『グッド・シェパード』

原題:“The Good Shephered” / 監督:ロバート・デ・ニーロ / 脚本:エリック・ロス / 製作:ロバート・デ・ニーロ、ジェームズ・G・ロビンソン、ジェーン・ローゼンタール / 製作総指揮:フランシス・フォード・コッポラ、デヴィッド・ロビンソン、ガイ・マケルウェイン、クリス・ブリガム、ハワード・カプラン / 撮影監督:ロバート・リチャードソン,A.S.C. / プロダクション・デザイナー:ジェニーン・オップウォール / 編集:タリク・アンウォー / 衣装デザイン:アン・ロス / 音楽:ブルース・ファウラー、マーセロ・ザーヴォス / CIAテクニカル・アドヴァイザー:ミルト・ベアデン / コンサルタント:リチャード・C.A.ホルブルック / 出演:マット・デイモンアンジェリーナ・ジョリーアレック・ボールドウィン、タミー・ブランチャード、ビリー・クラダップロバート・デ・ニーロケア・デュリアマイケル・ガンボンマルティナ・ゲデックウィリアム・ハートティモシー・ハットンリー・ペイスジョー・ペシジョン・タトゥーロ、ジョン・セッションズ、エディ・レッドメイン、オレグ・ステファン / アメリカン・ゾエトロープ、トライベッカ、モーガン・クリーク製作 / 配給:東宝東和

2006年アメリカ作品 / 上映時間:2時間47分 / 日本語字幕:松浦美奈

2007年10月20日日本公開

公式サイト : http://www.goodshepherd.jp/

ユナイテッド・シネマ豊洲にて初見(2007/11/07)



[粗筋]

 第二次世界大戦開戦前夜、エドワード・ウィルソン(マット・デイモン)はまだイェール大学に籍を置く、ただの青年に過ぎなかった。

 才能が認められて、裁判官から大統領までエリート・コースを進む若者たちの秘密結社“スカル&ボーンズ”に勧誘されてしばらく経ち、彼は突然FBI捜査官のサム・ミュラック(アレック・ボールドウィン)の接触を受ける。折しもナチス・ドイツと各国の緊張が高まる中、エドワードの師事するフレデリックス教授(マイケル・ガンボン)が国内のナチ党に名前を連ね人材を集めているという噂が立っており、観察力を評価されたエドワードは内偵を依頼されたのである。危険をかいくぐって、党員リストを入手したエドワードがミュラックにそれを手渡してのち、フレデリックス教授は辞職に追い込まれる。

 この出来事が、第二次世界大戦開戦後のエドワードの立場を決定づけた。もともと従軍予定だった彼だが、ラッセ上院議員(ケア・デュリア)の主催する“スカル&ボーンズ”OBとその家族を招いたパーティの席上で先輩のフィリップ・アレン(ウィリアム・ハート)からビル・サリヴァン将軍(ロバート・デ・ニーロ)を紹介され、戦争中の情報戦を有利に運ぶための諜報機関へと勧誘されたのである。

 エドワードはこの申し出を受け入れたが、しかし私的なところで彼の身に思わぬ事態が出来していた。彼は聴覚障害のあるローラ(タミー・ブランチャード)という女性と交際を重ねていたが、まさに将軍と引き合わされたその晩、上院議員の娘マーガレット(アンジェリーナ・ジョリー)と勢いで交わり、結果彼女を懐妊させていたのである。責任を取るために結婚した彼のもとに、将軍からの使者がロンドンへの駐留を伝えに来たのは、まさにその挙式の日であった。

 1941年、エドワードは情報操作のノウハウを学ぶべくロンドンにて諜報機関の責任者と接触するが、そこにいたのは何とフレデリックス教授であった――ナチ党に潜入して調査していた彼が、逆に網にかかってしまったのである。しかし活動の流れがそう促しただけだと意に介することなく、フレデリックス教授らはエドワードに技術を伝えていった。最終的に、その嗜好故に上層部から危険視された自分が“処理”される姿を見せ、諜報活動の非常さをもエドワードに教える……

