原題:“Biutiful” / 監督&原案:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ / 脚本:アルマンド・ボー、ニコラス・ヒアコボーネ、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ / 製作:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ、フェルナンド・ボヴァイラ、ジョン・キリク / アソシエイト・プロデューサー:アルフォンソ・キュアロン、ギレルモ・デル・トロ / 撮影監督:ロドリゴ・プリエト,ASC,AMC / 美術:ブリジット・ブロシュ / 編集:スティーヴン・ミリオン / キャスティング:エヴァ・レイラ、ヨランダ・セラノ / 音楽:グスターボ・サンタオラヤ / 出演:ハビエル・バルデム、マリセル・アルヴァレス、エドゥアルド・フェルナンデス、ディアリァトゥ・ダフ、チェイク・ナディアイエ、チェン・ツアイシェン、ルオ・チン、ハナ・ボウチャイブ、ギレルモ・エストレヤ / 配給:PHANTOM FILM
2010年スペイン、メキシコ合作 / 上映時間:2時間28分 / 日本語字幕:松浦美奈 / PG12
2011年6月25日日本公開
公式サイト : http://biutiful.jp/
TOHOシネマズシャンテにて初見(2011/08/11)
[粗筋]
スペイン、バルセロナ。若い頃にメキシコからこの地に移ってきたウスバル(ハビエル・バルデム)は、他の国からの移民に職を斡旋し、その手数料を主な収入源にしているが、最近あちこちで軋みを生じていた。
セネガルからやって来たエクウェメ(チェイク・ナディアイエ)たちは露天で商売をする一方でドラッグを売り捌いており、露骨な行動に警察への袖の下が通用しなくなりつつある。中国系移民のハイ(チェン・ツアイシェン)たちには工事現場での労働を斡旋しているが、作業に不慣れなうえ、劣悪な居住環境のために体調を崩すものが多く、斡旋相手のメンドーサからクレームをつけられていた。
だが、それ以上にウスバルを苦しめる現実がある。尿に血が混じるようになり、精密検査を受けた結果、ガンであると告知されたのだ。自覚症状の乏しいうちに病原は身体を蝕み、既に手のつけられない段階にまで進行している、という。医師が告げた余命は、僅か2ヶ月だった。
避けられない最期の時に備えなければならない――だが、ウスバルには抱えているものが多すぎた。特に気懸かりなのは、ふたりの子供たちである。まだ小学校に通うふたりの母親マランドラ(マリセル・アルヴァレス)は躁鬱の差が激しく、そのためにウスバルは彼女と別れ、自分だけで子供たちを育てている状況だった。
とはいえ、他に身寄りのない子供たちを託す相手はマランドラしかいない。最近は感情の波を抑えられるようになった、と訴える彼女を信じて、ウスバルは少しずつ元妻との関係を修復していく。
そうしているあいだにも病魔は更にウスバルを蝕み、そして新たな悲劇が彼を襲うのだった……
[感想]
『アモーレス・ペロス』で国際的に高い評価を得て以来、複数の立場、視点を、時系列を相前後させて物語を綴るスタイルを採用してきたアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督であるが、本篇は基本的にウスバルの視点に絞り、時系列に添って話を進めている。
とはいえ、さほど大きく違った、という印象を与えないのは、主人公をひとりに絞りはしたものの、依然として他の人物の視点からも描写し、そしてそれぞれの人生を濃密に感じさせるせいだろう。
ウスバルはセネガル系と中国系、ふた組の移民たちと深く関わり合っているが、その中でも特に抜粋した人々の生活背景、心情をごく手短にだが巧みに切り取って描いている。それはあくまで、ウスバル自身のドラマを押し進めるための手順ではあるのだが、奥行きのある描き方は、多くの登場人物を並行して捉える技に長けた監督ならではのものだろう。
相変わらずの印象的な映像の数々、そして主題も、基本的にイニャリトゥ監督お馴染みのものと言っていい。
ただ、鑑賞しながらまず感じるのは、“余命を宣告された人物”というありがちなテーマが、この作品のなかではまるで異なった印象で描かれていることだ。
死を宣告され、その時に備えて行動する、というのは映画に限らずフィクションではお馴染みの題材であり、それこそ飽きるほど繰り返し用いられている。遺される家族のために覚え書きを作る、或いは社会への奉仕に命を用いるというものもあれば、逆に飄々と命を全うする、という話もあり、既に多岐に亘って掘り下げられている感がある。
だが本篇の主人公ウスバルが、死期を悟って感じるのは、あまりにもままならない現実、己の無力さである。粗筋に書いた部分だけでもかなりの袋小路だが、あのあとセネガル系移民にも、中国系移民にも深刻な事態が出来する。とりわけ中国系移民を襲った出来事は、死を迎える準備をしていたはずのウスバルにとってあまりに残酷だ。あの成り行きであれば普通にあり得ることだけに、余計に痛々しい。
本篇の序盤で、ウスバルには死者の言葉を聞く力がある、ということが描かれる。『21グラム』『バベル』にはなかった趣向であり、イニャリトゥ監督はこうしたスーパーナチュラルには手を出さないように思いこんでいたせいか、個人的にはかなり驚かされたのだが、しかしこの設定が実は絶妙だ。訪れる悲劇のなかで、他の人間以上にウスバルを追い込む一方で、終盤での出来事に筋を通している。このあたりの描写に注目して、一種のゴースト・ストーリーとして鑑賞しても本篇は優秀な部類に入るだろう。
イニャリトゥ監督の他の作品がそうであるように、死という出来事を前にしたウスバルに抵抗する術はなく、多くのものが解決されないまま物語は幕を迎える。だが、本篇のラストシーンには何故か、奇妙な清々しさが感じられる。
何よりも象徴的なのは、この一風変わった題名であろう。英語で“美しい”を意味する単語の正しい綴りは“Beautiful”だが、娘のアナに訊ねられたウスバルは、“Biutiful”という誤ったスペルを教える。作中、アナが描いた絵のなかにこの間違ったスペルの文章が一瞬見えるだけで、けっきょく修正はされないまま終わる。しかし、スペルが間違っていようと、意味は通るのだ。間違いだろうと、決して正されることはなくとも、“美しい”ことに変わりはない。
正しくなく、決して解決もしていない。ただそれでも、確かに生きていた証は残る。間違っていても、それでも“美しい”というこの題名は、観終わったあとで吟味するほどに深みを増す。
語り口はいくぶん変わったが、先行する『21グラム』『バベル』と同様に重厚で、そして“美しい”余韻を残す傑作である。
関連作品:
『21グラム』
『バベル』
『海を飛ぶ夢』
『ノーカントリー』
『ヒア アフター』
『激情』
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