原題:“Love is a Many-Splendored Thing” / 原作:ハン・スーイン / 監督:ヘンリー・キング / 脚本:ジョン・パトリック / 製作:バディ・アドラー / 撮影監督:レオン・シャムロイ / 美術監督:ジョージ・W・デイヴィス、ライル・R・ウィーラー / 編集:ウィリアム・レイノルズ / 作詞:ポール・フランシス・ウェブスター / 作曲:サミー・フェイン / 音楽:アルフレッド・ニューマン / 出演:ジェニファー・ジョーンズ、ウィリアム・ホールデン、ジョージャ・カートライト、トリン・サッチャー、マーレイ・マシソン、ヴァージニア・グレッグ、リチャード・ルー、フィリップ・アーン、ドナ・マーテル / 配給&映像ソフト発売元:20世紀フォックス
1955年アメリカ作品 / 上映時間:1時間42分 / 日本語字幕:菊地浩司
1955年11月18日日本公開
2010年8月4日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]
第1回新・午前十時の映画祭(2013/04/06〜2014/03/21開催)上映作品
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2014/02/03)
[粗筋]
第二次世界大戦後、英国領香港。イギリス人と中国人のあいだに生まれたハン・スーイン(ジェニファー・ジョーンズ)は、中国本土で夫を亡くしたのち、この地に渡り、研修医として忙しい日々を送っている。医療に専念するあまり、私生活に彩りがない彼女を憂えた同僚のジョン・キース医師(マーレイ・マシソン)は、彼女を病院の理事長が主催するパーティに連れ出した。
ハーフであるためにいささか微妙な扱いを受けるスーインだったが、そんな彼女に臆することなく話しかけてくる男がいた。新聞記者として世界を飛び回っている、というその男、マーク・エリオット(ウィリアム・ホールデン)は、出逢うなりすぐにスーインを食事に誘う。育ちが中国であるスーインは、中国の常識からこの申し出を断るが、「英国人としての君はどう言ってる?」と問われて、苦笑いしながら承諾した。
夫を喪ったときの哀しい体験から、ふたたび恋に落ちることはない、と思っていたスーインだが、マークの紳士的だが積極的なアプローチに、いつしか心惹かれていく。あるとき、妹の身に問題が起きた、と言われ、郷里の重慶に赴いたスーインを、マークは必死の想いで追ってきた。彼女のために、長年別居状態にある妻と正式に離婚する、と言われ、スーインはとうとう彼の伴侶となることを決意するのだが……
[感想]
まさに古典的ロマンス、といった趣である。たとえば『風と共に去りぬ』のような壮大さも、『麗しのサブリナ』のような複雑な紆余曲折もない。出逢いにロマンティックなシチュエーションの羅列、そして非常に形式的に関係の深まりを描いていく。やたらと人間関係が入り乱れ、愛憎の渦巻くような諸作に接してしまったあとだと、シンプルすぎて退屈に感じるかも知れない。
ただその分、ストレートであるからこその率直な感情の揺れ、言葉や表情のやり取りがもたらす心境の変化など、ロマンスならではの描写を混ざり気なしに味わうことが出来る。序盤の押したり引いたり、という駆け引きの合間にちりばめられる、決して嫌みったらしくなく、ほどよくキザな台詞はいずれも印象的だ。昨今のロマンス映画では珍しくなった、引用したくなるフレーズが随所にちりばめられている――実際に使ったら「クサい」と罵られる可能性も大きいだろうけれど。
また、本篇の場合は、第二次大戦後の香港、という当時としては馴染みが薄く、本篇が主に供給されていた欧米圏では珍しい土地を舞台にしていることも、作品にとっては大きなポイントだろう。現地の特異な政治的状況と、必然的にそうした社会情勢に翻弄される立ち位置にあるヒロインの設定。そんな彼女と、生きてきた世界も、働く環境も異なるからこそ惹かれあう男と、それ故にすれちがう運命、といったお約束の要素も、土地に馴染みが薄いからこそ余計に活きてくる。もっとも、ブルース・リーの登場を契機として、香港産の映画はアクションを始まりに随分と世界中に輸出され、今となっては奔放でも馴染みが出来てしまったのだが、“まだその文化に親しんでいない視点で描き出した香港”という、現代では逆にあり得ない目線での描写を愉しむのも一興だろう。本篇は1955年製作だが、冒頭に登場する市街の光景が、20年後の製作になるブルース・リー『燃えよドラゴン』にほとんど似たような佇まいで登場していたり、あいにく咄嗟に具体的な作品は思い出せないが、スーインの友人が住む邸宅の外観はジャッキー・チェンの作品にも出て来ていたはずだ。そのあたりを検証して観るのも一興かも知れない――作品の傾向がまるで異なるので、そんなふうに愉しもうとするのはかなり限られた層になるだろうが。
物語としての紆余曲折は乏しく、いささか平板に感じてしまう仕上がりは、それだけだとただ古び色褪せていくのを待つのみだが、本篇の場合、それらをラストシーンで目映く昇華することで、安易な諸作とは一線を画している。提示された描写、シチュエーションが反復されて演出される昂ぶりは、明るいとは言えない結末を不思議と優しく、そして忘れがたいものに変える。飾りすぎた感のある原題“愛とは光り輝くもの”という一文も、このラストシーンのお陰でしっくり来る――というより、この鮮やかさには、変に抑えたタイトルよりも遥かに相応しいものだろう。
もっとドキドキしたい、であるとか、激しくドラマティックな恋愛を観たい、というひとにはたぶん不満があるし、そういうひとが増えればいずれ忘れられていく作品だろう。だが、このクラシックながらも洗練された味わいは、そう簡単には消えることがないのではなかろうか。
関連作品:
『タワーリング・インフェルノ』/『麗しのサブリナ』/『愛のそよ風』
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