原題:“Taxi Driver” / 監督:マーティン・スコセッシ / 脚本:ポール・シュレイダー / 製作:マイケル・フィリップス、ジュリア・フィリップス / 撮影監督:マイケル・チャップマン / 美術監督:チャールズ・ローゼン / 衣裳デザイン:ルース・モーリー / 特殊メイク:ディック・スミス / 編集:トム・ロルフ、メルヴィン・シャピロ / キャスティング:ジュリエット・テイラー / 音楽:バーナード・ハーマン / 出演:ロバート・デ・ニーロ、シビル・シェパード、ピーター・ボイル、ジョディ・フォスター、アルバート・ブルックス、ハーヴェイ・カイテル、ジョー・スピネル、マーティン・スコセッシ、ダイアン・アボット、ヴィック・アルゴ、レオナルド・ハリス / 配給:コロンビア / 映像ソフト発売元:Sony Pictures Entertainment
1976年アメリカ作品 / 上映時間:1時間54分 / 日本語字幕:野中重雄 / PG12
1976年9月18日日本公開
2011年6月22日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
第2回午前十時の映画祭(2011/02/05〜2012/01/20開催)《Series2 青の50本》上映作品
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2011/09/07)
[粗筋]
トラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)は不眠症に悩まされていた。ポルノ映画館に立ち寄ったりして時間を潰していたが、退屈を持て余し、夜勤のタクシー・ドライバーとなる。
時間さえやり過ごすことが出来れば何でも構わなかったトラヴィスは、ハーレムであろうと流し、黒人であっても気にせずに乗せたために、すぐに懐は暖まった。だが、もともと使うあてなどなかったために、半ば持て余している。不眠症も癒える気配がなかった。
日中の街中を流していたトラヴィスは、偶然に見かけたひとりの女に一目惚れする。彼女、ベツィ(シビル・シェパード)が次期大統領候補が有力視されているチャールズ・パランタイン議員(レオナルド・ハリス)の事務所で働いていることを突き止めると、トラヴィスは珍しく積極的にアプローチを試みる。
ベツィはトラヴィスのいささかユニークな口説き文句に関心を示して、彼の誘いに乗ってきた。だが、初めてのデートで連れて行ったのがポルノ映画館だったために、ベツィはいちどで彼を見限ってしまう。もはやトラヴィスの電話に出ることはなく、彼の贈る花もすべて突き返された。
ふたたび――いや、ベツィと触れ合う前よりも激しい孤独に苛まれたトラヴィスは、かねてから募らせていた世間への憎悪をいっそう燃え上がらせる。このゴミ溜めのような社会を掃除するのは、自分しかいない――かつて海兵隊に所属していたトラヴィスは、伝手を頼って呼び寄せた密売人から拳銃を購入し、鈍っていた身体を鍛え始めた。
不眠の果てに募っていった狂気は、いつしかはっきりとした攻撃対象を見出していく。その矛先にいるのは――チャールズ・パランタイン議員。
[感想]
近年、賞レースの常連として、ハイレベルな作品ばかりをリリースしているマーティン・スコセッシ監督の、伝説的な出世作である。
ハリウッドで敬意を集め、常に高い期待を集めているスコセッシ監督だが、本篇を観ると、頷かされるところが多い。ごく初期の作品ながら既に堂々とした演出ぶりであり、かつその描写はいま観ても斬新で、目を見張らされるものがあるのだ。
この作品は基本的に、主人公であるトラヴィスの“一人称”で綴られる。ニューヨークの夜の風景を、タクシーの車窓から捉えたり、ウインドウの反射で見せながら、ジャズ風の音楽と淡々としたモノローグで描き出すそのタッチはハードボイルドめいていて、これから事件が起きるのでは、という雰囲気を濃密にたたえている。
