『罪の声』

TOHOシネマズ上野、スクリーン6入口脇に掲示された『罪の声』チラシ。
TOHOシネマズ上野、スクリーン6入口脇に掲示された『罪の声』チラシ。

原作:塩田武士(講談社文庫・刊) / 監督:土井裕泰 / 脚本:野木亜紀子 / 撮影:山本英夫 / 美術:磯見俊裕、露木恵美子 / 照明:小野晃 / 編集:穗垣順之助 / 衣装:宮本まさ江 / 録音:加藤大和 / キャスティング:おおずさわこ / 音楽:佐藤直樹 / 主題歌:Uru『振り子』 / 出演:小栗旬、星野源、松重豊、古舘寛治、宇野祥平、篠原ゆき子、原菜乃華、阿部亮平、尾上寛之、市川実日子、火野正平、宇崎竜童、川口覚、梶芽衣子、阿部純子 / 配給:東宝
2020年日本作品 / 上映時間:2時間22分
2020年10月30日日本公開
公式サイト : https://tsuminokoe.jp/
TOHOシネマズ上野にて初見(2020/10/31)


[粗筋]
 1984年、あるグループによる連続した犯罪が、日本の社会に甚大な影響を及ぼした。
 始まりは子供向け食品のメーカー《ギンガ》の社長が誘拐された事件である。《くら魔てんぐ》を名乗る犯人から多額の身代金を要求するメッセージが届いたが、3日後に社長は自ら脱出した。その後、《くら魔てんぐ》は店頭にある《ギンガ》の製品に青酸カリを仕込む、と脅迫、ふたたび現金を要求するが、指定の場所に犯人は現れなかった。
 その後、異なる食品メーカーに対して同様の脅迫を繰り返すが、いずれも犯人は指定した取引場所に姿を現さない。そのあいだも、《くら魔てんぐ》は警察を嘲笑うかのように、マスコミに宛てて無数の脅迫状を送り、その都度繰り返される騒動によって、脅迫された食品会社は経営危機に陥っていく。
 だが11月、ホープ食品に対しての脅迫で、初めて警察は《くら魔てんぐ》に肉薄する。それまでは騒擾が目的であったかのように映った犯人グループだが、このときだけは繰り返し取引の場所を移し、ある現場では回収に現れたと思しき車両も目撃された。しかし、当時まだ強かった警察の縄張り意識のために連携が取れず、遂に尻尾を掴むことは出来なかった。
 この事件以降、次第に《くら魔てんぐ》からの脅迫状は減少、やがて消息は途絶え、時効を迎えることとなる。経済の混乱と、ただひとり目撃された“狐目の男”の似顔絵が、同時代を生きたひとびとの心に鮮烈な印象を残したのだった。
 それから35年後。大日新聞文化部の記者・阿久津英士(小栗旬)は上司の命令で、急遽社会部の特集記事《深淵の住人》を手懸けるための取材に駆り出された。社会部では、既に時効を迎えている《ギンガ・萬堂事件》の再検証をこの特集の中で実施する企画を立て、以前、社会部に所属していた経験のある阿久津に白羽の矢が立ったのだ。
 最初の誘拐事件で犯人グループが模倣したと思われるオランダの事件を調査するため、はるばるイギリスまで飛ぶも無駄足に終わり、阿久津は元社会部の記者・水島洋介(松重豊)から提供された取材メモを読み直し、そこから犯人の目的が株価の操作にあった可能性に辿り着く。騒動を起こすことで被害を受けた企業の株価を意図的に引き下げ、予め確保しておいた株の“空売り”によって儲けを出すことを狙った犯行、と考えた。
 阿久津は事件に関連する株を先行して押さえていた人物の正体を探るため、人間関係を辿っていく。やがて彼は、関係者のひとりと深い関係にあった女性が営む割烹を訪ねるが、そこで思いもよらない人物に行き着く手懸かりを発見する。
 同じ頃、京都で父が興したオーダースーツの店を継ぎ、細々と営んでいた曽根俊也(星野源)は、自宅の天袋から父の名を記した帽子箱を発見する。その中には、袋に詰めて保管された手帳と、“1984”と記されたカセットテープが入っていた。手帳はすべて英語で記され、俊也には読み解けなかったが、カセットテープには幼いころの彼自身の声が収録されていた。
 しかし、そのたどたどしい言葉遣いに、俊也は慄然とする。何故なら、その音声は、かつて《ギンガ・萬堂事件》において、ホープ食品との取引の過程でかかってきた子供の声そのものだったのだ――


