監督・脚本:宮藤官九郎 / アニメーション監督:西見祥示郎 / プロデューサー:岡田真、服部紹男 / エグゼクティヴ・プロデューサー:黒澤満 / アソシエイト・プロデューサー:長坂まき子 / 撮影監督:田中一成 / 照明:吉角荘介 / 美術:小泉博康 / 衣装:伊賀大介 / 編集:掛須秀一 / 音楽:向井秀徳 / メインテーマ:銀杏BOYZ『ニューヨーク・マラソン』 / 出演:宮崎あおい、佐藤浩市、木村祐一、勝地涼、田口トモロヲ、三宅弘城、ユースケ・サンタマリア、ピエール瀧、峯田和伸(銀杏BOYZ)、浪岡一喜、佐藤智仁、石田法嗣、田辺誠一、哀川翔、烏丸せつこ、中村敦夫 / 配給:東映
2008年日本作品 / 上映時間:2時間5分
2009年02月14日日本公開
公式サイト : http://www.meriken-movie.jp/
TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/02/28)
[粗筋]
レコード会社の新人発掘部に勤める契約社員の栗田かんな(宮崎あおい)は窮地に立たされていた。この仕事を始めて2年が経つのに未だひと組も新人を発掘できておらず、このままでは実家の回転寿司屋に戻らねばならない。
そんなとき、かんなはとうとう琴線に触れるものを発見した。mixiにアップされていた、ライヴの映像である。楽器は巧くない、勢いまかせ、けれど破天荒な魅力を感じさせる映像。癒し系のサウンドを中心にリリースしている会社には不似合いな選択かも、という危惧は、意外にも社長(ユースケ・サンタマリア)がもともとパンク・バンドを組んでいたために、考慮する必要はなくなった。
メンバーのひとりの連絡先を知ると、かんなはさっそく接触を試みる。だがそこにいたのは、ライヴ映像の活き活きとした姿とは似てもつかない、酒ででろでろに潰れた中年男であった。しかしその男こそ間違いなく、かんなが発見したパンク・バンド“少年メリケンサック”のベース担当アキオ(佐藤浩市)だという。
実はくだんの映像は25年も前の、しかも解散ライヴの模様を収めたものだった。蒼白になるかんなだったが時既に遅し、例の映像に惚れ込み、パンク・バンドを売り出すつもりで乗り気になっている社長は、かんなが契約を取り付けるのを待たず、ライヴの様子を会社のホームページに掲載、グッズの準備に全国ツアーの予定まで立てつつある。
困り果てるかんなに、アキオは再結成してやってもいい、と上から目線で言い放つと、条件としてオリジナル・メンバーの招集を提示した。どのみちこの計画が潰れれば、かんなの契約が打ち切られるのも目に見えている。かんなは渋々の体で、アキオの郷里を訪ねた。いまは家業を手伝っているアキオの弟が当時ギターを担当していたためだが、当のハルオ(木村祐一)はもろに田舎のおじさんと化していて、当時の面影はほとんどない。しかもハルオはアキオに対して相当な怨みを抱いているようで、もの凄い剣幕で追い払われてしまった。
残る二人はアキオの呼びかけですぐにリハーサル・スタジオに現れたが、血の気の多かったドラムス担当ヤング(三宅弘城)は気のいい大工になっており、ヴォーカル担当のジミー(田口トモロヲ)に至っては、事故の影響で言語障害を起こしろくすっぽ意思の疎通もままならない。
幸いに、ハルオが翻意して参加を表明してくれたためにメンバーだけは揃ったが、もともと楽器が達者でなかった彼らの演奏は耳をふさぎたくなる代物。果たしてこれでツアーなんか出来るのか。そしてかんなの首は繋がるのか……?
