『ドラゴン・ブレイド(字幕)』

TOHOシネマズ西新井が入っているアリオ西新井の外壁に掲示されたポスター。

原題:“Dragon Blade 天將雄師” / 監督、脚本&プロダクション・デザイナー:ダニエル・リー / アクション監督:ジャッキー・チェン / 製作:ジャッキー・チェン、スザンナ・ツァン / 製作総指揮:ジャッキー・チェン、ワン・チヨンジュン、レン・チュンルン、チョウ・マオフォイ / 共同製作総指揮:チー・ジェンホン、ウェイ・ジエ、スン・ジョンファイ / 撮影:トニー・チャン / 編集:ヤウ・チーワイ / 衣装:トーマス・チョン / 音楽:ヘンリー・ライ / 出演:ジャッキー・チェンジョン・キューザックエイドリアン・ブロディ、リン・ポン、チェ・シウォン、シャオ・ヤン、ワン・タイリー、ミカ・ウォン、ジョゼフ・リュウ・ウェイト、ロリー・ペスター、ウィリアム・フォン、ユ・スンジュン、サミー・ハン、シャーニー・ヴィンソン / 配給:TWIN

2014年中国、香港合作 / 上映時間:1時間43分 / 日本語字幕:岡田壯平 / PG12

2016年2月12日日本公開

公式サイト : http://dragon-blade.com/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2016/2/13)



[粗筋]

 紀元前50年、前漢時代の中国西域では、近接する様々な部族のあいだに争いが絶えなかった。

 西域警備隊の隊長を務めるフォ・アン(ジャッキー・チェン)は、西域で起きる揉め事に介入し、仲裁を行っている。民族の共存を願ってやまない彼の人柄は部下からの信頼も厚く、部族のなかにも一目置く者が少なくなかった。

 だが、そんな彼を思わぬ災難が見舞う。突如として警備隊に金貨密輸の疑惑がかけられ、地方長官イン(チェ・シウォン)の命により警備隊は全員、雁門関に送られ、懲役を受けることとなった。

 雁門関は警備隊の創設者フォ将軍(ウィリアム・フォン)が築き、西域を守ってきた要衝だが、長年の長い戦を経て傷みが激しい。囚人たちがその再建に酷使されるこの地は、事実上終身刑流刑地のような扱いを受けていた。雁門関を束ねるイエントウ(シャオ・ヤン)は「特別扱いはしない」と宣告し、フォ・アンたち警備隊にも他の囚人と同等の労役を課すのだった。

 過酷な作業が始まって間もなく、西方から砦に、一個師団が迫ってきた。たてがみのある兜を被った騎士団はあからさまに敵意を剥き出しにしていたが、フォ・アンが交渉に赴き、折しも襲いかかってきた砂嵐から避難させ、食糧を与える代わりに、穏便に済ませることを約束させた。

 一団の指揮官であるローマ帝国の将軍ルシウス(ジョン・キューザック)はフォ・アンに感謝し、彼らが現れた事情を語る。ルシウスたち一団が守っているのは、ローマ帝国執政官の幼い次男プブリウス(ジョゼフ・リュウ・ウェイト)である。プブリウスの上にはティベリウス(エイドリアン・ブロディ)という長兄がいるが、その性格は残虐非道、早くにそのことを見抜いたクラッススは予め、同盟国パルティアの女王を証人に、自らの地位をプブリウスに継がせることを決めていたが、これに憤ったティベリウスは父を暗殺、更に甘言を弄してプブリウスの毒薬を与え、光を奪ってしまった。プブリウスを守るため、そしてパルティアの助力を得るために、ルシウスたちはローマを離れたが、長い旅路に彼らはすっかり疲弊しきっていた。

 時を同じくして、砦には新たな難題が突きつけられていた。イン長官は突如として雁門関の修復を15日以内に終えるように命じてきたのだ。もし完成しなければ、囚人全員を処刑する、という。無理難題にイエントウは頭を抱えるが、その話を聞いたルシウスは、協力を申し出てきた。パルティアに使者を送る傍ら、残った面々はローマの技術を提供して、砦の修復に手を貸す、というのである。

 こうして、敵同士であったはずの警備隊と囚人、そしてローマ帝国軍が手を携えて、砦の修復に乗り出した――

[感想]

