演出:岩澤宏樹 / 構成&編集:岩澤宏樹、菊池宣秀 / 製作:張江肇、鈴木ワタル / プロデューサー:宮田生哉、沢田慶 / 演出補:菊池宣秀、川居尚美、阿草裕己、井ノ上謙介、中山美奈、押木大輔 / 音楽&音響効果:ボン、飯田源太郎 / ナレーション:中村義洋 / 日本スカイウェイ&パル企画製作 / 配給:NSW / 映像ソフト発売元:BROADWAY
2013年日本作品 / 上映時間:1時間47分
2013年11月23日公開
2013年12月6日映像ソフト発売 [DVD Video:amazon]
[粗筋]
銅像:投稿者と友人たちは、呑んだ帰りに、子供の銅像が立ち並ぶ公園を訪れる。ジャンケンをしてふざけながらカメラを回していたひとりが、突如動揺も露わに駆け出していった。後日、投稿者のアドレスに届いたのが、この動画のデータであった……
ロールシャッハ:訳あってスタッフから一時離れている菊池が、その投稿者を紹介してきた。彼が大学で所属する映画研究会では、新歓コンパのときに見せる不気味な映像がある、という。OBが廃墟で撮影した、と言われるその映像には、人の顔がひとりだけ映りこんでいるはずだったが、今年の夏に上映したとき、映り込む顔の数が増えていた……
シリーズ監視カメラ・窓の外:最近、呪いのビデオのスタッフルームで怪現象が相次いでいる。部屋のすぐ外、階下に通じる窓の付近で、奇妙な音や人の姿が目撃されていた。そこでスタッフは、窓を写せる位置にカメラを据え、定点観測を試みた。4日後、カメラはしっかりと、あり得ないものを捉えるのだった。
悪戯電話:投稿者の女性は、悪戯電話に悩まされていた。同棲する男性が夜勤のバイトをしているタイミングで鳴り、訳の解らない言葉を延々並べる女の声に、投稿者は恋人の浮気を疑うが、彼は取り合わない。そこで投稿者は、また悪戯電話がかかってくると、カメラを回し、その声と内容を記録した……
[感想]
もともとは、ホラー映画ブームに便乗した企画だったことはタイトルからも明白だ。スタッフ自身、よもやこのシリーズがオリジナルだけで55本に達し、サブシリーズや劇場版まで含めると70本以上にもなる、いわゆる怪奇ドキュメンタリーの先駆けにして金字塔、とまで言われるようなものにまで成長するとは思っていなかったはずだ。しかも立ち上げメンバーのひとりである中村義洋は伊坂幸太郎作品の映画化などで名の通ったヒットメーカーとなり、中期の担当者である松江哲明は独自のドキュメンタリー作品を中心に高く評価され、白石晃士はフェイク・ドキュメンタリーの手法を駆使し、唯一無二の良作を撮り続けている。
その後、児玉和土演出が長い期間続き、この怪奇ドキュメンタリーのシリーズはスタイルを確立、安定して作を重ねる一方、初期には幾度かまとめられた長篇、劇場版はだいぶご無沙汰となっていた。児玉演出はシリーズを退いたが、同氏の補佐として画面にも頻繁に顔を見せ、ファンにとっては馴染み深い顔となった岩澤宏樹が演出に着任しており、いわば児玉演出体制のラインで初めての劇場版、と言っていいのではなかろうか。
しかしこの作品、序盤は決して劇場版らしい気負いを見せずに始まる。いちおう、お約束のテロップは省かれ、作品の来歴について、第1巻の演出にして、未だにナレーターとして携わる中村義洋の声で語られるが、見せ方はほぼいつも通りだ。投稿者への取材シーンを挟み、肝心の投稿映像をお披露目する、という構成である。お馴染みの監視カメラ映像を採り上げたシリーズまで加わっているので、ラインナップだけ眺めると、どうしてこれを劇場版にしようとしたのか? と訝りたくなる。
だが、早い段階から、確かにこれはちょっと違う、と感じ始めるはずだ。以前行方をくらまし、演出補を退いてまで岩澤が連れ戻したものの、修行の名目で現場を離れた菊池が再登場している、のは最近の巻ではよくあることだが、彼の紹介により登場した『ロールシャッハ』の映像の異様さから、今度はスタッフルームで起きている怪異に繋がる。そして、この話題が充分に解決しないうちに、ふたたび何の関係もなさそうな『悪戯電話』の話が始まる。
しかし、この映像の背景を追っていくうちに、繋がりの見えなかったエピソードがにわかにリンクしていく。この驚きと不気味さ、出所のなかなか明瞭にならない感覚は、10年前に発表した劇場版を彷彿とさせるものがある。映像自体もかなり恐ろしいものが集められているし、それぞれの趣向も従来のパターンに似ているようでいて類例の思い浮かばないものばかりだが、背景が醸しだす恐怖は、まさに“怪奇ドキュメンタリー”の真骨頂と言えるものだろう。映像自体よりも、それが成立する背景にこそ面白さがあり、怖さがあるのだ。
加えてこの劇場版が最後に提示する映像と、それをもたらした関係者の訴えは、こんな作品をわざわざ劇場で観ようとするようなひとびとに対して投げかけられる訴えであり、まさに“呪い”でもある。こういうネタがあるからこそ敢えてこの尺にまとめたのであり、敢えて劇場版にしたのだろう。
考えようによってはこれは、シリーズが辿り着くべき究極の内容、と言えるかも知れない。ただただ興味本位でシリーズを観てきたひとに対しては、初めて直接に降りかかるかも知れない呪いを仕掛け、シリーズの趣旨を深く理解して鑑賞し続けているようなひとに対しては、真っ向から覚悟を問うている。
ひとつだけ個人的に意外だったことがある。途中で仕掛けられた“呪い”は、私の目にはそもそもスタッフに対するものであったように思えていた。その予測が外れた締め括りだったが――否、やはりこれは恐らく、スタッフも無縁ではいられるまい。今後もシリーズを続ける意志がある限り、スタッフは自らが採集したこの“呪い”を忘れることは出来ないはずだ。そして、彼らがまさに取り憑かれるが如く映像蒐集とその追跡を続ける限り、覚悟を決めた観客もそれに臨み続けねばならない。
詰まるところ、本篇はとうとう本物の“呪いのビデオ”に到達した、と言えるのだろう。本篇そのものが、怪奇映像を渇望する視聴者とスタッフに対する、根深い呪いなのだ。
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