原題:“Up” / 監督:ピート・ドクター / 共同監督:ボブ・ピーターソン / 原案:ピート・ドクター、ボブ・ピーターソン、トム・マッカーシー / 脚本:ボブ・ピーターソン、ピート・ドクター / 製作:ジョナス・リヴェラ / 製作総指揮:ジョン・ラセター、アンドリュー・スタントン/ ストーリー・スーパーヴァイザー:ロニー・デル・カルメン / プロダクション・デザイナー:リッキー・ニエルヴァ / スーパーヴァイジング・テクニカル・ディレクター:スティーヴ・メイ / スーパーヴァイジング・アニメーター:スコット・クラーク / キャラクター・スーパーヴァイザー:トーマス・ジョーダン / 編集:ケヴィン・ノルティング / 音楽:マイケル・ジアッチーノ / 声の出演:エドワード・アズナー、ジョーダン・ナガイ、ボブ・ピーターソン、デルロイ・リンド、ジェローム・ランフト、ジョン・ラッツェンバーガー、エリー・ドクター、ジェレミー・レアリー、クリストファー・プラマー / 声の出演(日本語吹替版):飯塚昭三、立川大樹、松本保典、大塚芳忠、檀臣幸、高木渉、楠見尚己、松元環季、吉永拓斗、大木民夫 / 配給:WALT DISNEY STUDIOS MOTION PICTURES. JAPAN
2009年アメリカ作品 / 上映時間:1時間43分 / 日本語字幕:石田泰子 / 吹替版翻訳:佐藤恵子
2009年12月5日日本公開
公式サイト : http://carl-gsan.jp/
TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/12/31)
[粗筋]
カール・フレドリクセン(エドワード・アズナー/飯塚昭三)が最愛の妻エリーと出逢ったのは、幼少の頃だった。
冒険家チャールズ・マンツ(クリストファー・プラマー/大木民夫)に憧れていた幼少時代のカール(ジェレミー・レアリー/吉永拓斗)は、チャールズが伝説の滝パラダイス・フォールで見つけ出した怪物の骨格標本を巡る嫌疑で冒険家協会の会員証を剥奪され、己の正当性を証明するためにふたたびパラダイス・フォールへ旅立つ模様を報じるニュース映画に興奮していた帰り、廃屋で冒険家ごっこをしている幼いエリー(エリー・ドクター/松元環季)を見つける。マイペースな彼女に振り回されながらも、同じように冒険に憧れるカールとエリーはあっという間に親しくなった。
成長したふたりは結ばれ、あの廃屋を買い取り改築して暮らしはじめた。エリーは動物園の南米館の飼育員、カールはその動物園の風船売りとして働く。不幸にして子供を授かることは出来なかったが、それでもあのチャールズ・マンツが赴いたまま結局帰ることのなかったパラダイス・フォールに向かい、その崖の上に家を建てて暮らす、という夢を胸に、満ち足りた毎日を過ごしていた。
……そしてエリーは病に倒れ、カールを残してこの世を去った。
失意に暮れるカールを、更なる不幸が襲う。のどかな田舎町であったふたりの家の周囲は一気に開発が進み、彼の家も執拗な買収交渉に悩まされていた。自分の家だけを残して工事は始まってもなおカールは抵抗を続けていたが、ある日、重機がカールとエリーお手製のポストをうっかり壊す光景を目の当たりにしたカールは逆上して関係者を殴ってしまい、裁判の結果、カールは家を追い出されることになった。
老人ホームからの迎えが訪れた朝、だがカールは誰も予想しなかった叛乱を起こす。ありったけの風船を使って、家ごと飛び去ってしまったのである。目指すは、妻と共に憧れ続けたパラダイス・フォール。
亡き妻とふたりきりの旅、のはずだった。だが、思わぬ闖入者の存在が、カールの最初で最後の大冒険に、予想外の展開をもたらす……
[感想]
セルアニメーション、手描きを主体としたアニメーションの分野では未だに日本が世界的に存在感を誇っているが、3D技術を用いたアニメーションにおいては間違いなくアメリカが先頭を突っ走っている。それを牽引しているのがピクサー・スタジオであることは疑いようのないところだろう。
それだけに、観る前から安心感のある作品であったが、案の定、観終わって満足を味わうことの出来る良作であった。――ただ、率直に言って、手放しでは褒めにくい。
亡くした妻への想いと共に、風船で家を秘境に運ぶ、という発想は秀逸だが、その他のアイディア、描写がことごとく薄っぺらなのだ。
冒険を愛し、訪れるのが難しい土地として描かれていたパラダイス・フォールの近くまでやたらあっさりと到達してしまっているのもそうだし、秘境の描写、扱い方がしごく有り体で、かつ移動にさほど苦労していないので、序盤で見せる強い憧れまでが軽薄に見えてしまう。実際に行動に出てしまえばこんなものだ、というメッセージを籠めているのかも知れないが、カールじいさんが何度か口にする言葉と並べるとそぐわない。終盤近くなって登場する人物の造形そのものはいいとしても、その人物の存在を際立たせるためにも、辿り着くまでにもう少し工夫と努力を見せる必要があったように思う。
