東京での通し番号10を区切りにお開きとなった、酒とともに声優の朗読による怪談を嗜むイベント・怪し会。昨年の松江怪喜宴から装いも新たに、怪談に軸足を置きつつも、怪や恐怖に限らず様々な物語の朗読を肴に酒を嗜む(そこだけは変わらない)イベント・酒林堂に変わりました。私も怪し会から引き続き、わざわざこれのために毎年松江に足を運んでるわけです。
ただ、意外と大変なのが、会場までの移動だったりする。私が毎回取っているホテルは、松江城と酒林堂を催す洞光寺のほぼ中間あたりにあって使い勝手はいいのですが、それでも徒歩だとまあまあの距離がある。私みたいにタクシーを呼ぶと「もったいない」と思ってしまうような人間にはなかなかキツい距離です――行きはともかく、帰りにはお酒が入ってますから、バイクはもちろん、ホテルで自転車を借りるのも問題がある。貧乏性としては、大人しく湖を越えて歩いて行くしかない。
しかし、今年の酒林堂八雲は特に趣が違いました。少し早めに会場に着くと、既に大勢が開場を待っている――ほとんどが女性でした。今年はスペシャルゲストの影響かチケットが捌けるのが早い、という情報は入ってました(それでも私は何とか確保しましたけど)が、まさかここまで女性率が高いとは。ちょうど一週間前、『引っ越し大名!』の舞台挨拶生中継の行われている劇場にいたときとおんなじ気分になりました――確実に、ほとんどのお客よりも私のほうがこのイベントの常連なんですけど。
まあ、気にしても始まりません。そもそもイベントが始まってしまえば、場内は真っ暗、蝋燭の灯りだけを頼りに朗読する声優諸氏の演技を味わうだけです。
ちなみに私は初回、7日夜の部と、千秋楽である8日夜の部の2回を鑑賞してきました。
まず最初の演目は、源流である“怪し会”の原作者である木原浩勝氏の著作をもとにした“病の間”。『新耳袋』では禁じ手としていた、“呪い”の絡んでくるエピソードであり、木原氏の採集した話の中でもたぶん特に怖い1本。今回のスペシャルゲストである吉野裕行氏が体験者として語り、舞台となる家の出身者を、“怪し会”からずっと座長・茶風林氏の補佐を務める鶴岡聡氏が演じ、このふたりが中心となって恐ろしい出来事を綴っていく。このイベントは演技もさることながら、音響の演出もポイントだと思います。個人的に、あんまり煽るような音の使い方は好みではないんですが、この作品は非常に効果的な使い方をしていたと思います。本当に、語り手と同じものを目撃しているかのような怖さに囚われました。
2本目は小泉八雲の再話をもとにした“破約”。ある侍が、病気で伏せる妻の今際の際に、決して後添えは迎えない、と誓ったものの、親戚に諭されて若い後妻を娶る。その後妻に、先妻の亡霊が襲いかかる、という話。ある意味では怪談の定番と言っていい内容です。今年の酒林堂は女性が2人しかいないため、先妻は“怪し会”からお馴染みの伊藤美紀氏、後妻を中原麻衣氏が演じてましたが、私の記憶では侍、語り手、後妻の護衛をする家来ふたりはそれぞれ担当が変わっていた。確か7日の夜の部では侍を鶴岡聡氏、語り手を吉野裕行氏が担当していた、と記憶してるんですが、千秋楽は鶴岡氏が語り手となり、侍を山口諒太郞氏が演じていた。
今回が初参加、キャリアとしてもまだこれから、という方の大抜擢に等しいこの役回りにはどうやら理由がある。実は山口氏、松江市の出身なんだそうです。会場からもほど近い場所で育っており、“怪し会”の時代には客として参加していた。それもきっかけのひとつとなったようで声優を志した、というまさに“怪し会”“酒林堂”の寵児みたいなひとなのです。千秋楽では愛する妻を失い、やがてはその亡霊と戦わざるを得なくなる侍を堂々と演じ、錦を飾っております。中身自体は、現代的な平等の感覚と、侍の時代らしいしきたりとがせめぎ合う中での悲劇であり、それ故に非常に物悲しい話なのですが、そういった事情を知ってから振り返ると、山口氏にとっては誇らしいひと幕だったのではないでしょーか。
3本目は、今回のキーヴィジュアルのもとにもなっている“ちんちん小袴”。題名だけ聞くと滑稽ですが、こちらも小泉八雲の再話を代表する1篇に基づいている。あまりに溺愛されて育ったがゆえに身の回りの世話を自分でしたことがなく、無精者になってしまった姫君が嫁いだ先で、夜ごと“ちんちん小袴”を名乗る小さな侍の集団にからかわれる、という話。八雲がラフカディオ・ハーンであった幼少時、アイルランドにて親しんだ妖精譚とも似通っているため、恐らく八雲にとっても愛着のある話だったはず。