だが、いわゆるハードボイルドのように、事件やトラブルが向こうからすり寄ってくるわけではない。どちらかと言えば、期待するような事件は起こらないのだ。ただ、孤独に苛まれていた主人公トラヴィスが、街中で見つけた女性ベツィに恋心を抱き、受け入れられたはいいが彼女の嗜好に配慮しないデート場所を選んで嫌われる、という彼個人にしか衝撃を齎さない事件が起きる。しかし、たまたまベツィが選挙事務所で働いていたこと、彼女が支援する議員の見解が微妙にトラヴィスの思想と違っていた、それだけで彼は己の不満や憤りをぶつける対象に議員を選ぶ。ハードボイルド映画のように、遭遇した事件、トラブルを解決に導くのでも、やむを得ぬ事情から波乱を巻き起こすのでもなく、本来何もなかった場所に惨劇を起こそうと目論む立場に赴く。
一見ハードボイルドのような語り口をしながら、本篇はいわば、都会的な孤独の極地にいるような男が、暴走していく過程を描いているのだ。その掴み方の巧みさもさることながら、周囲と一切コミュニケーションを行うことなく、ひたすらに目的に向かって、己が必要である、と感じたことを積み重ねていく様には、観ていて慄然とする。
同じニューヨークを舞台に、若者の孤独を描き出した『真夜中のカーボーイ』とどこかしら似通った組み立てだが、似たような境遇の人物を配して客観的な視点を組み込んでいたあちらと違い、本篇はひたすら主観を積み重ね、外に目が向いていない。デートの失敗に至るプロセスは『卒業』とも通じる印象だが、ずっと会話し交渉する相手がいた『卒業』と違って、本篇のトラヴィスは最後までまともに周囲と意志の疎通を図ることすらしていないのだ。
じわじわと弓の弦を引き、目標を定めていくかのように、募っていく緊張感。そうして訪れるクライマックスは、だが意外な描写が連続する。ポスターやジャケットで用いられている、デ・ニーロの衝撃的なモヒカン姿はこのくだりで登場するが、そうして狂気の頂点に達した彼が迷走する終盤は、ある意味では予想通りではあるものの、しかしやはり凍りつくかのような感覚に襲われる成り行きだ。
その一連の出来事を描き出す手法も特徴的で、鮮烈な印象を残す。最後の壮絶な戦いが終わったあとの映像は、わざわざ建物の天井をぶち抜いて撮影したということだが、そこまでして作られたシーンは未だに新鮮な驚きを齎す。現代ならばCGを用いて、もう少し穏便に作れそうだが、まだCGの技術が発達していない時代にこのヴィジュアルを着想して、実際に生み出してしまった意欲に頭が下がる。
しかし本篇で本当に驚くべきは、そのあとの展開だろう。普通ならここで終わり、寒々とした余韻を残して、暗いトーンのエンドロールに繋がると思われるところで、まったく違うエピローグが観客を待っている。
或いは、一般的な観客ならば、これこそあるべき結末と捉えるかも知れない。だが、それまで構築してきた描写の必然性からすれば、この顛末はあまりに出来すぎで不自然だ。途中の経緯をきちんと読み解きながら鑑賞した者ほど、戸惑いを覚えるはずである。
だが、更に掘り下げて考えると、別の解釈を思いつく。そもそも本篇はずっと、周囲との交渉を断った男の妄想で成り立っているのだ。クライマックスの状況を考慮に容れれば、あのエピローグ自体が妄想とも解釈できる。事実、あのエピローグは、あり得ないほどに、トラヴィスを取り巻く環境が序盤に戻っているのだ。あの結末のあとに生まれた新しい生活ではなく、彼が知っている範囲での日常に回帰しているのは、そもそもトラヴィスがその後の出来事から心を閉ざしている、或いは見ることが出来ない状態にある、という、穿った解釈も可能なのだ。
どう捉えるにせよ、極めて重量のある描写、掘り下げ甲斐のある内容に、ストレートに判断しても、穿った見方をしても趣のある結末と、斬新でありながらただ事でない重量感を誇る傑作である。21世紀に入っても、豪華な俳優陣と資金とを投入し優れた作品を立て続けに発表しつづけているマーティン・スコセッシ監督であるが、なるほど本篇を鑑賞すると、どうして彼が敬意を集め、あれほどの期待を寄せられているのか、よく理解できる――こんな映画を作れる人間は、そうそう多くない。
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『アビエイター』
『ディパーテッド』
『マチェーテ』
『羊たちの沈黙』
『フライトプラン』
『卒業』
『TAXI NY』
コメント
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