『アマデウス ディレクターズ・カット版』

『アマデウス ディレクターズ・カット版』 アマデウス ディレクターズカット [Blu-ray]

原題:“Amadeus” / 原作&脚本:ピーター・シェイファー / 監督:ミロス・フォアマン / 製作:ソウル・ゼインツ / 製作総指揮:マイケル・ハウスマン、ベルティル・オルソン / 撮影監督:ミロスラフ・オンドリチェク / プロダクション・デザイナー:パトリツィア・フォン・ブランデンスタイン / 衣裳デザイン:セオドア・ピステック / メイクアップ:ディック・スミス / 編集:マイケル・チャンドラー、ネナ・ダネヴィック / ディレクターズ・カット版編集:T・M・クリストファー / 振付:トウィラ・サーブ / 音楽監督ネヴィル・マリナー / 出演:F・マーレイ・エイブラハム、トム・ハルス、エリザベス・ベリッジ、ロイ・ドートリス、サイモン・キャロウ、ジェフリー・ジョーンズ、クリスティーン・エバーソール、チャールズ・ケイ、ケニー・ベイカー、ヴィンセント・スキャヴェリ、シンシア・ニクソン、リチャード・フランク / 配給:松竹富士 / リマスター版配給&映像ソフト発売元:Warner Bros.

1984アメリカ作品 / 上映時間:3時間1分 / 日本語字幕:松浦美奈

1985年2月2日日本公開

2002年9月7日ディレクターズ・カット版日本公開

2010年4月21日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon[DVD Video(オリジナル版):amazon||Blu-ray Discamazon]

第1回午前十時の映画祭(2010/02/06〜2011/01/21開催)上映作品

第2回午前十時の映画祭(2011/02/05〜2012/01/20開催)《Series1 赤の50本》上映作品

TOHOシネマズみゆき座にて初見(2011/09/22)



[粗筋]

 1823年のウィーン、自らの書斎で命を断とうとした老人が、精神病院へと担ぎ込まれた。喉を切り裂く直前、彼が口にしたのは、「許してくれ、モーツァルト」という叫びだった。

 老人の名はアントニオ・サリエリ(F・マーレイ・エイブラハム)。イタリアで生まれた彼は音楽の才能に恵まれ、作曲家の道を志した。当初、厳格な父に反対されていたが、神に祈りを捧げ、決して自らの純潔を穢さない、と誓って間もなく、父が急逝したことで、障害は一掃される。

 かくしてサリエリはウィーンに渡り、音楽家の道を進み始めた。やがてサリエリはその才能を認められ、皇帝ヨーゼフ2世(ジェフリー・ジョーンズ)のもとで宮廷音楽家として働くようになる。そしてサリエリは、運命的な出逢いを果たす。

 それは、司教が伴った楽隊の演奏会の席での出来事であった。サリエリが、料理のつまみ食いをしているところへ、甲高い笑い声を上げながら、女を追い回す男が紛れ込んでくる。物陰から様子を窺っていたサリエリは、その下卑た男が、ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト(トム・ハルス)であることを知り、愕然とする。

 モーツァルトはかつて、サリエリの憧れだった。サリエリがまだ遊び回っているだけだった頃に、幼くして皇帝の前でピアノの演奏を披露し、12歳で既にシンフォニーの作曲を行っていた“神童”。音楽の神に愛された男が、こんな品のない男であったことに、サリエリは衝撃を受けた。

 だが、そのあとの演奏で、サリエリはいっそう打ちのめされる。モーツァルトによるその曲は、まさに神の恩寵であった――自らの祈りが聞き届けられ、音楽家として大成した、と考えていたサリエリの失望は計り知れない。何故、神はモーツァルトのような、敬虔さの欠片もない男を選んだのか?