[感想]
テンポのいいやり取りと弾けたユーモア、独特の語り口によって人気を博する脚本家・宮藤官九郎の、監督する長篇映画第2作である。
前作『真夜中の弥次さん喜多さん』はしりあがり寿による原作の作品世界を反映して、時代劇とも現代劇ともつかないモチーフの扱いに、現実と幻想とを軽々と行き来するシュールな表現のため、ユーモアの鏤め方こそ監督の個性が見られるが、過剰に人を選ぶ内容になっていたことは否めない。
それに対し、原作なしの完全オリジナルである本篇は、かなり解り易く親しみやすい作りとなっている。ギャグの嗜好や人物造型に個性を滲ませつつも、現実離れしすぎたモチーフがなく、かといって現実に寄り添いすぎることもなく、程よい非現実感を備えた物語が心地好い仕上がりだ。
題材となっているパンク・バンドというものは、劇団仲間らと結成した“グループ魂”というバンドの形で音楽活動も行っている宮藤監督にとって、これまで脚本作品で扱ったことがないことが意外に思えるほど馴染み深いものである。それだけに、こうした音楽を扱った映画では頻繁に聞くフレーズに実感が備わっており、その意味でも地に足が着いている。
音楽を題材にした邦画といえば、2008年夏に話題となった『デトロイト・メタル・シティ』があるが、あの作品と本篇とを比較してみると、意識の違いが歴然としていて面白い。
『デトロイト〜』は主人公がオシャレな音楽を志しながら、デスメタルで支持されている現状に悩む姿を表現することを優先しているため、彼が演奏する音楽のリアリティについては拘っていない。駄目な出来とあしらわれているオシャレな音楽も完成度は高かったし、メインとなるデスメタルは一般の観客にも親しみやすいよう洗練し、作中のバンド編成よりも多くの楽器を用いて作られている。
それに対して本篇は、楽器の編成はバンドの人数通りだし、音楽の仕上がり自体も作中の設定に添っている。ダサい音楽はとことんダサいし、作中「特に上手くはない」と言われている少年メリケンサックの演奏も実際格別上手くはない。だが、昨今の「商業主義に陥った」と揶揄されるスマートなパンクとは一線を画し、勢いと破天荒さがある。まさにこれが本来のパンクなのだ、と思える音楽をきちんと表現しているのだ。
どちらが正しい、というものではなく、これはあくまで作品の方向性の違いだろう。主人公の二面性を強調したかった『デトロイト〜』に対し、本篇は“No Future”な生き様を体現する人々の滑稽さと哀愁、紙一重のところにある格好良さを表現しようとしている。そのためには、聴きやすさや音楽としての完成度には拘泥しなかった、と見るべきだろう。
首尾の一貫した意識のために、そうして完成度には疑問をつけたくなる一方で、徹底しているからこその独特な魅力に満ちあふれている。メインとなる少年メリケンサックが演奏するメインテーマ『ニューヨーク・マラソン』の趣向に富んだ曲の構成、田辺誠一演じるTELYAの微妙なテクノ・ポップの雰囲気、少年メリケンサック結成のきっかけとなったアイドルバンド・少年アラモードの徹底されたダサさなど、意識した不出来さはいったんハマると虜になってしまいそうだ。
土台をしっかりと組んでいるから、伏線も利用して構築されたギャグもきちんと活きている。コメディについて詳しく語ると興を醒ましてしまうので詳述はしないが、個人的にいちばん気に入ったのはジミーの変化である。終わってから振り返り、どの辺りにどんなきっかけがあったのか想像してみると更に愉しい。
だが何より本篇を支えているのは、2008年に大河ドラマ『篤姫』で個性的な女性の生涯を演じきった宮崎あおいの、対照的なほどに弾けた演技である。序盤の脳天気さ、彼氏との会話の馬鹿さ加減、中年バンドの面々の予想を超えた言動に苛立ち感情を爆発させ、時には叛乱さえ起こす姿は非常に活き活きしている。どこかまとまりに欠けるバンドメンバーを、結果的に束ねる役割も担うキャラクターに説得力をも付与しており、女優としての傑出した才能を感じさせる。
如何せん、伏線を張っているとはいえ決して噛めば噛むほど味わいの出る類の笑いではないし、あまりにリアルな音楽の作りにハマることが出来ないと、最初だけは楽しめるが二度三度と観る気にはなれないだろう。だがそれでも、まず1回は快く笑うことの出来る、破天荒だが端整なコメディ映画であることは確かだ。
コメント