原題:“The Great Escape” / 原作:ポール・ブリックヒル / 監督&製作:ジョン・スタージェス / 脚本:ジェームズ・クラヴェル、W・R・バーネット / 撮影監督:ダニエル・ファップ / 美術監督:フェルナンド・キャレール / 装飾:カート・リップバーガー / 編集:フェリス・ウェブスター / 音楽:エルマー・バーンスタイン / 出演:スティーヴ・マックイーン、ジェームズ・ガーナー、リチャード・アッテンボロー、ジェームズ・コバーン、チャールズ・ブロンソン、デヴィッド・マッカラム、ハンネス・メッセマー、ドナルド・プレザンス、トム・アダムス、ジェームズ・ドナルド、ジョン・レイトン、ゴードン・ジャクソン、ナイジェル・ストック、アンガス・レニー、ロバート・グラフ、ジャド・テイラー / 配給:日本ユナイテッド・アーティスツ / 映像ソフト発売元:20世紀フォックス ホーム エンターテイメント
1963年アメリカ作品 / 上映時間:2時間48分 / 日本語字幕:佐藤一公
1963年8月3日日本公開
2010年8月4日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]
第1回午前十時の映画祭(2010/02/06〜2011/01/21開催)上映作品
第2回午前十時の映画祭(2011/02/05〜2012/01/20開催)《Series1 赤の50本》上映作品
TOHOシネマズみゆき座にて初見(2011/10/20)
[粗筋]
第二次世界大戦下のドイツ。各地で繰り返し脱走を図っていた捕虜に手を焼いたドイツ政府は、問題のある者たちを一堂に集めて監視する策を取った。
捕虜たちのキーマンは、イギリス軍のロジャー・バートレット(リチャード・アッテンボロー)、通称“ビッグX”である。脱走の手引をし、捕虜たちの指揮を執っていた彼にドイツ軍は警戒の目を光らせていたが、脱出することよりも後方からドイツ軍を攪乱し連合軍を支援する、ということに意義を見出していたロジャーは、この脱出困難な収容所から250人規模で脱走する計画を練り始めた。
何度もトンネル掘りに挑戦したダニー(チャールズ・ブロンソン)や偽造の技を磨き上げたコリン(ドナルド・プレザンス)、様々な手段を駆使してあり得ない物資の調達も行うヘンドリー(ジェームズ・ガーナー)ら、それぞれ各個で脱走計画を目論む中で技術を磨いてきた者たちが結集し、時間をかけ、着々と計画を進めていく。
だが、そんなロジャーたちとは距離を置く者もいた。アメリカ軍大尉ヒルツ(スティーヴ・マックイーン)は監視の隙を衝いた大胆不敵な計画を企て、同調したアイヴス(アンガス・レニー)とともに脱出を図る。
精神的にタフなヒルツは何度捕まっても平然と独房に送られ、壁相手にキャッチボールを繰り返して耐え抜いたが、しかしアイヴスの方は間もなく限界が訪れてしまう。ヒルツはアイヴスをロジャーに託し、自分もトンネル掘りに手を貸すことにした。
当初、3本のトンネルを並行して掘り進めさせていたロジャーだったが、進捗状況を鑑みて、“トム”のコードネームを与えたトンネルの作業を優先させ、目標到達距離まであと5メートルに迫りつつある。だがそんな矢先、訪れたアメリカの独立記念日に、悲劇が起きた……
[感想]
2001年にドイツで製作された、『トンネル』という映画が存在する。東ベルリンから西側への逃亡を試みた人々が、壁の下をくぐるトンネルを、多大な時間を費やして掘り進めた、という実話に基づくものだ。かなり遅ればせながら本篇を鑑賞したあとで思うと、映像化のために脚色する際、相当に強く本編を意識していたのだろう。本篇を彷彿とさせる描写が、かなり思い出されるのである。
エピソードの細部そのものに共鳴する部分が多かった、という可能性もある。舞台はいずれもドイツ、塀を越えるために大勢の人間が携わって秘密裏にトンネルを掘る、というベーシックな部分が一致しており、そのために群像劇的な側面を強調する必要も同じだった。日常を装い、監視の眼をかいくぐりながら行動する、という描写が生み出すサスペンスも、極端に変えようがない。
