原作:松本清張 / 監督:野村芳太郎 / 脚本:橋本忍、山田洋次 / 企画:川鍋兼男 / 製作:橋本忍、佐藤正之、三嶋与四治 / 製作補:杉崎重美 / 撮影:川又昂 / 美術:森田郷平 / 照明:小林松太郎 / 編集:太田和夫 / 録音:山本忠彦 / 音楽:芥川也寸志 / 作曲:菅野光亮 / 監督補:熊谷勲 / 出演:丹波哲郎、森田健作、加藤剛、加藤嘉、春田和秀、島田陽子、佐分利信、山口果林、緒形拳、松山省二、内藤武敏、稲葉義男、穂積隆信、夏純子、松本克平、花澤徳衛、笠智衆、春川ますみ、渥美清、菅井きん、殿山泰司、野村昭子、浜村純 / 配給&映像ソフト発売元:松竹
1974年日本作品 / 上映時間:2時間23分
1974年10月19日日本公開
2014年10月13日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
第2回新・午前十時の映画祭(2014/04/05〜2015/03/20開催)上映作品
初見時期不明(レーザーディスクにて鑑賞)
TOHOシネマズ日本橋にて再鑑賞(2014/07/16)
[粗筋]
6月24日、国鉄蒲田操車場で、男性の屍体が発見された。身許を証明する持ち物が見つからず、六十代というおおよその年齢ぐらいしか判明せずに、捜査は困難を極める。数少ない手懸かりは、被害者と容疑者とみられる若い男が現場からほど近いクラブで交わしていた会話が東北弁だったらしい、という事実と、ふたりの口から出た“カメダ”という固有名詞ぐらいのものだった。
“カメダ”が何者なのか、と捜査員たちが頭を悩ませるなか、警視庁捜査一課の刑事・今西(丹波哲郎)はそれが地名なのではないか、と推理し、所轄の刑事・吉村(森田健作)とともに秋田県にある羽後亀田に赴く。
だが、亀田では怪しげな行動をする者の気配はあっても、事件に結びつく事実は一切見つからなかった。徒手空拳のまま今西たちは東京へと戻り、結局捜査は暗礁に乗り上げ、捜査本部は閉鎖、以降は継続捜査班の手に委ねられる。
被害者の身許が判明したのは、8月に入ってからのことだった。被害者の名は三木謙一(緒形拳)――捜査陣を驚かせたのはその来歴である。現住所は岡山県、かつては島根県で駐在所の巡査を務めていたが、退職後は岡山で雑貨商を営んでおり、東北地方とはまるで接点がない。では、彼が犯人と目される人物と交わしていた言葉は何だったのか?
閃きから今西は、国語研究者を訪ね、決定的な事実を掴んだ。いわゆる東北弁は東北地方固有だが、島根県の一部の地域で、似たような方言が存在しているのだという。三木がかつて駐在していたあたりがまさに該当しており、しかも彼の勤務していた土地は、“亀嵩”だった。
事件の背景は“亀嵩”での駐在時代に隠れている。今西は単独で現地へと赴き、当時を知る人々に聞き込みを重ねる。だが、浮かび上がってくるのは、三木巡査の非の打ち所のない人格者ぶりばかりであり、彼が恨みを買った気配はまったく感じ取れなかった。
それでもきっと何か手懸かりがある、と信じ、村史などの資料を携えて帰京した今西を、思わぬ朗報が出迎えた。既に別の事件の捜査に回されていた吉村がひょんなことから、犯人が身につけていた可能性のあるシャツの切れ端を発見したのである……
[感想]
原作は上下巻に及ぶ大作である。それを、映画としては長めとは言い条、2時間半程度に収めるのは楽な話ではない。もしいま製作過程だったとして、こういう仕様だけが流布したとしたら、「また原作改悪か……」と眉をひそめる向きも多いことだろう。
しかし、映画と小説では、表現の仕方がまるで異なる。文章でなら可能な背景の説明、省略の手法をそのまま映像で再現することは不可能だし、音楽や明確なヴィジュアルで描き出した印象的な光景を文章に変えるのは至難の業だ。長尺で、しかもミステリという情報量の多いジャンルの小説を、そのままの形で映像化しようとして、映画として破綻した代物になるくらいなら、程良くアレンジを施して、映画なりの描き方、面白さを追求したほうがいい。匙加減を誤って原作のファンから総スカンを食ったりする可能性もあるが、文句を言わせない完成度に研ぎ澄まされたものなら、一部に批判は受けても評価はされるし、原作を離れて残る作品になりうる。
本篇はまさに、原作のエッセンスを残しながらも大幅な脚色を施し、そのうえでクオリティにおいて高い評価を得ることに成功した例であろう。
原作とこの映画ではかなり設定や、語る範囲に違いがある。原作では、重要な人物である和賀英了(加藤剛)はシンセサイザーを用いた現代音楽家だが、本篇ではロマン派の影響色濃い、交響曲の作曲家でありピアニストだ。また、本篇においては冒頭の事件とそれを軸にした捜査だけで終始するが、原作では犯人側が警察に対して挑発的な行動に及ぶなど、松本清張のイメージとして定着しているリアリズム重視の社会派、という見方からすると意外なほどクラシックな探偵小説の趣を滲ませた展開を見せる。もちろん原作も面白いが、この映画版では警察との駆け引きの部分を大胆にカットし、その代わり、後半の多くを犯行の背景を描くことに割いた。細部の展開も原作とかなり違っている。
しかしその脚色が、本篇を忘れがたいものにしている。序盤は淡々と、時として音楽さえ用いずに、刑事達の地道な捜査を追っていく。観光地とは異なる、派手さはないが日本独特の風土を感じさせる光景のなか、手懸かりを追って東奔西走する姿は、映画的な滋味を堪能させてくれる。そしてそれらの描写は後半の、犯人が人を殺すに至るまでの“旅路”と共鳴しあい、そのドラマの手応えをいっそう重いものにしているのだ。
原作にももちろんそういう側面はあったが、本篇はその事件のなかに、戦前戦後の日本における風俗と、更には“差別”の歴史までも内包してしまっていることも鮮烈だ。日本のみならず、世界においても近年、あまり積極的に描かれることのない類の“差別”が、本篇では解りやすく、そして強烈に織りこまれている。公開前に受けた抗議により、終盤にテロップが添えられている通り、本篇で扱われるものに対する差別はこの作品が公開された時点で過去のものとなっていたが、しかしかつて間違いなくこうした状況があって、現在に至ってもなお、どこかで似たような悲劇が起きているかも知れない、そういう種類のドラマを、本篇は完璧なかたちで採り入れている。
終盤の描き方は情緒的に過ぎて、評価しにくいという向きもありそうだが、しかし捜査員でさえ抱いた感慨がもたらす終盤の表情の連鎖は、本篇の余韻を深いものにしている。もしミステリとして有り体な締め括りにしていれば、本篇はもっと凡庸な印象になってしまったかも知れない。本篇は原作のテーマを果敢にアレンジし、映画なりに昇華したからこそ、いまなお鮮烈な傑作になったのだ。
関連作品:
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コメント
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