原題:“All is Lost” / 監督&脚本:J・C・チャンダー / 製作:ニール・ドッドソン、アナ・ゲルプ、ジャスティン・ナッピ、テディ・シュワルツマン / 製作総指揮:ロバート・オグデン、グレン・バスナー、ジョシュア・ブラム、ハワード・コーエン、エリック・ダーバロフ、カシアン・エルウェス、コーリー・ムーサ、ザカリー・クイント、ローラ・ライスター、ケヴィン・トゥーレン / 撮影監督:フランキー・デマルコ / 水中撮影:ピーター・ズッカリーニ / プロダクション・デザイナー:ジョン・P・ゴールドスミス / 編集:ピート・ボドロー / 衣装:ヴァン・ブロートン、ラムジー / 音響編集:リチャード・ハイムンズ / 音楽:アレクサンダー・イーバート / 出演:ロバート・レッドフォード / ビフォア・ザ・ドアー・ピクチャーズ/ワシントン・スクエア・フィルムズ製作 / 配給:Pony Canyon
2013年アメリカ作品 / 上映時間:1時間46分 / 日本語字幕:古瀬由起子
2014年3月14日日本公開
公式サイト : http://allislost.jp/
TOHOシネマズシャンテにて初見(2014/04/15)
[粗筋]
スマトラ海峡より3150キロ沖。男(ロバート・レッドフォード)はもはや死を覚悟していた。家族に対して残す手紙に、後悔の念を綴り始める。
災難の始まりは8日前、男が眠っている最中のことだった。どこかで貨物船から落ちたコンテナが船腹に当たり、外壁を突き破っていた。応急処理を施したものの、ラップトップや通信機器が浸水し、あらかた使い物にならなくなってしまう。
船中の装備を用いて穴を塞ぎ、通信機器の修理を試みたり、と必死の抵抗を続けているあいだに、嵐が船を襲った。激しい風雨に加え、高波が船体を翻弄し、幾度も横転を繰り返す。ようやく塞いだばかりの穴はふたたび開き、船内はもはやくつろぐ場所もないほどに水浸しになってしまった。
嵐を抜けたあと、男は遂に船をあとにする。救命ボートを放ち、サバイバル・キットと残り少ない食糧を持ち込んで、船と繋いでいた舫い綱を外した。ほどなく船は、海中へと没していった。
オールもなく、ボートは海流に身を委ねるほかない。四方を囲むのは水平線ばかりで、陸地はまだ気配さえ感じなかった……
[感想]
極度にストイックな内容である。舞台は大海原、実質的にボートの周辺しか描かれない。登場人物はエンドロールに“Our Man”と記されるたったひとりだけ、通信機器も死んでいるので、声のみで参加するキャストさえいない。この極度に制約された条件のもと、100分程度という映画としては標準的な尺を埋めている。
かといって、話がスカスカになっているわけでもない。喋る相手さえいないから台詞もごくごく最小限だが、そのぶん映像で様々な事実、状況を積み重ねているので、視覚からもたらされる情報量が非常に多く、密度は高い。
如何せん、説明する相手がいないので、主人公は黙々と作業をしているから、いったい彼がどんな目的でいまの行動に及んでいるのか解りにくい場面も少なくない。その多くはあとあと理由に気づかされるものだが、きちんと考えながら観ていないとその繋がりを出来ずに終わる可能性もあり、そうすると本篇は退屈なものに感じられるだろう。
だが翻って、与えられる情報を咀嚼しよう、という意欲をもって臨むひとにとって、非常に歯応えのある作品である。船腹に空いてしまった穴を塞ぐために、布を貼り、恐らくは防水加工を施すための薬剤を塗布して対処する。水を被って作動しなくなった通信機器を解体し、基盤などを洗って乾かし、修理を試みる。時折、意味もなくコンテナの上に乗ったり、救命ボートに移ったあとで突然沈みゆく船内に戻ったり、という部分には、彼の迷いや心境の変化の片鱗が窺え、そういう細部でさえ印象に残る。
本篇を観ていると、つくづく「単独での渡航は怖い」と実感する。主人公は恐らく相当に裕福な人物であるか、こうした冒険に出資する者が現れるほどに名の通った人物なのだろう、船の装備はかなり充実しているように見えるが、それでも船体にわずかな穴を開けられただけで、すべてが困難に転じる。成功者ではあるが決して冒険について精通しているわけではないらしい主人公は、終盤でサバイバル・キットに収められた計測器で自分の現在位置を測定するのだが、人力での計測に慣れていないのか、マニュアル片手に終始探り探りで計算していることが窺える。飲料水の確保には、簡単な道具で可能な海水の蒸留法を用いるのだが、そこに辿りつくにも少し時間を要しているほどだ。それは冒頭、少しだけ読み上げられる、主人公が死を覚悟してしたためた手紙の一文にある、彼の自信過剰であったという側面をも象徴しているのかも知れない――いずれにせよ、どれほど装備を整えていても、本当の非常時に助けになるとは限らない。
主人公の命運は、最後の最後まで解らない。題名にあるとおり、まさに“すべてを失う”ところまで辿り着く。その顛末については、ひとそれぞれの感じ方があるだろう――こういう終わり方はフィクションとしてどうなのか、いったいどんな感情をもたらそうとしているのか? と疑問を抱くひともあるに違いない。或いはこの結末を、一種の“恩寵”と捉えることも出来るだろう。ただ本篇はその結末よりも、フィクションと呼ぶには切実すぎる、壮絶な過程にこそ価値がある。観る者は主人公と共に、豊潤でありながら無慈悲な世界における個人の小ささ、無力さを痛感し、“命の営み”を繋いでいく意義を考えざるを得なくなるはずだ。
監督のJ・C・チャンダーは、リーマンショックをモデルにしたドラマ『マージン・コール』で監督デビューし注目された人物である。その次がこうした海洋サヴァイヴァル、というのは意外に思えるが、どちらも我々が当たり前のように行っていることの意味を問いかける、という見方をすれば一貫している。
シンプルな題材を深く探求し、厚みのある内容に仕立てようとする意欲に、若手の育成にも意欲的である名優にして名監督のロバート・レッドフォードが全力で応えた。残念ながらアカデミー賞では一部門の候補になったのみだが、観た者の記憶には深く刻まれる、雄々しい傑作であることは疑いない。
関連作品:
『マージン・コール』
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