原題:“Ghost” / 監督:ジェリー・ザッカー / 脚本:ブルース・ジョエル・ルービン / 製作:リサ・ワインスタイン / 製作総指揮:スティーヴン・チャールズ・ジャフィ / 撮影監督:アダム・グリーンベルグ / 特撮:リチャード・エドランド、インダストリアル・ライト&マジック / プロダクション・デザイナー:ジェーン・マスキー / 編集:ウォルター・マーチ / 衣裳:ルース・モーリイ / キャスティング:ジャネット・ハーシェンソン、ジェーン・ジェンキンス / 音楽:モーリス・ジャール / 出演:パトリック・スウェイジ、デミ・ムーア、ウーピー・ゴールドバーグ、トニー・ゴールドウィン、スーザン・ブレスロウ、マルティーナ・デグナン、リック・エイヴィルス、ヴィンセント・スキャヴェリ / 配給:パラマウント×UIP Japan / 映像ソフト発売元:Paramount Japan
1990年アメリカ作品 / 上映時間:2時間7分 / 日本語字幕:戸田奈津子
1990年9月28日日本公開
2011年4月28日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
第2回新・午前十時の映画祭(2014/04/05〜2015/03/20開催)上映作品
TOHOシネマズ日本橋にて初見(2014/05/28)
[粗筋]
ニューヨークの大手銀行に勤めるサム・ウィート(パトリック・スウェイジ)は、恋人のモーリー・ジェンセン(デミ・ムーア)との同棲生活を始めた。廃屋を改装した新居での暮らしは心地好いが、それと同時にふたりの心境にも変化が生じる。ずっと答をはぐらかしていたが、ここに来てモーリーの気持ちは結婚へと傾いていた。
だが、そんな矢先に悲劇が起きる。観劇からの帰り、ふたりは強盗に襲われた。モーリーは素直に財布を出すように叫んだが、サムは抵抗を図り、やがて逃げ出した強盗を追いかける。行方を見失い、モーリーの元に戻ったサムは、愕然とした。彼女の腕の中に、もうひとりの自分がいた――胸から大量の血を流し、目を見開いた骸となって。
サムは、自分が幽霊になったことを自覚するほかなかった。彼の葬儀を執り行うモーリーや家族、カール(トニー・コールドウィン)ら友人たちの姿を呆然と眺め、恋人の死の悲しみに囚われる恋人を慰めることも出来ない己に不甲斐なさを味わわされる。
天からの迎えを逃がしたサムは為す術なくモーリーを見守るほかなかったが、ほどなくして衝撃的な光景に出くわす。カールに誘われて散歩に出かけていった家に、誰あろう、サムを殺害したあの強盗が侵入してきたのだ。男が何やら物色しているところへモーリーが戻ってきたが、サムの機転で男は逃げ出していく。
あとを追ったサムは、男がウィリー・ロペス(リック・エイヴィルス)という名であることも、その所在も難なく突き止めたが、それを恋人に伝える手段がなかった。途方に暮れるサムの目に留まったのは、奇しくもウィリーの居場所の近くで“霊能力者”の看板を掲げている店だった――
[感想]
公開当時には日本でも一大ブームを巻き起こし、代表的なシーンはあちこちでパロディが作られ、本篇を観ていなくとも馴染みがある、という印象を残しているひともあるのではなかろうか――っていうか私自身がそうだ。映画にはほとんど興味のなかった時分だが、それでもこの作品に親しんだ錯覚に陥っていた。
いまとなっては「錯覚だった」と断言できる。当時のイメージは、一方が死んだ恋人の切ない交流を描いたロマンティックなラヴ・ストーリー、といったものでしかなかったが、いざ本篇を観るとそれは本篇の一部でしかない。本篇は、他の登場人物たちと交流する手段のない立場に置かれた主人公が奮闘するさまを描いたシチュエーション・コメディでもあり、そしてその立ち位置を巧みに駆使した、優れたサスペンスでもある。
