原題:“Dawn of the Planet of the Apes” / 原作:ピエール・ブール / 監督:マット・リーヴス / キャラクター創造:リック・ジャッファ、アマンダ・シルヴァー / 脚本:マーク・ボンバック、リック・ジャッファ、アマンダ・シルヴァー / 製作:ピーター・チャーニン、ディラン・クラーク、リック・ジャッファ、アマンダ・シルヴァー / 製作総指揮:マーク・ボンバック、トーマス・M・ハメル / 撮影監督:マイケル・セレシン / プロダクション・デザイナー:ジェームズ・チンランド / 編集:ウィリアム・ホイ、スタン・サルファス / 衣装:メリッサ・ブルーニング / キャスティング:デブラ・ザーン / 音楽:マイケル・ジアッチーノ / 出演:アンディ・サーキス、ジェイソン・クラーク、ゲイリー・オールドマン、ケリー・ラッセル、トビー・ケベル、ニック・サーストン、ジュディ・グリア、コディ・スミット=マクフィー、テリー・ノタリー / 配給&映像ソフト発売元:20世紀フォックス
2014年アメリカ作品 / 上映時間:2時間11分 / 日本語字幕:菊地浩司
2014年9月27日日本公開
2015年6月3日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|DVD&ブルーレイセット:amazon|DVD&ブルーレイセット スチールブック仕様:amazon|ブルーレイ3枚組コレクターズ・エディション:amazon|創世記&新世紀セットDVD:amazon|創世記&新世紀セット ブルーレイ:amazon]
公式サイト : http://saruwaku.jp/
[粗筋]
シーザー(アンディ・サーキス)たち、知性を得た猿たちが森に逃れて、10年の時が過ぎた。
彼らは共同体を築き、平穏な暮らしを手に入れていた。協力して狩りを行い、教育を施して知識の共有にも努めている。コパ(トビー・ケベル)のように、人間達から受けた残酷な扱いを忘れていないものもあるが、この2年ほどは人間の姿を目撃することもなく、もはやその生活を脅かすものはない、と考え始めていた。
だが、そんな矢先に、森の中で若い2匹の猿が、人間の集団と遭遇した。怯えた人間の放った銃弾で猿が1匹怪我を負ったが、シーザーは人間の言葉で、集団を追い返す。
人間達はまだ生き延びていた。猿から感染し、蔓延したウイルスによりその数を著しく減らしたが、辛うじて免疫を持っていた者たちが生き残り、集落を築いて細々と暮らしていたのである。しかし、人口が減少してしまったが故にエネルギー源が枯渇し、山中に残っているはずの水力発電所を再稼働させるため、技師のマルコム(ジェイソン・クラーク)たちが森に踏み込んだのだ。
シーザーたちによって追い返されたマルコムから報告を受けた集落は騒然となった。人間の言葉を解する、知性のある猿の群れが、近くにいる。避難したひとびとの指揮を執るドレイファス(ゲイリー・オールドマン)が危険を訴えるなか、シーザー率いる猿たちの大群が集落に現れる。シーザーは、アレクサンダーが忘れていった荷物を放ると、人間の言葉で警告を発した。
「ここ、人間の土地。向こう、猿たちの土地。2度と来るな」
だが、マルコムは諦められなかった。電気が来なければ、混乱を抑えることも出来ず、他の土地にいる生存者に連絡を取ることも出来ない。ドレイファスは3日で戻らなければ猿を皆殺しにする、と宣言して、マルコムを送り出した。
警告を無視した人間たちを警戒する猿たちだったが、武器を携行しない、作業が完了したら出て行く、という誓いをシーザーは信じ、マルコムたちを通す。
しかし、そのシーザーの行動に、コバは懐疑的だった。彼は独自に人里に下りていき、その動向を窺う……。
[感想]
オリジナル『猿の惑星』は文明批判の側面を含む、アイディアの衝撃に優れた名作だった。これを発端とする続篇は、題材を膨らませるように志し、ある程度までは成果を上げていたのも事実だが、概ね“引き延ばし”に過ぎない内容だったことも否めない。初期シリーズ5作、特に『新・猿の惑星』以降の3作は内容よりも、ロディ・マクドウォールという俳優がのちの作品にも影響を与える“知性を持った猿”の演技にこそ価値があったように思う。
