原題:“Yesterday” / 原案:ジャック・バース、リチャード・カーティス / 監督:ダニー・ボイル / 脚本:リチャード・カーティス / 製作:ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー、マシュー・ジェームズ・ウィルキンソン、バーナード・ベリュー、リチャード・カーティス、ダニー・ボイル / 製作総指揮:ニック・エンジェル、リー・ブレイジャー、ライザ・チェイシン / 撮影監督:クリストファー・ロス / プロダクション・デザイナー:パトリック・ロルフ / 編集:ジョン・ハリス / 衣装:ライザ・ブレイシー / 作曲:ダニエル・ペンバートン / 音楽:ダニエル・ペンバートン、アデム・イルハン / 出演:ヒメーシュ・パテル、リリー・ジェームズ、エド・シーラン、ケイト・マッキノン、ジョエル・フライ、フレクサンダー・アーノルド、ラモーネ・モリス、ジェームズ・コーデン / 配給:東宝東和
2019年イギリス作品 / 上映時間:1時間57分 / 日本語字幕:牧野琴子 / 字幕監修:藤本国彦
2019年10月11日日本公開
公式サイト : http://yesterdaymovie.jp/
TOHOシネマズ新宿にて初見(2019/10/17)
[粗筋]
もしそのことがなければ、ジャック・マリク(ヒメーシュ・パテル)はミュージシャンになる、という夢を諦めていたはずだった。
スーパーマーケットでアルバイトをしながら食いつなぎ、幼馴染みで教職の傍らマネージャー代わりを務めるエリー・アップルトン(リリー・ジェームズ)のサポートを受けながら活動を続けているが、なかなか芽が出ない。
起死回生のチャンスと望んだフェスでの演奏も、観客の集まりは悪く、ジャックは潮時を悟った。未練ありげなエリーと別れ、自転車で家路について間もなく、世界に異変が起きる。
12秒間、全世界で同時に停電が発生した。
その一瞬の間にバスにはねられたジャックは昏睡状態に陥った。だが怪我は少なく、前歯を2本失っただけで、目醒めてほどなく退院の許可が出る。
事故の際に担いでいたギターは壊れてしまった。友人たちは退院祝いとして、新しいギターを用意してくれた。既にミュージシャンの夢を諦めていたジャックだったが、求められるままに演奏を始める。選んだのは今の心境にそぐわしい、ビートルズの“Yesterday”。
だが、友人たちの反応は奇妙だった。エリーに至っては涙を流して感激し、「いつ書いたの?」と訊いてくる。
たちの悪い冗談としか思えなかった。しかしそれからも周囲のひとびとの反応に不自然なものを感じたジャックが自身の棚を漁ると、あったはずのビートルズのレコードが1枚もない。ネットで検索をかけても、カブトムシがヒットするだけだった。
事故を境に、ビートルズという存在が、世界から消えてしまったのだ。
その日からジャックは、記憶を頼りにビートルズの楽曲を演奏するようになる。最初のうちはあまり芳しい反応は得られなかったが、誘いを受けてレコーディングを実施すると、途端に事態は大きく動き始めるのだった――
[感想]
実のところ、調べてみるとそれ自体は決して独創的なアイディアではない。“大きな影響を及ぼした存在がこの世に現れなかったら?”という仮定で描かれた物語は本篇以前にも存在するし、ビートルズに限っても前例はあるようだ。
それらの前例に接したわけではないので断言する権利は私にはないが、もし本篇に他の作品より優れている点があるとするなら、それはやはりスタッフのレベルの高さと、ビートルズというものへの造詣、愛情の深さが絶妙に調和していることではなかろうか。
まず、優れた着想を物語の中で転がす手管が見事だ。世の中からビートルズの記憶が消えているから、と彼らの曲を自分のものとして発表しても、それが何も知らない観衆にすんなりと受け入れられるわけではない。まず狭い範囲で認められたものが、ネットの力で一気に評判が広まっていく、という如何にも現代的なプロセスで拡散していく形になっており、ビートルズをリアルタイムで知らない世代にもしっくり来るお膳立てになっている。
