼することを決める。
だが、ディロンは重病で伏せっていた。代わって動いたのは、彼のもとで働くジャッキー・コーガン(ブラッド・ピット)である。一風変わった哲学で仕事をこなす彼が使者にまず提案したのは、意外にも、マーキーを始末することだった……
[感想]
裏社会の物語、しかも主人公が暗殺者、演じているのがビッグ・ネームともなれば、緊張感と興奮の漲るサスペンスや、スタイリッシュなアクション演出を期待したくなる。
だが、主演と製作を兼任しているのがブラッド・ピットとなると、そう単純にいくはずがない。本篇はいわゆるサスペンスにもアクションにも類しない――では何のジャンルに属するかと問われても、ちょっと判断に悩む内容となっている。
環境音に細工を施した、不安を誘う音響の用いられた冒頭はまだサスペンス風だが、そのあとの物語は基本、会話ばかりで進行していく。金に困ったフランキーに対しジョニーが強盗計画を持ちかけ、それにラッセルを加えるか、という点で言い争う。しかし、決して口汚く罵り合うわけではない。フランキーは金の問題と、参加を渋るラッセルのことで苦慮し、ジョニーはその事情を察しながらも、ラッセルが足手まといにならないか悩み、直接面会したときには言動のぶしつけさに憤る。彼らの会話はまるでごく普通の労働者が、雇用者を相手に条件を交渉しているかのようだ。
このトーンは、強盗事件においても、そののちにいよいよタイトル・ロールたるジャッキー・コーガンが登場しても変わらない。強盗のシーンには緊張感が漂い、最初の暗殺のくだりはスローモーションを用いてスタイリッシュに描かれるが、決して派手な展開はしない。マーキーをどう扱うか、で話し合い、呼び出した狙撃手ミッキーの自堕落な姿に処置を相談するさまは、やはりまるで普通の仕事に就くひとびとが、業務内容で打ち合わせているかのようだ。
本篇の基本となる世界観は、ギャングの世界を、常に壮絶な銃撃戦や容赦のない暴力が支配する刺激的な環境として描くのではなく、かなり暴力的で危険な要素を多数孕みながらも、普通のビジネスとさほど変わらないことをしている、という考え方に根ざしているようだ。会話の端々から滲む、それぞれの生活感、死ぬよりは生き延びること、無意味な虚勢よりは体裁をこそ重んじる――任侠やヒロイズムとは無縁の思考が、アクションでもサスペンスでもなく、まして従来のギャング映画とも異なる種類のリアリティを醸している。
だが、そこに更に特徴的な味付けをしているのは、ジャッキー・コーガンという一風変わった暗殺者の美学だ。
本篇の原題は“Killing Them Softly”となっている。作中の台詞にもあるこのタイトルが、そのままコーガンという男の仕事の美学――“ポリシー”のほうが近いか――なのである。殺される直前に命乞いし、苦しむ姿を見たくない、という理由で、コーガンは極力痛みを与えず、苦しみが最小限で済むように配慮する。この彼の態度が、従来の映画にはなかった“暗殺者”の表現を生み出している。犯行に関わっていない可能性が高い、と気づきながらも、マーケットに与えた損害の大きさ故に狙われるのを見越して、いの一番にマーキーを抹殺することを提案し、やがて殺すことは決めているのに、フランキーに対してひたすらに穏やかに接し、その不安を拭うように気遣う。殺しのターゲットに、自分の顔を見知っている者がいるから、という理由で仕事仲間のミッキーを招聘するが、ミッキーの落魄振りに、決して彼を表面的に糾弾することなく、さり気ないかたちで退場できるよう差し向ける。
私の覚えている限り、こんなに変わった振る舞いをする暗殺者は、他にはいない。態度も表情も地に足が着いているが、しかし非常にクールだ。派手なアクションや、大胆すぎる犯罪が横行するような世界観では浮きかねない、この暗殺者像を実現するために、本篇はあえて地味な、生活感のある世界を選んだのではなかろうか。
ドラッグで酩酊状態となったラッセルの視覚を再現する描写や、最初の殺しの際のスローモーションの描写など、趣向を凝らした映像を除けば派手さはない。カメラワークの巧みさも、決して多くの観客を惹きつけるものではないだろう。あのブラッド・ピットが暗殺者を演じる、という一点から華々しい仕上がりを期待していると、間違いなく不満を覚える内容だ。
だが、恐らくそうして期待される類の作品よりも深い味わいが本篇には備わっている。人間味溢れるギャングたちのなかで、地に足の着いた、しかし軽妙な振る舞いで着実に“仕事”をこなす暗殺者。敢えて2008年という時代背景を設定し、誰もが不景気に悩む時代だからこその切実さを演出する一方で、終始気遣いに満ちた言動を続けていたジャッキー・コーガンが最後に牙を剥く瞬間の布石にしているあたりに、唸らされるものがある。
本篇には、製作者としてのブラッド・ピットの、華やかなだけのスターダムには安住しない意欲がはっきりと窺える。その名前だけで客を呼べる自身の名前のインパクトを利用し、そのスター性に見合うキャラクターを完成させながらも、それを活かすための設定や脇役にも心を配る。如何せん、多くの観客が期待する内容でないが故に、ネガティヴな評価をしてしまう可能性も高いが、しかし突き放してしまう前にゆっくり吟味していただきたい。
関連作品:
『マネーボール』
『アルゴ』
『キラー・エリート』
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