カールじいさん自身の言動や、結果的に彼と同道することになるラッセル少年(ジョーダン・ナガイ/立川大樹)の立ち居振る舞いにも、極端さや不自然さが目立つ。まがりなりにも冒険に憧れ、パラダイス・フォールに憧れていた人物がその周辺の植生にあまり明るくなく、用意もしていない奇妙さ、ラッセル少年の度を過ぎた無邪気さ、不用心さも引っ掛かる。『ファインディング・ニモ』や『カーズ』のようにはじめから極端な擬人化を前提とした作品であれば多少の不自然さもファンタジーとして受け入れられるが、普通の人間を正面に押し出した作品でも同じ手法を使うのはさすがに配慮に欠くと言わざるを得ない。
しかし、そうした点に引っかかりを覚えていても惹きつけられるのも事実だ。エピソードを刈り詰めて適当なバランスを保ち、構成の巧みさで最後まで観客の関心を誘う巧さはもはやピクサーのお家芸と言っていいだろう。
また、細部にちりばめられた笑いの質の高さはさすがだ。動物類、とりわけある理由から人間と会話が交わせるようになっている犬たちの言動は、言語や文化の違いに左右されるものを用いていないので、年齢さえも超越して笑いを誘う。どんなに賢く、一風変わった立ち回りをしていても基本は犬、というところで愛らしさを見せ、シリアスな場面でもいい具合に弛緩させる技は、アニメーションとして正統派の面白さでもある。
人間のキャラクターの描き方について幾分疑問を呈さねばならないのも事実だが、こちらでも随所で笑いを誘うように工夫を凝らしており、思わず反応してしまうと同時に唸らされる。序盤でカールじいさんが老いらくの冒険に赴こうとしたとき「本当に大丈夫か?!」と感じる観客も多いはずだが、それに応えるかのような終盤の活躍は秀逸だ。
だが本篇に何より輝きを添えているのは、カールじいさんが冒険に出るきっかけをもたらした愛妻に絡む一連の描写だ。幼少時代から死別までを描いたプロローグ部分だけでもらい泣きしてしまう人も少なくないだろうし、そこでちりばめられた要素を反復するクライマックスは、オーソドックスだが厚みのある感動をもたらしてくれる。
3Dアニメーションの先駆者ならではの美しい映像も健在である上、今回は初めて3D眼鏡に対応した方式での上映も実施しているが、驚かすためだけに用いず、強烈な臨場感に加え、観客の感じ方も計算に入れて工夫を凝らしている点に、向上心が見受けられる。ここ数年のピクサー作品だけを並べてもじわじわと技術、表現手法の発展が確認できるが、上映方式が3Dになったことで、更なる伸びしろを手に入れたようだ。
手法と主題の見事な一致が驚異的な完成度に結びついた前作『WALL・E/ウォーリー』と比較したとき、個人的にはあちらのほうが優れていると感じられたものの、本篇もまた観終わったあとで充分な満足感と、よく出来た映画を観た、という喜びが味わえる作品であることは間違いない。
ところでこの映画、基本的にはいつものピクサー作品と同様、お馴染みのスタッフたちが協力して脚本を手懸け、相性が良ければ自ら声も当てる、というスタイルで作られている。だが、そんななかで、原案にひとり、ちょっと気になる名前が挙げられている。
トーマス・マッカーシー――どこかで見た名前だ、と感じた人はけっこうな映画好きではないかと思う。この方、脇役中心で多くの映画に出演している俳優である。最近でも『デュプリシティ 〜スパイは、スパイに嘘をつく〜』や『2012』に出演しているが、同時に映画監督としても活動しており、2007年に発表した『扉をたたく人』では主演のリチャード・ジェンキンスをアカデミー賞主演男優賞候補に連ねたほか、多くの映画賞で賞賛を浴びている。こうした事実からも才能の豊かさは窺い知れるが、まさかピクサー・アニメの原案にまで関わっているとは思わなかった。
ただ、プログラムを見ると、クレジットに彼の名前は含まれているが、どういう形で関与したのか、プロダクション・ノートでもスタッフ・インタビューでも触れている者がないのが気にかかる。製作過程で袂を分かって、クレジットに名前を留めつつもインタビューなどではなかったことにされたり、アイディアに関する繊細な理由から名前だけ記載した、ということもままあるので、別に驚きはしないのだが――なまじ2009年はトーマス・マッカーシー=トム・マッカーシーの名前を繰り返し目にしただけに、妙に引っ掛かった。
関連作品:
『扉をたたく人』
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