そしてそこからの、まるで坂道を転がり落ちるかのような急展開もまた現代的リアリティに富んでいる。当代の一流ミュージシャンに認められて表舞台に出るきっかけを与えられ、プロモーターがつくとこんどはどのようにイメージを作り、売っていくか、という戦略を決める段取りに推移していく。こうした、昨今の音楽業界における伝播の様子やマネジメントの有り様をパロディ的に採り上げていることも本篇の面白さのひとつだ。こうした一連の描写には、売るためにイメージから作り上げてしまう業界に対する皮肉めいたものも窺える。
もうひとつ興味深いのは、ジャックというキャラクターと“ビートルズの楽曲”という組み合わせで、創作者、表現者としての偽りない心情の変化を巧みに汲み取っている点だ。
周囲のひとびとの記憶からビートルズの存在が消えている、と気づいたことで、ジャックは自らの記憶を掘り起こし、自分の曲として発表する。そこにはもちろん売れないミュージシャンという立場から脱却したい、という強い想いがある。だが、聴いたひとは認めてくれるが、当初はそれほど芳しい反応は得られない。ジャックとしては釈然としないだろう。なぜなら、もともとの世界ではスタンダードになったような曲ばかりだ。自信の持てない自作の曲とは訳が違う。
やがては受け入れられ、そこから一気に大きなムーブメントを巻き起こしていくわけだが、そうするうちに罪悪感が芽生えていく。本当は自分はこれほど熱狂的に歓迎されるような才能の持ち主ではない、という自虐に加え、実は自分以外にもビートルズの記憶を残しているひとが存在して、いつか責められるのでは、という恐怖にも苛まれていく。終盤ではここに更にもうひとひねりも加えてくる。
こんな状況に対峙する可能性などまずないので、同じような心理的変遷を辿るひとはいないにしても、場面場面でジャックが抱く心情は、何かしらの創作に携わる者なら共感できるはずである――共感できないとしたら、ちょっと自分の倫理観を疑った方がいい。
ジャックのそんな態度に窺えるのは、創作、表現者としての矜持と、大いなる先達へのリスペクトだ。作品の質を認めているからこそ利用しようとしたのだし、敬意があるから罪悪感も抱く。そして、終盤でのある出来事に感情を爆発させるのも、ビートルズやその楽曲に対する思い入れがあればあるほどに頷けるところだろう。
つまるところ本篇は、ビートルズの不在を通して、そのアーティストとしての魅力を表現し、作り出した楽曲に敬意を表した作品と言える。ビートルズが好きなひとはもちろん、ビートルズに思い入れがない、或いは否定的な見解を持っているひとでも、本篇が捧げる敬意や愛情を否定は出来ないはずだ。
それが最も実感できるのは、クライマックス手前に仕掛けられた趣向だ、と私は考える。ちょっとした驚きを与える一場面だが、個人的には、あれこそ本篇がほんとうにやりたかったことのような気がしている。
その趣向は、本篇と近い時期に公開された話題作において、また違った手法で実現している。しかし、ある要素を加えることで歴史を変えてしまったあちらに対し、本篇は歴史からある部分をごっそり引くことで、ビートルズという音楽家の偉大さを証明しながら、叶わなかった夢を実現しているのだ――どちらのほうが正しい、という話ではなく、ある事実をフィクションとしてどのように昇華するか、という極端なサンプルが同時期にふたつ現れる、というのが興味深い。
本篇は決してビートルズの楽曲に頼り切った作品ではない。エンドロールで引用している以外はすべてを独自にアレンジ、主人公のヴォーカルで収録しており、現代的なテイストで用いている。実際の発表順ではなく、物語の展開に寄り添ったかたちで使用しているので、曲の内容もより実感しやすい。そして、テンポの良い描写のなかに細かなユーモアも鏤めており、胸の痛むような展開でも語り口は終始軽快だ。
現実にこんな出来事が起きたとしても、きっと世界はここまで優しくはない、とは思う。しかしそう思ってもなお、本篇の提示する物語や感情は快い。ビートルズが好きなひとも、それほどではないひとも、観終わって幸せな気分になれる、ある意味でこれ以上なく音楽を有効に活用した映画だろう。
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