『ロケットマン(字幕・Dolby ATMOS)』

自宅にて撮影したパンフレット表紙。。

原題:“Rocketman” / 監督:デクスター・フレッチャー / 脚本:リー・ホール / 製作:アダム・ボーリング、デヴィッド・ファーニッシュ、デヴィッド・リード、マシュー・ヴォーン / 製作総指揮:マイケル・グレイシー、エルトン・ジョン、ブライアン・オリヴァー、クラウディア・ヴォーン、スティーヴ・ハミルトン・ショウ / 撮影監督:ジョージ・リッチモンド / プロダクション・デザイナー:マーカス・ローランド / 編集:クリス・ディケンズ / 衣装:ジュリアン・デイ / キャスティング:レジナルド・ポースコートエドガートン / 振付師:アダム・マレー / 音楽プロデューサー:ジャイルズ・マーティン / オリジナル・スコア:マシュー・マージェソン / 出演:タロン・エガートンジェイミー・ベルリチャード・マッデンブライス・ダラス・ハワード、ジェマ・ジョーンズ、スティーヴン・マッキントッシュ、トム・ベネット、マシュー・アイルスリー、キット・コナー、スティーブン・グラハム、チャーリー・ロウ / 配給:東和ピクチャーズ

2019年アメリカ作品 / 上映時間:2時間1分 / 日本語字幕:石田泰子 / 字幕監修:新谷洋子 / PG12

2019年8月23日日本公開

公式サイト : https://rocketman.jp/

TOHOシネマズ日比谷にて初見(2019/8/31)



[粗筋]

 中毒患者のグループセラピーの席に、派手で奇抜な衣裳の男が現れた。エルトン・ハーキュリーズ・ジョン(タロン・エガートン)を名乗る男は、自らをアルコール、ドラッグ、セックス、処方薬の中毒者だと言った。エルトンは他の患者たちやセラピストに向けて、自らの過去を語りはじめる。

 エルトンの出生時の名前をレジナルド・ドワイトだった。幼いレジー(マシュー・アイルスリー)は早くから音楽の才能を示し、ろくに習わないうちから、耳にしたメロディをピアノで弾く能力を身に付けていた。

 レジーはふだん家にいることのない父スタンリー(スティーヴン・マッキントッシュ)に褒めてもらおうとしていたが、スタンリーは妻シーラ(ブライス・ダラス・ハワード)にも関心がない。シーラもまたレジーに対してまともに向き合っておらず、幼少の頃のレジーは常に孤独を味わっていた。

 その一方でレジーは音楽の才能を発揮、王立音楽院への入学が認められた。在学中に、当時流行が始まったロックンロールに魅せられ、友人たちと共に“ブルーソロジー”というバンドを結成する。彼らの演奏はプロモーターの目に留まり、他のミュージシャンやコーラスグループのバックバンドとして起用され、全国各地を旅で回るようになっていった。この頃、レジーは自らの殻を破るために、いままでの名前を捨て、バンド仲間にあやかって“エルトン・ジョン”を名乗るようになった。

 あるときエルトンは、音楽出版社で新人アーティストを公募している事実を知る。事務所のスタッフはエルトンの演奏に決して色好い反応を示さなかったが、即興演奏の才能は認め、他の新人から預かった詩に曲をつけるよう依頼する。

 この作業が、思わぬ化学反応を起こした。エルトンは渡された歌詞に触発され、瞬く間に曲を書き上げてしまった。ほどなく直接面会した詩人バーニー・トーピン(ジェイミー・ベル)とエルトンはすぐさま意気投合、ふたりは手紙をやり取りして、曲作りに励む。

 ふたりで作った曲を携え、ふたたび音楽出版社での面接に臨んだエルトンだったが、反応はまたしても芳しくなかった。ボスであるディック・ジェームズ(スティーブン・グラハム)は時間のロスをなくすため、エルトンとバーニーに共同生活を勧めた。

 下宿先から追い出され、最終的にふたりはエルトンの実家で同居を始める。あるとき、バーニーがひとつの歌詞を手渡すと、エルトンは鍵盤の前に座るなり、まるで湧いてきたかのように美しい旋律を奏ではじめた。のちにエルトン・ジョンにとっての代表曲となる『ボクの歌は君の歌』の誕生を境に、彼らの運命は急速に動き始めた――なかば、エルトン自身の心を置き去りにして。

[感想]

 大成功を収めた『ボヘミアン・ラプソディ』のもう一人の監督が2匹目のドジョウを狙った――と捉えているとしたらだいぶ失礼だ。ハリウッドの製作ペースで、僅か1年程度でこの規模の作品を発表するのは不可能だし、本篇の企画は当事者であるエルトン・ジョンが長いこと抱えていて、『キングスマン』でプロデューサーのひとりマシュー・ヴォーンおよび主演のタロン・エガートンと出会い、監督に伝記作品の経験もあるデクスター・フレッチャーが起用されたことで動き始めた、という経緯だったらしい。製作期間はかなり『ボヘミアン・ラプソディ』と重なっている、と考えられ、双方にデクスター・フレッチャーが関わっていることも、公開が相次いだことも成り行きに過ぎない。

