『SPACE BATTLESHIP ヤマト』

『SPACE BATTLESHIP ヤマト』

原作:西崎義展 / 監督&VFX:山崎貴 / 脚本:佐藤嗣麻子 / 企画:中沢敏明、濱名一哉 / 撮影監督:柴崎幸三 / 照明:吉角荘介 / 美術:上條安里 / 装飾:中澤正英、龍田哲児 / VFXディレクター:渋谷紀世子 / 編集:宮島竜治 / 音響効果:柴崎憲治 / 音楽:佐藤直樹 / 主題歌:スティーヴン・タイラー『Love Lives』 / 出演:木村拓哉黒木メイサ柳葉敏郎緒形直人池内博之、マイコ、矢柴俊博、浪岡一喜、斎藤工三浦貴大大和田健介、原田佳奈、石川紗彩、佐々木一平、沢井美優杉浦文紀上野なつひ東海林愛美松本まりか南圭介浅利陽介田中要次須田邦裕、飯田基祐、二階堂智藤田弓子堤真一高島礼子橋爪功西田敏行山崎努 / 声の出演:緒方賢一上田みゆき伊武雅刀 / ナレーション:ささきいさお / VFX制作:白組 / 制作プロダクション:ROBOT / 配給:東宝

2010年日本作品 / 上映時間:2時間18分

2010年12月1日日本公開

公式サイト : http://yamato-movie.net/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2011/01/11)



[粗筋]

 西暦2199年――地球は滅亡の危機に瀕していた。

 5年前、火星付近に現れた謎の侵略者・ガミラス星人によって繰り返し送りこまれた遊星爆弾が地球を放射能で汚染し、緑は枯れ果て、人間は地下での生活を余儀なくされていた。地球防衛軍が必死の抵抗を続けるも、日ごとに武装を固めていく敵を前に、為す術もない。地球の余命は、僅かに1年程度と目された。

 そんななか、もと地球防衛軍のエースパイロットである古代進(木村拓哉)が地表で鉄屑拾いをしていたところ、突如落下してきた物体の中からひとつのカプセルを回収する。地球防衛軍はそれを回収、やがて司令官・藤堂平九郎(橋爪功)によって、驚くべき調査内容が報告された。

 カプセルには14万8千光年の彼方にある惑星イスカンダルからのメッセージが入っていたという。そこには、カプセルにはイスカンダルの座標と、現地に辿り着くための宇宙船の設計図とともに、イスカンダル放射能除去装置が存在していることが記されている、ということだった。

 防衛軍はそのために、当初、一部エリートの地球外脱出のために用意していた、残されたすべての資源と技術とを投入して製造した宇宙戦艦ヤマト沖田十三(山崎努)に託し、有志と共にイスカンダルへ派遣する決定を下す。

 カプセルに封入されていた技術を用いた最強の兵器・波動砲を搭載し、ワープ航法により短期間での長距離航行が可能となったヤマトは、志願した乗員たちの想いを、人類すべての希望を乗せ、1年以内の帰還を目標に、一路イスカンダルへと赴く。そのなかには、防衛軍に復帰した古代進の姿もあった……

[感想]

 前もってお断りしておくと、私はオリジナルのアニメーション『宇宙戦艦ヤマト』に全く思い入れがない。ギリギリ、再放送などで接することが可能だった世代に属するが、あまり観た覚えがないし、観たとしてもまるっきり忘れてしまっている。ごく大まかなアウトラインだけを記憶した状態で本篇に接したことになる。

 そういう目で観ると、本篇の出来映えは決して悪くない。

 ハリウッドの、莫大な予算を注ぎ込んだSF大作と比較すれば、セットの制約などが透け見える舞台規模の小ささは目につくが、『ALWAYS』2作や『BALLAD 名もなき恋のうた』でVFXを自然なかたちで使用する撮影手法を育ててきた山崎貴監督が担当しただけあって、かなりレベルの高いSF空間を構築することに成功している。極めて高い科学技術によって建造された宇宙戦艦ヤマトの造形もさることながら、得体の知れないガミラス星人やその兵器のデザイン、広漠たる宇宙空間で繰り広げられる戦闘シーンの迫力はかなりのものだ。

 ドラマ作りという面からも、かなりクオリティは高い。ところどころSFとして眺めて許容範囲ギリギリではないか、人によってはアウトと感じるかも、という部分も見受けられるが、概ね納得のいく筋立てだし、その中で繰り広げられる人々の交流と心の葛藤はオーソドックスながらきちんと重みを感じさせる仕上がりとなっている。VFXの技術で昭和30年代の日本や戦国時代を再現しながら、そこでの物語を決して疎かにしなかった山崎監督の姿勢は、本篇でもきっちり保たれている。

 ただ、如何せんオリジナルが古いせいか、世界観も描かれるドラマもかなり使い古された感が否めないのも事実だ。もともと移民用に建造されていた宇宙船というヤマトの設定にしても、宇宙からの脅威とそれに虚しい抵抗を繰り返す人類という図式も、映画に限らずSFというジャンルでは大いに手垢のついたものだし、人類の地下での暮らしぶりや主人公・古代の相棒であるアナライザーの終盤の様子など、デザイン的にも凡庸なものが見受けられるのは気にかかる。

 一種の群像劇として、多くの人間ドラマが盛り込まれているのはいいが、その趣向もまた概ね有り体のものであることも、観る人によっては陳腐な印象を受けるだろう。また、あまりに人物が多いせいか、感動に結びつける伏線の張り方が唐突であったり性急であったりすることも、作品の悪い意味での古めかしさを強調してしまっている。たとえば中盤、古代が重責を担った直後での悲劇は、その責任を古代に痛感させるための出来事が直前に設けられてしまったせいでわざとらしさと稚拙さが際立ってしまった。終盤での、主要登場人物たちの散り際にしても、全般にもっと工夫があって良かったように思う。

 いちばんの問題は、そうしたクライマックスの臭みを許容するために必要な、非常時以外の交流を描いた場面が、いずれも不自然だということだ。たとえば回収されたガミラスの戦闘艇を巡る一悶着のあと、古代と戦闘員たちとのやりとりをもっと自然に、リアルに表現することが出来ていれば、終盤のもったいぶった見せ場も違った印象を与えられたように思われる。

 ただ、宣伝文句にあるような“日本初の本格SF大作”は大袈裟にしても、本邦では近年非常に珍しい正統派のSF大作であり、これだけ豪華な俳優陣と技術力を注ぎ込んで、ほぼ破綻のない仕上がりを実現させたことは、確かな成果として認めてもいい。全体に“大時代的”と喩えたくなる演出やドラマ作りも、そこに往年の日本映画――というより大衆が愛したフィクションの味わいを再現している、という評価も可能だし、その意味では見事な出来映えだ。

 如何せん、海外から日本に届く作品というのは、もともとそれだけの上映規模があって初めて資金の回収できる超大作であったり、世界に問うて恥じることのない傑作が多いのだから、比較する方が酷というものだ。長いこと邦画の不人気が続き、荒唐無稽とも言えるほど壮大な作品はなかなか生まれてこなかった日本で、良くも悪くも日本人の琴線を刺激する娯楽大作が生み出されたこと、それ自体を喜ぶべきだろう。

関連作品:

リターナー

ALWAYS 三丁目の夕日

ALWAYS 続・三丁目の夕日

BALLAD 名もなき恋のうた

アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン

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