再起動初日は、午前十時の映画祭12最後の1本で。

 昨日の午前中までほぼ病人暮らしでしたが、夕方からは日常に戻し、夜もいつもと同じ午前3時くらいまで、ラジオを聴きつつ作業をしておりました。この感じなら、もともと土曜日に観るつもりだった作品は行けるかも、と思い、作業の合間にチケットを確保した。
 ……正直に言えば、起きた時点ではまだちょっと怠かった。若干悩み、しかし今日あたり出かけないと出不精になりそうだ、という予感がして、半ばリハビリのつもりで、意を決してお出かけ。
 行き先はTOHOシネマズ日本橋です。作品は、今期の午前十時の映画祭12大トリの1本、1943年に撮影されながらも時流ゆえに多くのシーンをカットされる憂き目を見た作品を稲垣浩監督自ら再映画化、明治の九州・小倉を舞台に、粗暴な人力車夫・松五郎がある一家との出会いを経て変わっていく様を描いた『無法松の一生(1958)』(東宝初公開時配給)
 旧版が確かにいい映画だった一方、確かにあちこちが抜け落ちていて不明瞭の部分が多く、基本的に脚本を変えることなく再映画化したこちらが早く観たくてたまらなかったのです。
 再映画化には15年を要しましたが、こちらは中三日、しかも合間に熱で浮かされて抜け落ちたみたいな日も入っているから、ほぼ間隔がなかったようなものなので、比較はしやすかった。それゆえに、何故、あれほど切り刻まれても旧版が名作と呼ばれるのかも納得がいってしまった。
 こうしてみると、本当に大事な部分が削ぎ落とされている。たぶん唱歌の内容が問題になったであろう学芸会のくだりや、松五郎の未亡人に対する思慕が明白になってしまうひと幕など、ここがあることで松五郎の心情や変化が明瞭になっている。吉岡母子にとって、松五郎がどれほど近しい存在になっていたのかも、これらの描写があることで補強されてます。
 そうして物語としての完成度の高さを改めて証明する一方で、この再映画化が万全の態勢で実施されていればこそ、戦時下に制作された旧版の凄みも実感できてしまう。特に驚くのはカメラワークの素晴らしさと、配役の完璧さです。もちろん15年を経て映像はカラーになり、カメラワークもより柔軟になっているのですが、より制約が多かったはずなのに、印象深い構図は旧版のほうが多い。同じ構図でも、なまじカラーにしてしまった分、却ってパワーを損なった印象のある場面もあるほどです。配役にしても、戦後の東宝映画を支えた名優達が勢揃いするこちらも凄いのですけど、メインキャストのハマりっぷりで旧版に見劣りしてしまう。とりわけ旧版で未亡人を演じた園井恵子がどれほど完璧だったか。なまじこの再映画化で、歴史の教科書に載っても不思議のないレベルの存在・高峰秀子が演じているからこそ、あちらのハマりっぷりが際立つという。むろん本篇も、名優揃いですから不安も不満もないのですが、旧版ほどの光芒は放ち切れていない。
 繰り返しますが、1958年版も名作です。しかし、それゆえに旧版の素晴らしさ、悲劇と奇跡とが明瞭になる。なかなか得がたい映画体験でした。この映画祭がトリにこの企画を持ってきたのも頷ける。実にいい締め括り。

 鑑賞後は日本橋ふくしま館へ。無法松の物語の全貌を早く知りたかった、というのもありましたが、病み上がりであえて日本橋に出かけることを選んだのは、ちょうどイートインに老麺まるやが入っているタイミングだったから。あまりに好みなので、もはや月に1回は食べないと落ち着かないのです。
 イートインも感染対策の緩和をしていて、これまで全座席が1人用になっていたのが、中央に並んだテーブルは対面で利用できるかたちになっている。とはいえ私は基本ひとりで訪問してるので、端っこにていただきます。いつもは大盛りにしますが、体調が恢復してから初めての外食なので、控えて普通盛りに。無事に完食できました。
 ……が、さすがに外出自体がちょっと早すぎたかも知れません。この数年間でいちばん通い慣れたルートなのに、帰宅した頃にはすっかり疲れ果てていた。あと2、3日は抑えめに活動した方がいいかも知れぬ。

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