原題:“The Rite” / 原案:マット・バグリオ(小学館文庫・刊) / 監督:ミカエル・ハフストローム / 脚本:マイケル・ペトローニ / 製作:ボー・フリン、トリップ・ヴィンソン / 製作総指揮:リチャード・ブレナー、メリデス・フィン、ロバート・ベルナッキ / 撮影監督:ベン・デイヴィス,B.S.C. / プロダクション・デザイナー:アンドリュー・ロウズ / 編集:デヴィッド・ローゼンブルーム,A.C.E. / 衣装:カルロ・ポッジョーリ / キャスティング:デボラ・アクイラ,CSA、トリシア・ウッド,CSA / 音楽:アレックス・ヘッフェス / 出演:アンソニー・ホプキンス、コリン・オドナヒュー、アリシー・ブラガ、キアラン・ハインズ、トビー・ジョーンズ、ルトガー・ハウアー、マルタ・ガスティーニ、マリア・グラツィア・クチノッタ、アリアンナ・ヴェロネーシ、クリス・マークエット、トーレイ・デヴィート / 配給:Warner Bros.
2011年アメリカ作品 / 上映時間:1時間54分 / 日本語字幕:松浦美奈
2011年4月9日日本公開
2011年8月17日映像ソフト日本盤発売 [Blu-ray & DVDセット:amazon]
公式サイト : http://www.ritemovie.jp/
[粗筋]
父の経営する葬儀社を手伝っていたマイケル・コヴァック(コリン・オドナヒュー)は、奨学金を得て神学校へ進んだ。
やがて卒業の年を迎えるが、最後まで強い信仰心は芽生えず、教師の薦めを断り世俗へ戻ろうと決意する。しかしその旨を担任にメールで伝えた夜、目前で交通事故が起きた。虫の息となった被害者の女性の求めに応じ、マイケルは気が進まないながらも祈りを捧げる。その姿を目撃した担任は、彼に意外な道を薦めた。
数日後、マイケルの姿はイタリア、ローマにあった。ヴァチカンでは現在、急増した“悪魔祓い”の要請に応えるため、エクソシスト養成のための講座を設けている。神学校の担任教師はマイケルに、エクソシストの道を示唆したのだ。
本来、無神論者に近い懐疑論者であるマイケルは、悪魔の存在すら信じず、必要なのは精神科医である、という想いが強い。ヴァチカンに赴いたものの、依然として不承不承である彼を、講座の責任者であるザヴィエル神父(キアラン・ハインズ)は、ローマの一画で連日のように“悪魔祓い”を続けるルーカス神父(アンソニー・ホプキンス)のもとに向かわせた。
初めてマイケルが訪ねた日、ルーカス神父はロザリア(マルタ・ガスティーニ)という、年若い妊婦の悪魔祓いを行っていた。既に彼女は母親と共に、数ヶ月にわたってルーカス神父のもとに通っているというが、未だに悪魔の正体を見いだせず、儀式は完結していないという。
マイケルにはどう見ても、エクソシストよりもセラピストが必要となる“患者”であったロザリアだが、しかし彼女を巡る異変は、やがて思わぬ形で、マイケルにも影響を及ぼしていく――
[感想]
本篇は、実際にエクソシズムについて取材を行ったルポルタージュに基づいて作られているという。原作とされる書籍に接していないので、どの程度、客観的な事実に基づいているのかは正直判断がつかない。
しかし、本篇を鑑賞する限り、そのディテールは真に迫っている。
一般的なフィクション、ホラー映画においては、敬虔な信仰を糧とするエクソシストが登場する一方で、明らかに胡散臭い科学者が強引な理屈でその方法論を否定する、といった作りにすることが多い。
本篇も、主人公であるマイケルには無神論者に近しい側面があるため、エクソシストの役割や方法論に懐疑的な目を向けているが、しかし彼の立ち位置はかなり自然だ。実家は葬儀社であり、もともと人の死や信仰に触れる機会が多い一方で、その信仰に懐疑的とならざるを得ない背景も孕んでいる。そういう人物が、自らに対する疑念とも板挟みになりながら、“悪魔祓い”という行為に相対する。その姿勢は、たぶん中途半端な想像力からは生まれないものだ。
また、マイケルが主に接するエクソシストであるルーカス神父の振る舞いにも、従来映画で描かれていたものとは異なるアクがあり、そこにリアリティが感じられる。教会には身を置かず朽ちかけた屋敷で暮らし、そこに信者たちを定期的に迎え入れて、長期的に儀式を行う。名前を知り正体を悟ることで悪魔を律することが出来ると言い条、狡猾と言われるものがそう易々と弱みを握らせるはずはないわけで、1発で、或いは数十分程度の激闘のあとで祓ってしまうよりはよほど真実味がある。そしてルーカス神父の、人格者とも異なる世捨て人めいた言動が、その絶え間ない暗鬱な戦いの日々を匂わせて、説得力を滲ませている。
物語は終盤に至って少々ドラマティックすぎる展開を迎えるが、しかしそれも、自らの向かう道に迷いを抱き続けたマイケルが目撃し、経験した様々な出来事を踏まえているので、決してわざとらしさは感じない。出来過ぎているようにも思えるが、実際にある人物から迷いを奪い、ひとつの道へと押し進める出来事というのはこのくらい一種運命的なものに映るのだから。そこまでの描写に籠められた意図を汲み取れなければ、或いは直感的に納得できなければ、胡散臭く感じてしまうのは致し方のないところだろう。これは“信仰”という主題でフィクションを描く場合に共通するジレンマであり、完璧に乗り越えるのは難しい。
いずれにせよ、本篇が誠意を以てこの主題に接していることは確かだ。善きモノと悪きモノ、双方が仕掛ける予兆が絡みあい拮抗し、昇華するクライマックスは、一種気高い感動に満ちている。
それにしても本篇で改めて実感させられるのは、アンソニー・ホプキンスという俳優の巧さだ。映画史に残る悪役ハンニバル・レクターの名演は未だ記憶に鮮烈であるが、本篇では終盤、自らが陥る危機ゆえに、序盤とはまるで異なる顔を見せる神父を圧倒的な迫力で体現している。悩める神学生である主人公もその繊細な表情をきっちりと見せて好演であったが、アンソニー・ホプキンスに牽引されていた感は否めない。
もうひとり、作中最も重要な役割を担う、悪魔に憑かれた年若い妊婦を演じたマルタ・ガスティーニも出色だった。出演シーン終盤の鬼気迫る表情もさることながら、憑依した悪魔がじかに顔を現す前の、危うい雰囲気がいい。
たとえばこの主題の金字塔『エクソシスト』や、ジェニファー・カーペンターの怪演が印象的だった『エミリー・ローズ』と比較すると、作品全体の凄みにもうひとつ欠けているのも事実だ。しかし題名通りに、“悪魔憑き”という科学と信仰との境界線上にある現象、そして信仰そのものに真摯に向き合い、葛藤する様をきちんと剔出した、このジャンルの秀作であることは間違いない。
関連作品:
『1408号室』
『記憶のはばたき』
『エミリー・ローズ』
『羊たちの沈黙』
『ウルフマン』
『マイティ・ソー』
『プレデターズ』
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