[感想]
 あまりに情報量が多いため、可能な限り要点を押さえて記そうとすると、粗筋が長くなってしまった。上の内容はほんの序盤に過ぎない。それほど本篇は緻密な背景があり、膨大な情報を整理し凝縮して描いている。
 本篇で描かれる事件にはモデルが存在する。80年代の日本に生きていたひとなら確実に記憶しているレベルで強い印象を残した事件であり、本篇は固有名詞や細かな経緯に脚色こそ施しているものの、児童向けの食品に毒物を仕込む、という脅迫に、相前後して発生した誘拐事件、そしてその捜査の過程で浮上した“キツネ眼の男”といった、大枠および象徴的な事実はほぼ実際の事件を踏まえている。それ故に、すべてをゼロから構想しなければいけない完全なフィクションよりも緻密な背景が用意できた――あまりにも人口に膾炙した事件であるが故に、なおさら細部を疎かに出来なかった、という面もあるだろうけれど。
 そうして構築された複雑な事件を、本篇はふたりの語り手の目線から綴っていく。物語の時間軸が事件から既に35年を経過しており、事件の舞台となった場所も大きく変わっているため、必然的に関係者と接触、その証言というかたちで事件の全体像を蘇らせる、という構成を採ることになる。そのドキュメンタリーめいた語り口は、本篇に正統派のミステリを思わせる薫りを添えるとともに、時間の経過まで含めたリアリティを作品に加えている。
 絶妙なのは、そうして事件を綴るふたりの主人公の人物像だ。主人公のひとり、阿久津英士は新聞記者、だがスクープを得るため貪欲に食い下がるようなタイプではない。かつては東京の社会部で重大な事件を担当することもあったが、現在は文化部で“毒にも薬にもならない”記事を手懸けている。その理由は物語の中で追々語られていくが、社会部を去ることになった経緯などからも窺える彼の“人の好さ”が、事件を辿るうえでの視線を優しくしている。
 そのことが明瞭になるのが、もうひとりの主人公・曽根俊也と邂逅する場面だ。曽根は事件の中で使われた声の主であり、知らぬうちに当事者となっていた人物である。自宅からテープを発見するまでその事実を知らなかった曽根は、誰が、なぜ自分の声を使ったのか、それを知るために自身の周囲から辿っていく。長じるまで自分が脅迫に使われた声の主であることを知らず、周囲からそう指摘されたこともない曽根だが、それでも驚きと恐怖を味わい、自身の側から真実を探るうちに、記録として残るもうふたつの脅迫電話に使われた子供たちにも想いを馳せるようになる。
 もし、事件がリアルタイムで進行しているときに、音声を使われたことを知ったならば。そしてその事実が、当人の人生に影響を及ぼしていたなら。スーツのテイラーとして日々、客の立場や思考に気を配ることに慣れていたせいもあるのだろう、曽根は繊細にその“恐ろしさ”を感じ取り、だからこそ他の声の主が何者で、どんな人生を送ったのかを気にかける。そして同時に、ひょんなことから自分に辿り着いた阿久津に対して、過敏に反応する。
 もし阿久津が傍若無人に、真実を暴くことばかりを考える人間であれば、本篇中盤以降の展開はなかっただろう。曽根は初めて会った際の、阿久津のちょっとした行動に彼の善良さを知り、調査への協力を決意する。そして曽根のその確信通り、残るふたりの声の主を探し出す道程において、曽根自身と阿久津の人の好さ、誠実さが奏功していくのだ。
 それにしてもこのふたりの主人公に小栗旬と星野源を配したのが素晴らしい。小栗は二枚目ながらどこか頼りない風情を醸した役柄にうまくハマるが、他方で鋭利さも示すことの出来る俳優でもある。不承不承、取材に赴いていた彼が、当時の警察や記者達も辿り着けなかった領域に踏み込みはじめたとき、そこに熱中せず慎重に振る舞える聡明さと優しさを備えた阿久津の人物像を絶妙に体現している。ミュージシャンとしても活躍する星野源は間違いなくひととは異なるセンスの持ち主だが、俳優としてはいくぶん抜けた印象のある風貌も活かし、凡庸さ、親しみやすさを演じるのが巧い。本篇の語り手は彼らを除いて他にあり得なかった、と思うほどに、ふたりがうまく溶け込んでいる。彼らならば、往時の警察やマスメディアが辿り着けなかった真相、そして事件によって人生を破壊されたひとびとの心を開いていくのも納得できる。
 彼らの姿勢はまた必然的に、事件を通して描かれる様々な使命感や、それぞれの正義との相克をも象徴する。現実の事件もこの通りだったのではないか、と思えるほど説得力のある本篇の真相には、犯人グループの中にも主義主張があってこの犯行に臨んだ者がある、として描かれる。だが、それぞれの立場から事件と対峙し、その影響を目の当たりにしてきたふたりの主人公は、クライマックスにおいて対決した黒幕のひとりに、強烈な一撃を加える。そこまでのドラマにおいて描かれた主人公ふたりの、自らの境遇や職務にかかわる葛藤が、そのままこの犯人グループに対するカウンターになっている、という構図がまた巧妙だ。
 背景が重厚で、なおかつあまりにも辛い日々を過ごした者もある本篇はあまりにも重いが、結末は意外なほどに清々しい。既に起きたことの取り返しはつかないが、少なくとも本篇で主人公たちが追求し続けた事実は確かにひとを救った。彼らのような誠実さが何かを救うことがあるのかも知れない、という希望をもたらしてくれる。
 淡々と証言を辿り、終盤で描かれる回想を除けば、緊迫したくだりはないにも等しい。にも拘わらず、本篇は最後まで緊張感が漲り、観る者の心を逸らさない――それでいて時折、ほんのひと匙のユーモアをまぶして緩急を生む工夫も忘れていない。個人的には、80年代、そして2010年代というふたつの時代を題材とした『砂の器』だ、と思った。それほどの重量感と強度、そして情感を備えた、優れた社会派ミステリである。


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