序盤で中心的に描かれるサムとモーリーの触れ合いは、非常にストレートな恋愛ドラマ、といった趣である。カールが微妙に近すぎる印象はあれど、ふたりの関係に歪みが生じることもなく、むしろ結婚という幸せな盛り上がりが迫ってくるまでをテンポよく描いている。
だが、サムの死を挟むと、本篇は次第にその表情の多彩さを明らかにしていく。幽霊となったサムが、その制約や自由度に段階的に慣れていく様には既にコメディの側面が窺えるが、早くも現れる殺人犯の行動が生む危険、焦燥の描写は正しいサスペンスの趣だ。しかもその正体、背景はサムに「うかうか死んでられねえぞこりゃ」という心境にさせるもので、否応なくその後の行動、努力を導いているのだ。この手管には、サム共々ハラハラドキドキさせられると同時に唸らされる。
ここにウーピー・ゴールドバーグ演じる霊能力者オダ・メイが絡むと、一気にコメディ色まで帯びていく。サムの置かれた状況はかなり切迫しているが、オダ・メイの身勝手な、しかしとても人間的な反応と合わさると、緊張と興奮を留めながらも滑稽な味わいになる。普通のオカルトものとはちょっと異なるオダ・メイのキャラクター性が、幽霊の冒険という本篇のシチュエーションが持つコメディとしての面白さを引き出しつつも、サスペンスとしての豊かさにもきちんと貢献している。ウーピーの飄々とした演じっぷりも素晴らしいが、そもそもキャラクターが完成され、物語のなかでしっかりと立ち位置を確保しているから面白いのだ。
物語の視点人物が人間ではないからこそ成立する状況が、物語の膨らみや緩急に見事に活かされている。それは本篇に強くまとわりつく“ロマンス”というイメージのなかにおいても同様だ。序盤、幸せな同棲模様が描かれているからこそ、終盤でモーリーがサムの存在を感じたときの感動が引き立っている。ひとつひとつを抽出すれば陳腐な見せ方とも言えるのだが、こうした伏線の用意、細工が優れているから効果を上げている。ただ一風変わったラヴ・ストーリーだから受けたのではなく、その枠組の中で充分にドラマを組み立てているから、多くのひとびとを魅せたのだろう。
前述した通り、本篇の面白さにはウーピー・ゴールドバーグの存在が極めて大きいが、デミ・ムーアの存在はやはり重要だ。肌を露出させていても、性的な魅力は確かに放っているが、それ以上に爽やかさを感じさせる佇まいは、本篇の序盤で描かれるラヴ・シーンを快いものにするのと同時に、肉体を失ったサムが強く駆り立てられる“触れたい”という欲求に説得力を与える。“肉体”の魅力を、いやらしさをあまり意識させず観客に感じさせるモーリーの人物像は、デミ・ムーアという女優が、この当時にまとっていたムードがあってこそ成り立ったのだろう。
確かにロマンスとして優秀な物語だ。しかしそれ以上に、発想を活かすための工夫が丹念に凝らされた作品である。個人的には、序盤のろくろを用いたあの名場面をはじめ、終盤に反復することで活きそうな要素がほったらかしにされていることが少々惜しまれるのだが、これは趣味の問題に過ぎない。VFXの技術や作中描かれている風俗は古びたが、本篇のクオリティの高さと魅力は決してまだ色褪せていない。
……しかし、公開からまだ24年、短いとは言えないが、若い出演者ならまだまだ現役で働いていて何の不思議もない程度の年月である。にも拘わらず、主演のパトリック・スウェイジに、印象的な救急救命室の幽霊を演じたフィル・リーズに、途中でキーマンとなる地下鉄の幽霊に扮したヴィンセント・スキャヴェリ、更には殺人犯を演じたリック・エイヴィルスも亡くなっている。その面々の共通項を思うと、ちょっと薄気味の悪い話である――同じ共通項を持つトニー・ゴールドウィンにはまだまだ元気で活躍していただきたいものだ。
関連作品:
『ラットレース』/『刑事ジョン・ブック/目撃者』
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