原題:“Martyrs” / 監督・脚本:パスカル・ロジエ / 製作:リシャール・グランピエール、シモン・トロチエ / 製作総指揮:フレデリック・ドニジオン、マルセル・ジロー / 撮影監督:ステファーヌ・マルタン、ナタリー・モリアコフ=ヴィゾツキー / 美術:ジーン=アンドレ・キャリア / 編集:セバスチャン・プランジェレ / 特殊メイク:ブノワ・レスタン / 音楽:アレックス・コルテス、ウィリー・コルテス / 出演:ミレーヌ・ジャンパノイ、マルジャーナ・アラウィ、カトリーヌ・ベジャン / 配給:KING RECORDS
2007年フランス、カナダ合作 / 上映時間:1時間40分 / 日本語字幕:LVTパリ
2009年3月13日フランス映画祭2009にて日本初公開
2009年8月29日日本公開
公式サイト : http://www.kingrecords.co.jp/martyrs/
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2009/03/13)
[粗筋]
廃工場から下着姿で、絶叫しながら逃走する少女がひとり。保護した警察は、彼女――リュシーが過酷な虐待を受けていることを確認したが、工場に踏み込んだときには既に犯人たちの姿はなく、少女もどんな虐待を受けたのか詳細を語らなかったために、実態も犯人の目的も不明のまま、ただ少女の心に深い傷を残したまま、月日は過ぎていった。
……それから15年後。
和やかな家庭に、成長したリュシー(ミレーヌ・ジャンパノイ)が突如踏み込み、家族全員にショットガンの銃弾を撃ち込んだ。公衆電話のそばで彼女からの連絡を待っていたアンナ(マルジャーナ・アラウィ)は、最悪の事態に言葉を失いながらも、武器や治療道具を携えて、リュシーのもとへと向かう。
アンナは幼い頃、リュシーの心の支えになるべく彼女のルームメイトになったのだが、けっきょくリュシーを蝕む“過去の傷”を癒すことは出来なかったのだ。リュシーが一線を踏み越えてしまったことを嘆きながらも、アンナは最後まで友人の支えになろうとする。
しかし、問題の家に着いてみると、リュシーは身体に傷を負い、怯えきっていた。まだ、この家には何かが潜んでいるリュシーは訴える。アンナはゆっくりと、酸鼻を極める屋内に踏み込んでいった。――そこで待ち受ける恐怖の正体も知らずに。
[感想]
本篇はフランスで公開される際、最初は“R-18”という、通常はポルノ映画でしかあり得ないレーティングを設定されたことで物議を醸したそうだ。監督自らが文化大臣に直談判した結果、どうにか“R-16”に落ち着いたとのことだが、いずれにしても極めてセンセーショナルな内容であったことは窺い知れる。
なるほど、確かに本篇は、予備知識なしで観れば観るほど衝撃的な代物だろう。私はフランス映画祭の1本として鑑賞する際、ある程度情報を得ていたし、直前のトークイベントにてさんざん脅かされていたので、あまり驚きはしなかったが、本国では気絶する人もいた、というのも頷ける。この手のものに慣れている私にとっては、決して独創的でも凶悪とも思えぬものばかりだが、畳みかけるように、しかも痛みが充分に伝わるように描かれた暴力の数々にはさすがに身が強張る思いがした。
しかし、直前のトークイベントにおいて監督が繰り返し語っていた通り、本篇において暴力は重要な役割を果たしている。その痛みが薄っぺらだったり虚構じみていては、意味を為さないのだ。必然性に基づいて、決して容赦せずに描いているからこそ、本篇は衝撃を強めている。
凶暴さに目を背けたくなる人も多いだろうが、だが暴力を嫌悪しながらも、画面に目を釘付けにされてしまう人もいるはずだ。本篇は暴力のみで観客の関心を惹こうとしているのではなく、謎の積み重ねと、終始途切れぬ緊張感によって、高いテンションと牽引力とを持続している。
そもそも本篇は発端である、10歳の少女が何故監禁されていたのか、いったいどんな暴力を受けていたのか、その詳細がまったく明かされないまま、突然15年後の復讐劇に繋がっていく。過去の出来事について言及がないために、猜疑心の強い人ならば確実にここである疑いを抱くはずだ。そうでない人であっても、ひととおりリュシーが復讐を果たしたあとに現れる“敵”の正体に興味を惹かれ、その状況で繰り返される異様な展開に、頭の中に飛び交う“?”に翻弄されるだろう。謎を温存し、それをサスペンスとして活かす技が長けており、先読みがまるで出来ない。一般的なホラー映画にあるような「来るぞ来るぞ」というあの予感すら裏切る作りは、恐怖やおぞましさとともに、「とんでもないものを目の当たりにしている」という奇妙な昂揚感すら覚えるだろう。
しかも本篇は、中盤以降でまったく思いがけない展開を見せる。あまりに密度の濃い展開ゆえに、そろそろ決着ではないか、と感じられる成り行きに一瞬油断を見せると、更に先が待ち構えているのだ。この流れを事前に予測できる人はそうそういないだろう。それでいて必然的であり、偏執的なほど無駄のない組み立てに、際限のない凶暴な描写に打ちのめされながら同時に唸らされてしまう。
そして、その果てに待ち受ける結末が更に強烈なのである。執拗なほどの暴力描写があってこそ成り立つ締め括りは、ある意味非現実的な領域に達しているのに頷かされ、そして頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を受ける。
ところどころ、ここまでする必要はあったのか、まだ説明が足りていない、と感じる描写もあるにはあるが、しかしその細かな穴が、逆に世界観の暗い深淵を覗かせているように感じられるのも見事だ。無駄に見える、過剰に思える部分でさえ、無駄には働いていない――恐らくはすべてが計算通りではなかっただろうが、そういうところまで計算に感じられるのは、注ぎ込まれた情熱が並大抵でないが故に違いない。
耽溺しているかのように積み重ねられる暴力が決して興味本位に留まらず、おぞましい描写がすべて結末の激しい重量に寄与している。如何せん、本当に見ていて痛みが伝わってくるような作品であるし、本国で気絶する観客がいた、というのも大袈裟ではない、と思えるだけに、積極的に薦めることは出来ないが――度胸があるなら、或いは覚悟を決めることが出来たなら、挑戦してみる価値のある傑作である。それでも嫌悪感を抱く可能性は否定しないが、痺れるような、唯一無二の感動を味わえるかも知れない。
ちなみに、私が鑑賞した時点では時期も形態も決定していなかったようだが、何らかの形で日本においてリリースされるのは間違いないらしい。上の感想を読んだあとで興味を惹かれた方は、KING REORDS、或いはホラー秘宝のサイトあたりをチェックしていただきたい。
コメント
[…] この作品を知ったことで、“映画”という媒体で描かれるミステリに初めて明確な関心を持った。 […]