 モーツァルトの楽曲は皇帝をも魅了し、国立劇場でかけられる新作オペラの執筆の話が彼に持ち込まれた。そして、このことがサリエリの羨望を更に掻き立てることとなる……

[感想]

 昔の音楽家たちの歴史などにあまり関心がないため、本篇で語られている出来事がどの程度事実に添っているのかは解らない――直感では、かなり脚色が施されているように思うが。しかしその点を差し引いても、この作品には異様なまでの説得力が備わっている。

 乱暴に括ってしまえば、この物語の胆は、天才に対する凡夫の嫉妬、という点に絞られる。モーツァルトという、その後の音楽界に多大な影響を及ぼした天才を、彼を前にしたサリエリという男の反感、懊悩、嫉妬心を軸にして描き出している。

 実のところ、サリエリという人物は、音楽家としては成功していたのは間違いない。宮廷音楽家として迎え入れられ、多くのオペラ公演を成功に導いたわけだし、その曲を聴くことは今でこそ珍しいものの、きちんと残ってはいる。

 だが、そんな彼にとってモーツァルトの存在は、あらゆる意味で目障りだった。初対面のときは、およそ知性を疑いたくなるほどに浮ついた振る舞いをし、しかしその直後に音楽家としての才能を見せつける。品性に欠く、奔放な言動を繰り返しながらも、その才能はサリエリを圧倒し続けた。

 サリエリにとって不幸だったのは、凡夫、と対比では表現出来るが、しかし彼も決して何一つ恵まれていない人物ではなかったことだ。前述の通り作品を著すことが出来ると同時に、長年音楽に接しているからこその優れた審美眼を備えていた。その眼が、モーツァルトと自分との歴然たる差を悟らせてしまう、そのことがサリエリにとって最大の悲劇だった、と言える。

 生前、モーツァルトは必ずしも恵まれた境遇にはなかった。一定の地位まで登りつめることは出来たが、自らの浪費癖や、作中ほどではないにせよ気質の問題もあったのだろう、のちに傑作とされた作品も評価は振るわず、失意のうちにこの世を去っている。

 だが、サリエリはそうして失敗した作品においても、その真価を認めざるを得なかった。物語のなかでサリエリモーツァルトの出世を意図的に妨げる場面が何度もあり、それは繰り返し成功裏に運ぶのだが、サリエリを満足させることはない。嬉しそうな表情を覗かせることもあるが、その反応から窺えるのは罪悪感であり、己の卑小さへの嫌悪感だ。

 モーツァルトの堕落と比例するかのように、サリエリの心も次第に荒廃していく、その過程が実に生々しく、痛々しい。モーツァルトは生活に追われ、家族との関係性も悪化させることに苦しむが、サリエリを苦しめるのは、前述したような罪悪感もさりながら、それによって彼が拠り処としていた神への信仰でさえも奪われていることだ。己の才能は、敬虔さに対する神からの祝福ではなかったのか。品性に欠け、不敬な振る舞いを繰り返すこの男のほうが、何故神の覚え目出度くあるのか。サリエリ自身の栄華はモーツァルトの存命中ずっと保たれている(冒頭と結末に描かれる晩年でさえ、生活には不自由していなかったことが窺える)が、支柱を蝕まれた彼の心は確実に折れていくのだ。その両者の対比に、終始慄然とさせられる。

 こうした、観念的と言ってもいい主題を、本篇は「如何にしてサリエリモーツァルトを殺したのか」という謎を冒頭に提起し、その殺意の源泉と願望とを絶え間なくちらつかせることで魅力的に描き、娯楽作品としても通用する牽引力に繋げている。奇妙な追跡劇『フォロー・ミー』や、双子の兄弟であるアンソニー・シェイファーと共に執筆した小説『衣裳戸棚の女』を手懸けたピーター・シェイファーならではの、探偵小説的な語り口が、主題の晦渋さをさほど意識させないのだろう。

 そうして辿り着くクライマックスは、映像的にはさほど動きがないにも拘わらず、重い衝撃を齎す。それまでも丁寧に描かれていたことではあるが、モーツァルトの鬼気迫る才能と、それにじかに触れて打ちのめされるサリエリの姿の描写は圧巻である。

 題材に合わせ用いられているモーツァルトサリエリのオペラの壮麗さ、当時の光景を実感させる巧緻な美術に映像と、その魅力を拾っているときりがない。ただ間違いなく言えるのは、本篇にはクラシックとして歴史に残りうる、馥郁たる香気を宿している、ということだ。時代を問わず普遍的な悲劇と主題は、いったん心を打たれたなら、観終わったあとしばらく立ち上がれないほどの衝撃を齎すに違いない。

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コメント

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