『扉をたたく人』

『扉をたたく人』

原題:“The Visitor” / 監督・脚本:トム・マッカーシー / 製作:メアリー・ジェーン・スカルスキ、マイケル・ロンドン / 製作総指揮:オマー・アマナット、ジェフ・スコール、リッキー・ストラウス、クリス・サルヴァテッラ / 撮影監督:オリヴァー・ボーケルバーグ / 美術:ジョン・ペイノ / 編集:トム・マクアードル / 衣装:メリッサ・トス / 音楽監修:メアリー・ラモス / 音楽:ヤン・A・P・カチュマレク / 出演:リチャード・ジェンキンス、ヒアム・アッバス、ハーズ・スレイマンダナイ・グリラ、マリアン・セルデス、リチャード・カインド、マイケル・カンプステイ、マギー・ムーア、アミール・アリソン / ネクスト・ウェンズデイ製作 / 配給:Longride

2007年アメリカ作品 / 上映時間:1時間44分 / 日本語字幕:太田直子

2009年6月27日日本公開

公式サイト : http://www.tobira-movie.jp/

恵比寿ガーデンシネマにて初見(2009/06/27)



[粗筋]

 ウォルター・ヴェイル(リチャード・ジェンキンス)の生活は十年一日の如く、まるで変化に乏しかった。国際経済学の教授として大学に勤めているが、“執筆のため”と言い訳をして講義はひとコマしか持っていない。覇気のない暮らしを送る彼が唯一執着しているのは、亡くなった妻の残したピアノだけだったが、どうにか修得しようとしても、年を取ってから学ぶには難しすぎた。

 遠出することさえ億劫がっていたウォルターだったが、最近発表した論文の共著者が産休を取ってしまい、急遽彼女の代理として学会に出席せねばならなくなった。開催地であるニューヨークには、かつて暮らしていたアパートがそのまま残っている。会期中の拠点にするつもりで久々に訪れたウォルターは、そこで予想外の出来事に遭遇した。

 彼のアパートには、人が住んでいた。どうやら長いこと空き家になっていたのをいいことに、鍵を握っていた何者かが勝手に貸して収入を得ようとしていたらしい。

 2ヶ月ほどアパートに滞在していたのは、シリア出身のタリク(ハーズ・スレイマン)と、セネガル出身のゼイナブ(ダナイ・グリラ)という若いカップルだった。警察に通報されては困る、と言ってふたりは速やかに出て行ったが、荷物を引きずったふたりには、当座身を寄せる場所もないらしい。結局ウォルターは、道を挟んだ向こう側で途方に暮れていた彼らに歩み寄り、行き先が見つかるまで滞在するように勧めたのだった。

 ゼイナブはあまりに都合のいい成り行きに戸惑っている様子だったが、タリクは素直に感謝を示した。彼はジャンベという打楽器をジャズクラブなどで演奏し、生計を立てている。ごく常識的なものの考えをするタリクに礼儀としてライヴに誘われたウォルターは、衝動的にのこのこついていって、その演奏に何かを感じた。

 数日ほどのち、ウォルターは居間に出しっぱなしになっていたジャンベを見て、何となく演奏の真似事をする。そこへひょっこりと姿を現したタリクは、快くウォルターに演奏の手解きをした。技術ではなく、心の赴くままに演奏する、というジャンベのスタイルは、ウォルターの気持ちを高揚させた。

 いつしかウォルターは、この“不法侵入者”のふたりと、少しずつ親しくなっていく。そして間もなく痛感することになる――タリクやゼイナブのような人々にとって、いまのアメリカがどれほど暮らしづらい環境であるかを。

[感想]

 本篇で主演したリチャード・ジェンキンスという俳優、名前に心当たりはなくとも、ある程度の本数、新作映画を観ている人なら、顔を見た瞬間に思い当たる節があるはずだ。最近だと『バーン・アフター・リーディング』でフランシス・マクドーマンド演じる美容整形志願の女に密かに想いを寄せるスポーツ・ジムの所長役で哀しい雰囲気を醸しだし、ちょっと前だとハリウッド・リメイク版『Shall We Dance?』で主人公の素行調査をする探偵役が印象に残っている。決して存在感は際立っていないが、作品のなかで重要なエッセンスの役割を果たす脇役を丁寧に演じ、どんなジャンルの作品でもこなす名バイプレイヤーなのだ。