 冒頭で“実話に基づいて脚色した”という旨の但し書きが添えられて物語は始まる。私も知らなかったのだが、本篇で語られる出来事は、ある程度まで実際の記録や、存在する仮説に基づいているようだ。迂闊に記すとネタばらしになるので、ここでは伏せておく。公開中にこの項をご覧になった方は、鑑賞の際に劇場でパンフレットを購読されることをお勧めする。

 とはいえ、基本的にはフィクションと捉えていいように思う。パンフレットの記載通りなら、史実といえ未確定の部分が多いうえに、本篇の出来事はあまりにロマンティックで夢物語に過ぎる。

 そういう作品になった背景には、製作にアクション監督も請け負ったジャッキー・チェンの意向が強く影響しているように思う。恐らく本篇は、ジャッキーが理想とする作品性、世界観を可能な限り実現しようと試みたのではなかろうか。

 アクション、といえば聞こえはいいが、扱うものの本質は暴力に過ぎない。ジャッキー・チェンはそれを承知しながら、或いはそれ故に、必ず目標や憧れに平和、平穏を据えた物語を意識的に構築している感がある。完全に地位を確立した2000年代以降の作品にその傾向は色濃く、スパイが普通の家庭を持とうとする『ダブル・ミッション』や初期から踏襲する武術の精神を昇華させた『ベスト・キッド』、またジャッキー・チスタイル最後の作品と謳う『ライジング・ドラゴン』にしてからが、あれだけヘヴィな趣向に彩られながらも、敵方に対しても敬意を損なわない精神があった。

 冒頭から揉め事を仲裁することに意欲を傾け、窮地においても安易に争い誰かを傷つけることを望まない。卑劣な振る舞いや、そうするしか道がない場面では戦いを選ぶが、本篇の主人公フォ・アンは一貫して、穏便に済ませることを選ぼうとしている。紆余曲折がありながらも、本篇はその意志がある程度まで報われる内容だ。恐らく史実、パンフレットのなかに記されている情報だけで判断しても、本篇で描かれているような出来事があった、とは少々考えづらい。故に、未確定の部分に、理想の世界を託した、と捉えるべきだろう。

 だから、本篇のアクション、とりわけ終盤の戦闘部分の描写は非常に生々しく痛々しいのだが、全体のトーンは絵空事めいている。それを“嘘くさい”と敬遠する向きもあるかも知れないが、しかし打撃のインパクトや生々しさの表現にこだわりながらも、理想をおろそかにしようとしない姿勢は実にジャッキーらしい。どこまでも現実の醜さや残酷さばかりを摘出して観客を暗い気持ちにさせることよりも、そこに絵空事めいたロマンを挿入して、エンタテインメントを貫くことを選択しているのだ。

 本篇はジャッキー王道の娯楽路線の作品と比べると、痛みの表現に容赦がない。血飛沫が舞う場面も珍しくないし、ティベリウスの悪逆非道な行為には目を背けたくなるひともいるだろう。ただ、その残酷さを明確に描き、主人公たちが追い詰められるからこそ、終盤のカタルシスは強い。悲痛な別れの場面や、一連の出来事が報われるクライマックスの盛り上がりは見事だ。

 残念ながら手放しで褒めにくいのは、語り口が全体にダイジェストっぽく、各シーンの奥行きをうまく活かし切れていないことだ。特に序盤は場面がブツブツと途切れている感があり、随所にジャッキーらしいアクションや演武のくだりが挿入されていなかったら、散漫な印象が強くなったと思われる。

 しかし、この点は物語が佳境に突入すると、さして気にならなくなる。あえてリミッターを外したかのような、重々しく凄惨な戦闘に心を奪われ、序盤でやや急ぎ足ながら積み上げてきたものが最後に押し寄せてくるようなクライマックスの余韻は重くも快い。

 語り口のぎこちなさを認めないわけにはいかないし、もっと巧く細部をコントロールしていれば絵空事っぽさも拭えた、と考えると惜しいのだが、ジャッキーが長年のキャリアと積み重ねた想いを籠めた、熱さの伝わる作品である。

関連作品:

1911』/『ダブル・ミッション』/『ラスト・ソルジャー』/『ベスト・キッド』/『ライジング・ドラゴン』/『ポリス・ストーリー/レジェンド

ブラック・マスク』/『処刑剣 14 BLADES

シャンハイ』/『サード・パーソン』/『墨攻』/『ライズ・オブ・シードラゴン 謎の鉄の爪』/『香港国際警察 NEW POLICE STORY』/『サプライズ

ベン・ハー』/『センチュリオン

コメント

タイトルとURLをコピーしました