最も特徴的なのは、逃走者たちに関心の目を光らせ追い込む人々を、“ナチス・ドイツ”という言葉からイメージされる、容赦のない狂信者ではなく、自身も決してすべてに納得しているわけではない体制のなかで、己の職分を全うしようとする、いわぱ“勤め人”として描いていることだ。そのお陰で、脱出のために命を賭ける、という緊迫感を留めながら、決して剣呑な空気に支配されない軽さ、ほどよいゲーム性を保っている。
この軽さ、ゲーム性、というのは意外と侮れない部分である。このテイストが削られると、物語の設定そのものが持つ社会性、歴史的な意味合いが力強さを増し、娯楽性を殺してしまう。無論、そういうふうに描くことも製作者の姿勢としては正しいのだが、本篇や『トンネル』はあくまでも娯楽であることを志そうとした。『トンネル』については、当時の東ドイツの世相を反映して、どうしても暗いトーンがつきまとってしまった嫌味があるが、本篇は収容所生活の苦しさや、ドイツ国内に蔓延り、周辺諸国を侵していたナチス・ドイツの脅威、といったネガティヴな面を大半排することで、堅苦しさをほとんど感じさせず、混じり気の少ない純然たるエンタテインメントに仕立てることに成功している。
本当に脱走する必要があったのか? と思えるほど平穏で快適な収容所暮らしの描写のせいも多分にあるが、本篇が観ていて愉しいのは、脱走計画に携わる人々の豊かな個性と、彼らが頻繁に覗かせるユーモアによるところが大きい。恐らく繰り返してきた大規模な脱走計画のなかで、捕えられて拷問を受けたこともあったのだろう、傷の残る顔に鬼気迫る眼光を宿したロジャーに、ドイツ軍の将校と友情を築きながらも、その友人を利用して巧みに物資を調達する狡猾なヘンドリー、トンネル掘りに従事するダニーたち――観ている者が知らず知らずのうちに名前と表情を覚えてしまうほど存在感に優れた主要キャラクターたちが、それぞれは決して長くない出番の中で、交錯しつつ互いのドラマを膨らませていることが、間違いなく作品の大きな魅力のひとつとなっている。
しかし、中でも出色なのはスティーヴ・マックイーンだろう。組織だって計画を遂行するなか、意気投合した仲間ひとりとともに飄々と脱走を企て、のちにロジャーたちの計画においても重要な役割を演じることとなるため、本質的に目立つ役柄ではあったが、それでもこの格好良さは尋常ではない。捕まっても堂々と振る舞い、独房に放り込まれても、ボールとグローブを相棒に20日の謹慎を乗り切ってしまう。個人主義的な言動を貫き、最小限の力で脱出を企てながらもロジャーたちの計画には敬意を表し、いったん協力を決めたあとは頼もしくさえ映る。終盤、僅かに塀を乗り越えた人々のなかでも突出して勇ましい振る舞いには惚れ惚れするほどだ。本篇から10年後に出演した『パピヨン』では凄味を増し、また違ったインパクトを齎すが、本篇における軽さと力強さの溶けあった振る舞いは秀逸だ。
史実に添った脱走劇の結末は、実のところ本来爽快感とは縁遠いものだった。だが、それでも悲愴感ばかりに支配されない、生きる者のしたたかさ、自由を取り戻すことへの希望を感じさせるのは、全篇を支配する軽快さ、そしてそれを誰よりも見事に体現したスティーヴ・マックイーンの存在感が貢献している。
3時間弱に及ぶ尺は、観る前にはいささかたじろいでしまうが、いざ観始めたら、あっという間に感じる。私自身はかなり寝不足の状態で鑑賞したのだが、眠気などほとんど意識することもなく観終わってしまった。これほどパワフルで、堅苦しさのない娯楽映画は、そうそう作れるものではない。
関連作品:
『荒野の七人』
『シノーラ』
『パピヨン』
『ショーシャンクの空に』
『トンネル』
『フィリップ、きみを愛してる!』
『板尾創路の脱獄王』
コメント
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