 その長いキャリアにおいて初めて彼が主演に駆り出されたのが本篇だ。同じようにバイプレイヤーとして活躍する俳優であり、ジェンキンスを尊敬していたというトム・マッカーシー監督が彼を想定して脚本を書いた、というだけあって、なるほどと頷ける肉付けになっている。

 格別な才能があるわけではなく、漫然と生きている老教授。序盤は終始仏頂面で、講義にやる気を示さず、上司から学会への出席を求められても当初は固辞するほど。厭世的で、しかしあちこちで見かけるような凡庸な人物像だ。それが、放置していた旧宅にいつの間にか住みついていた、違法滞在のカップルふたりと交流していくうちに、次第に態度も表情も解けていく。

 絶妙なのは、いきなり劇的に変化しないところだ。最初は戸惑いがちに、ぎこちない優しさを示すだけで、表情は依然として硬い。しかし、青年からジャンベを学び、直感的で情熱的な演奏に魅せられていくほどに、どんどん表情が和らいでいく。まだ恥ずかしそうにはにかみ加減であるあたりに、真実味を感じられる。

 そうして少しずつ変化していったあとだからこそ、終盤で示す激情に説得力がある。凡庸な人物を多く演じ、作品に巧みに溶け込んでしまう演技巧者だからこそ出来る表現であり、アカデミー賞主演男優賞候補となったのを筆頭に多くの賞で名前が挙がり、多くの賞を獲得したのも頷ける。

 物語のほうは、個人的には当初、いささか淡泊な印象を受けた。粗筋から漠然と想像していたよりも話の進行が早く、主人公ウォルターと若い友人との交流が多く描き込まれていないせいだろう。何せ、タリクを不運が見舞って、その母親モーナ(ヒアム・アッバス)が心配して訪ねてきたとき、ウォルターは「知り合って10日ほど」と語っている。それほどの短時間に立て続けに発生した変化なのだから、多くのイベントがあるほうが奇異ではあるのだが、もう少し掘り下げて欲しかった嫌味はある。

 そしてこの物語は、観終わって決して強いカタルシスを得ることはない。終盤に差しかかって、ようやく人間的な感情を取り戻したウォルターの心を去来するのは、あまりに激しい無力感だ。御都合主義的なハッピー・エンドとは程遠い結末には、失望する人もいるかも知れない。

 だが一方で、不思議と力づけられる心地もするはずだ。たとえ抗いようのない現実に遭遇したとしても、ウォルターはかつてのような、己の殻に閉じこもり、世界に目を向けなかった人間ではなくなった。情熱を捧げるべきものを見出し、理不尽な現実に怒りを覚える人間になった。冒頭の彼とはまるで別人になった彼がラストシーンに見せる姿は悲壮だが、だからこそ生命力に満ちあふれている。決して救われるような内容ではないのに、充実感を覚えるのはきっとそのせいだろう。

 本篇がアメリカにて、最初は僅か4館の小規模な公開であったのに、最終的に200館を超えてボックスオフィスのトップ10に名前を連ねるまでに大ヒットとなった背景には、本来移民によって成り立った国であるのに、911を経て猜疑心の塊となり、受け入れられていた人々をも遠ざけている現実を描き、それを憂える想いを汲み取ったからこそだと思われる。日本も決して他人事ではない現実なのだが、まだまだ実感している人が少ないいまは、アメリカと同じように爆発的に評価されることはないだろう。だが、決して強くなく、特別な才能も持ち合わせない人々の目で、世界の不条理な現実と、それに抗おうという想いを描き出したこの作品は、観た者の胸に間違いなく何かを刻むはずだ。

関連作品:

デュプリシティ 〜スパイは、スパイに嘘をつく〜

Shall We Dance?

バーン・アフター・リーディング

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