 何よりこの作品、『ボヘミアン・ラプソディ』とは、題材となる人物、およびその楽曲の扱い方がまるで異なる。

 時系列の整理再編を施し、巧みに盛り上がりを作っているが、『ボヘミアン・ラプソディ』は基本的に実際の出来事に沿い、音楽はクイーンの面々が作っている姿を描いて、あくまで彼らの楽曲として表現している。それに対し本篇は、エルトン・ジョンの楽曲を、それが実際に制作される以前の場面でミュージカル的に活用している。『ボクの歌は君の歌』はその伝説的な誕生の経緯をそのまま劇中でも描いているが、ほとんどの楽曲はそのときどきのエルトン・ジョン自身や周囲の人々の心情を表現するものとして用いている。

 そこには、中心人物であるフレディ・マーキュリーが既に故人であった『ボヘミアン~』に対し、本篇の題材であるエルトン・ジョンが存命であることに加え、当のエルトン・ジョン自身が製作に関与していた点も大きく関わっている。もしエルトンが単純な自己顕示欲のみで、自身の立身出世を描きたかっただけなら、恐らく本篇のような表現は選ばなかっただろう。

 本篇において描かれるのは、エルトンの成功物語というよりも、名声とは裏腹な失意や挫折の繰り返しだ。親の愛を求めながら与えられることなく孤独を味わった少年時代、ロックと出会い才能を開花させながらも、自身の性的嗜好ゆえの失恋や失意も味わっていく。そして、早すぎる成功ゆえにひとが群がり、欲望によって貪られ、のちにその事実を知ることによって味わう失望。大金を稼いでいたからこその放蕩ゆえに、肉体も心も酒とドラッグに蝕まれ、壊れていく。

 本篇は世間的には大成功を収めたかに映るエルトンが、グループ・セラピーの席で自らの半生を語る、という体裁で描かれる。自身の過去に犯した過ちを腹蔵なく語ることで心の均衡を回復する、という手法だが、これを作品の語りとしてそのまま流用している格好だ。話が進むうちに、最初に纏っていた派手な衣裳を少しずつ脱いでいく、という描写はやや安直にも思えるが、しかし回想の中で成長し、着実に世間にその名を知られていく事実とは対照的に、自らの性的指向に関する秘密、それ故に傷心し、ときには裏切られることで抱え込んでいった鬱屈が解り易い。それは、ステージ衣装や派手なパフォーマンスが、そんな脆さや弱みを隠す鎧であったことも暗示している。

 そして、やもすると陰鬱になりかねない一連の出来事を、エルトン自身の楽曲を用いたミュージカル・パートで軽快に彩ることで、暗さを抑えている。その感情は痛いほど伝わるのに、映画としては華やかだ。日本人には『ボクの歌は君の歌』を筆頭とするバラード・シンガーの印象が強いエルトンだが、劇中でも描かれるとおり、そのステージングはかなり派手と言っていい。それをきちんと物語の流れに乗せながら、メッセージ性と魅力とを織り込んでいる。少年から青年になる瞬間を1曲の中で表現したり、エルトンが跳ねたときと観客の跳ねるタイミングが一致し、空中で時間の流れが遅くなる、という奇跡的な一瞬を誇張してみたり、と工夫も多彩で、その瞬間、沈鬱な背景すら忘れて惹きこまれてしまう。

 本篇はエルトン・ジョンという、歴史的に見ても突出した成功を収めたアーティストの武勇伝ではなく、表面的な成功の裏にあった奇矯な行動の理由を描き、そんな自分自身と折り合いをつけていくまで、を描いた作品だ。そういう意味で、手法こそ異なれど、フレディ・マーキュリー性的指向や才能と向き合い、自らにとってのバンド“クイーン”の必要性を描いた『ボヘミアン・ラプソディ』とやはり相通じるものがある、とも言える。そのうえで本篇はより内省的で、かつエルトン・ジョンというサーヴィス精神旺盛なアーティストの本質に踏み込む作りになっている。映画的な昂揚感を味わわせながら、ある人物の内面へと導いていく、ユニークだが理想的な伝記映画だ。

 触れるタイミングを逸してしまったが、本篇を観る上で、タロン・エガートンの名演ぶりはやはり何よりも注目すべきポイントだろう。

 風貌は決して本家に似ていない。撮影に際して贅肉を付けた様子が窺えるが、それでもやはり面差しは本人よりもシャープだ。しかし、当人のエキセントリックな振る舞いを自然にこなし、巧みな感情表現でこの映画ならではのエルトン・ジョン像を見事に確立している。

 特筆すべきはその歌唱力だ。奇しくもイルミネーションのアニメ『SING シング』でエルトン・ジョンの楽曲『I’m Still Standing』を歌い、その実力は証明済だが、決してエルトンに寄せすぎず、しかしその人物像に説得力をもたらす絶妙な歌唱を本篇で披露している。曲が誕生する瞬間を、自身のピアノ伴奏で表現した『ボクの歌は君の歌』のくだりなど、見せ場も多い。

ボヘミアン~』のラミ・マレック同様、あまり似ていないはずなのに、気づけばエルトン・ジョンそのものに見えてしまっていた。ラミ同様にオスカーに輝く――かどうかは解らないが、彼のキャリアを代表する作品になったのは間違いないと思う。

関連作品:

ボヘミアン・ラプソディ』/『キングスマン:ゴールデン・サークル』/『戦火の馬

SING シング』/『フィルス』/『ジュラシック・ワールド』/『機械じかけの小児病棟』/『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』/『Re:プレイ

グレン・ミラー物語』/『バード』/『五線譜のラブレター DE-LOVELY』/『ビヨンドtheシー~夢見るように歌えば~』/『アイム・ノット・ゼア』/『ジャージー・ボーイズ

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