こちらの中心人物である姫君は中原麻衣氏。冒頭の幼子から、愛らしいけどちょっとひと癖ある乙女への変化を短い中でしっかり演じ分けているのがさすが。嫁ぎ先の武士は、確か両日とも吉野裕行氏……のはず。嗚呼、ちゃんとメモを取っておけば良かった。
状況的にはどこか滑稽だけど、当事者の姫君にとっては怖い。そんな二面性を、基本的に真面目くさって描くことでうまく表現している。夫の武士が妙に格好いいのもいい味出してます。このひと、朝観た『スター☆トゥインクルプリキュア』でタコの宇宙人やってるんだよな、と思いつつ。
演者が退席し、最後に茶風林氏が“ちんちん小袴”のお囃子を呟きながら立ち去ったあとで本堂の照明が点り、ここからはお清めの時間です。企画・演出の茶風林氏いわく、これこそがこのイベントの本題だったりする。朗読はあくまでお酒のツマ。
主役である今回のお酒は、安来市にある吉田酒造の製造する月山。そもそも松江城とその城下町は月山富田城の資材や寺社を移して構築したものであり、それ故に松江藩では特に優れた酒に“月山”の銘を与えていたそうです。その伝統に恥じないものを、と作り続けられている銘柄なんだとか。
和服に着替えた茶風林氏の乾杯の音頭のあと、吉田酒造を訪ねたさいの様子を、写真と共に紹介。心なしか、以前よりも松江と周辺の観光地を推す場面が増えた気がします。やっぱり松江観光大使だからかしら。
お清めの場を締めるのは、こちらも恒例の大抽選会。初日のほうは伊藤美紀氏と、当然のようにスペシャルゲストの吉野裕行氏が登場して抽選を行ったのですが、千秋楽では、吉野氏を呼び込む茶風林氏の声に、戸惑いつつ現れたのが山口氏。前述した彼の背景についての説明もあったので、吉野氏がいたずらで先に送り込んだようです。当の吉野氏は客席側の奥に紛れ込んでました。結局、改めて呼び出されて、千秋楽でも吉野氏が抽選に加わることになりましたが。なお、言うまでもなく私はどちらも当たらなかった。
お酒のおかわりや物販、それからお手洗いのための休憩を挟み、いよいよ後半、そして最後の演目です。作品は酒林堂オリジナル“美保神社とえびす様”。いわゆる“国譲り”の中心にいた事代主神のエピソードを、昨年の不昧公の話と同様、茶風林氏が語り手となっての講談風の組み立てで描いています。
前半が極度に完成された怪談だったのに対し、こちらは講談のかたちを借りつつ、親しみやすいシチュエーションや言葉遣いにアレンジ、ユーモラスに綴っている。おおまかにふたつのエピソードを軸に構成されていて、どちらも表面的には笑えるけれど、それなりに意味があったり理由があったり、と解釈し、それが地元独特の風習を生み、いまなお愛される神様にしている、と描いている。なにせ演じてるのが吉野氏なんで、全般に私の頭の中では恵比寿様の格好をしたミャウ*1のイメージだったんですけど。
この大トリの1本でもそれぞれ固定の役を演じた女性陣ふたりが印象的でしたが、しかし個人的にいちばん鮮烈だったのは別のところ。この話の中で、使者として遣わされながら交渉をしない神を急かす雉を、確か初回は岡田康平氏が演じていたはずですが、千秋楽は“怪し会”からの番頭的存在である肘岡拓朗氏が演じていた。その結果、劇中で突如“雉岡”呼ばわりされ、最後の挨拶では鶴岡氏にまで“雉岡拓朗”と呼ばれてました。……引きずりそうだな。そういや、今回配布された酒林堂のパンフレットには、この秋に東京で催される酒林堂の告知が入っていたのですが、副題は“鶴”でした。そういうことか。そういうことなんか。
千秋楽の最後に急遽プロデューサーに頼まれたという洞光寺の住職が登場し話をされたのですが、そこで住職も仰言っていたとおり、たぶん内容的にいちばんバランスが取れていた回だった、と思います。木原氏の怪談の中でも特に忌まわしい“病の間”に小泉八雲のエッセンスが詰まった2作品、そこに酒林堂で初めて導入した講談スタイルは2作目にして芸風が固まってきた感がある。前述の通り、今年はいよいよ東京公演も始まるので、これからの展開が楽しみです。
……それにしても今年は疲れた。もともと脚の不調もあって、前よりも歩くときの負荷が大きいというのに、構わず歩き回った結果、iPhoneのアクティビティの記録によれば、金曜日は7.73km、土曜日は16.22kmも歩いていた。
日曜日にそのことに気づいた途端、ど――――っと疲れが噴き出した。酒林堂の会場までは何とか歩いて辿り着きましたが、その上にお酒も入った終演後、歩くのがしんどくなって、とうとうタクシーを呼んでしまいました。高くついたけど、今年は仕方ない。
コメント