独創的ではあったが一般には受け入れられなかった(しかし個人的にはアレはアレで意欲的なリメイクと感じていた)ティム・バートン版『PLANET OF THE APES/猿の惑星』を挟んで、2011年に製作された『創世記』では、恐らく旧シリーズの引き延ばしに過ぎなかった続篇で提示された可能性を膨らませることに着眼する形でリメイクを施した。生物の体毛、皮膚感を緻密に再現することが可能になったCG技術に、その技術を利用したモーション・キャプチャーというシステムのなかで見事な演技のメソッドを確立させたアンディ・サーキスの起用も奏功して同作は好評を博し、これを受けて製作された新シリーズ第2作が本篇、というわけである。
人間と同等の知性を備えた猿の誕生とその蜂起までを描いた前作を受けて、本篇では逃送後に森の中で豊かな共同体を築きつつある猿たちと、対照的に感染によって急速に衰退した人類の姿を描いている。
前作でも、オリジナルにあった人類ひいては知的生命体の驕りに対する批判、というテーマをうまく広げていたが、本篇においてもこの要素は拡張されている。森の中で暮らす猿たちは理想郷を築いているかに見えるが、多くの猿にとって未だ憎悪の対象である人類との接触により、段階的に軋轢が生じていく。他方で、滅亡の危機にさらされた人類の側もまた、なまじ価値観が多様であるが故の疑心や不誠実により、猿たちを恐れながらも自ら災いを引き込んでいく。知性があり、それぞれに拠って立つ視点が異なるからこそ生じる悲劇を、対比しながら巧みに剔出しており絶妙だ。
本篇においても物語を牽引しているのは、最初に知性を得た猿であるシーザーだ。猿たちの世界の平和を保つために、人間に関わることを意識的に避けることを選択したシーザーは、久しぶりの人間との接触に動揺する猿たちをなだめ、ふたたび現れたマルコムたちに妥協を示してでも、接点を最小限にしようとする。だがそれと同時に、シーザーはもともと人間から愛情をもって育てられた過去を持つ猿であったことは、前作を鑑賞していた者なら承知している。その前提があるからこそ、人間と対峙したときの懊悩する表情に説得力が生まれる。前作を鑑賞していなかったとしても、その表現、演技には奥行きが感じられるはずだ。多くの作品でモーション・キャプチャーの撮影を経験し、独自にノウハウを蓄積したアンディ・サーキスの堂々たる演技と、それを存分に活かすVFXが、この芯の通った物語により説得力をもたらしている。
そして、そうした序盤のドラマ性が、中盤以降に展開する緊迫した場面を裏打ちする。人間に対する憎悪を爆発させた猿たちの暴走と、それを止めるために暗躍する者たちの姿がもたらすサスペンス。荒廃した街を所狭しと飛び回る猿たちや、クライマックス、人里のタワーで繰り広げられる決戦と崩壊のくだりは、恐らくほとんどがVFXによって描き出されているはずだが、そんなことを一切感じさせない。積み上げたものの厚みと凄味が、ここには横溢している。
物語はいちおうの決着を見るが、その過程でシーザーやマルコムは様々な傷を負う。苦渋の選択によって切り捨てたものがあまりに多く、最後に見せる表情は悲壮だ。しかしそこに、冒頭から築き上げてきた関係性が僅かな救いの灯を点す。見ようによっては荘厳で、見ようによっては慄然とするそのラストシーンが、しかしある意味で清々しくもあるのだから、この奥行きはただ事ではない。
前作同様、ドラマの構築は比較的シンプルながら、そこにオリジナルの備える批評性の意志をきちんと引き継いでいる。そのうえでヴィジュアルの完成度も格段に高い。オリジナルを受けたシリーズがなし得なかった形を、この新生シリーズは2作続けて実現させているのだ。
前作のルパート・ワイアットから監督を引き継いだマット・リーヴスは、既に製作が予告されている新生シリーズ第3作での続投がアナウンスされている。それも頷ける、優秀な仕上がりのSFドラマである。
関連作品:
『猿の惑星:
『猿の惑星』/『続・猿の惑星』/『新・猿の惑星』/『猿の惑星・征服』/『最後の猿の惑星』/『PLANET OF THE APES/猿の惑星』
『クローバーフィールド/HAKAISHA』/『モールス』/『ウルヴァリン:SAMURAI』/『戦場にかける橋』
『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』/『キング・コング』/『ゼロ・ダーク・サーティ』/『ロボコップ(2014)』/『裏切りのサーカス』/『小さな命が呼ぶとき』/『悪の法則』/『キャリー』/『パラノーマン ブライス・ホローの謎』
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[…] & White/ブラック & ホワイト』/『96時間 レクイエム』/『猿の惑星:新世紀(ライジング)』 […]