 終戦後、エドワードは亡命者と情報提供者の管理のために、ロンドンからベルリンへと拠点を移す。都合6年、挙式からまったく本国に戻るということのなかったエドワードは、未だ産まれた子供の顔を直接目にしていない。空閨に喘いだ挙句、妻には男の影がちらついている。そんなエドワード自身も、ベルリンの地で過ちを犯していた。

 紆余曲折を経て、エドワードはようやく本国に帰還する。しかしそんな彼を待っていたのは安寧ではなく、戦時中に在籍していたOSSの延長線上に創設される新たな諜報機関、CIA幹部の椅子であった……

[感想]

 間もなく最新作にして完結編『ボーン・アルティメイタム』が公開される、記憶を失い自らを生み出したCIAによって追われる身となった暗殺者の戦いを描いた“ジェイソン・ボーン”シリーズによって押しも押されもしない大スターとなったマット・デイモンが、完結編公開に先駆けて、そのCIAの礎を築いた人々をモデルにした人物を演じる、というのがまず興味深いが、肝心の役柄も、そうした観点からすると非常に面白いものを感じさせる。

 いずれも寡黙であり、あまりユーモアというものを示さない、ハリウッド映画の主人公としては少し変わった雰囲気を持ち合わせている点で共通しているが、あちらが自らが陰謀のただ中で直接戦いを繰り広げる男なら、本編は背後で情報を操りながらも、より大きな情勢に流され巻かれている男である。また“ジェイソン・ボーン”シリーズが、情勢的には固定されているのに対し、本編は目まぐるしく変転する。この、本人の特性とは反比例するプロットのお陰で、それぞれの個性がいっそう際立ち、同じCIAという組織に属する寡黙な男をきちんと差別化している。製作者がまるで異なるため、スタッフがそう意識したわけではないだろうが、それだけにいっそうマット・デイモンという俳優の巧さが実によく解る。

 演出を手懸けるのは、役のためには肉体改造も厭わないスタイルによってハリウッドに革新を齎し、自らもサリヴァン将軍役で出演しているロバート・デ・ニーロである。自らが俳優であるせいか、カメラワークや特異な映像加工に頼らず、俳優の演技をじっくりと押さえていくスタイルを選択しており、そのためにやや尺が長くなっているきらいはあるものの、重厚感に富んだ仕上がりとなっている。“ジェイソン・ボーン”シリーズとの差違を明確に示して主人公として稀有な存在感を発揮するマット・デイモンもさることながら、奇妙な縁で終始その関係に困惑し続ける妻を穏やかなトーンで体現したアンジェリーナ・ジョリーや、結果としてエドワードにあらゆる形でスパイとしての心得を叩きこむこととなったフレデリックス教授を洒脱に演じたマイケル・ガンボンなど、それぞれがくっきりと存在感を主張しており、見所に事欠かない。

 それにしても感心させられるのは脚本の巧さである。エリートたちの秘密結社から諜報機関へと至る流れに、第二次世界大戦から冷戦、そしてピッグス湾の失態という史実を巧みに織りこみつつ、寡黙なエドワード・ウィルソンという男の心の遍歴を実に克明に描ききっている。そもそも寡黙で生真面目、と言いながら、イェール大在籍中の彼は女装で舞台に立ち、表情豊かで感情の波も大きい。だが、そんな彼が恋愛関係についての失敗や、そもそもは“国を守る”という大義の下に動いていたはずが、駆け引きと騙し合いに私利私欲が絡み、何の為に働いているのか解らなくなり、遂に祖国と家族を天秤にかけるような選択を迫られることになる。それを乗り越えたとき、もともと表情の乏しかったエドワードは感情はおろか存在さえ希薄になってしまったような印象を観る側に齎す。事実、最後の数分間では、カメラは彼の表情をあまり追わない。暗がりから正面に歩いてくる姿は表情がまともに映らず、更にラストシーンは多くの名画をなぞるように後ろ姿のみ。ひとりの男が闇へと埋没していくその最期を見届けるかのようなエンディングは、派手さはないが極めて沈鬱で味わい深い。

 極端なまでに人間関係が入り組み伏線が緻密であるため、漫然と観ているとすぐに混乱を来すために、映画を気晴らしやシンプルな娯楽として享受しようとする向きには合わないだろうが、渋く重厚感のある、優秀な映画であることは間違いない。

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