原題:“Boogeyman” / 監督:スティーヴン・ケイ / 原案・共同製作:エリック・クリプキ / 脚本:エリック・クリプキ、ジュリエット・スノードン、スタイルズ・ホワイト / 製作:サム・ライミ、ロブ・タパート / 製作総指揮:ゲイリー・ブライマン、スティーヴ・ハイン、ジョー・ドレイク、ネイサン・カヘイン、カーステン・ロレンツ / 撮影監督:ボビー・ブコウスキー / プロダクション・デザイナー:ロバート・ギリーズ / 編集:ジョン・アクセルラッド / 衣装:ジェーン・ホランド / キャスティング:リン・クレッセル,C.S.A. / 音楽:ジョセフ・ロドゥカ / 出演:バリー・ワトソン、エミリー・デシャネル、スカイ・マッコール・バートシアク、トーリー・マセット、アンドリュー・グローヴァー、ルーシー・ローレス、チャールズ・メイジャー、フィリップ・ゴードン、アーロン・マーフィー / ゴースト・ハウス・ピクチャーズ製作 / 配給:角川ヘラルド映画 / 映像ソフト発売元:松竹ホームビデオ
2005年アメリカ作品 / 上映時間:1時間30分 / 日本語字幕:?
2006年6月3日日本公開
2006年9月28日DVD日本盤発売 [bk1/amazon]
公式サイト : http://www.boogeyman.jp/ ※閉鎖済
DVDにて初見(2010/01/19)
[粗筋]
想像力豊かなティム少年(アーロン・マーフィー)は父親(チャールズ・メイジャー)から、クローゼットに潜む怪人“ブギーマン”の話を散々聞かされた結果、夜の閉ざされた空間に強い怯えを抱くようになった。ある晩、そんな彼に業を煮やした父親は、目の前で「何もない」と証明しようとした。だが、不在を証明する代わりに父親は、ティムの目の前で、“何か”によってクローゼットに引きずり込まれ――そのまま姿を消した。
15年後。成長したティム(バリー・ワトソン)は雑誌のチェック係として一人暮らしをしていたが、かつて味わった恐怖は未だに彼の中に強く根を下ろしていた。中身が確認できないことが怖く、部屋にあるクローゼットも冷蔵庫もすべてガラス張りかスリットの入ったものばかりを揃えている。
週末、職場で知り合った恋人ジェシカ(トーリー・マセット)の実家を訪ねたティムは、泊めてもらった部屋で、父親の失踪以来疎遠になっていた母親(ルーシー・ローレス)の姿を夢に見る。予感に駆られた彼が母の元に向かおうとしたその矢先、叔父のマイク(フィリップ・ゴードン)から母の死を知らされるのだった。
急遽、帰省したティムは、かつて世話になった小児科の医師と再会、未だに“ブギーマン”の幻影に囚われていることをたしなめられ、忌まわしい記憶のある我が家に泊まることを薦める。その言葉に従い、既に住む人のいなくなって久しい我が家に赴いたティムは、だが次第に、ある確信を固めていく。
あれは、幻覚ではない。父を奪ったのは、“ブギーマン”なのだ、と。
[感想]
あの『死霊のはらわた』のサム・ライミ製作だから、と期待して観た人からは軒並み不評を集めている本篇だが、実際に観てみると成る程、と頷かざるを得ない。これはかなり不出来だ。
そもそも日本人にとって、クローゼットに潜む怪人・ブギーマンなるものがまったく浸透していない、という障害はあるが、仮に理解していたとしても、怪奇現象の内容がこのブギーマンの定義とほとんど関わりがないため、いまいち怖さに結びつかない。まだ雰囲気だけの序盤はまだしも、どんどん奇怪な出来事が陸続と繰り返される終盤など、ほとんど意味不明だ。
恐怖を演出するために必要な人間関係やドラマの組み立ても、あまりに杜撰すぎる。実質的に断絶状態にあった母親との関係は、奇怪な出来事のきっかけになっているにも拘わらず掘り下げられていないし、中盤で登場する少女の背景にしても、提示が唐突すぎてまったく効果を上げていない。クライマックスに至っては、映像的な派手さしか印象に残らず、カタルシスよりも肩透かしの感の方が強い。
ただ、DVDに収録された未公開シーンを眺めてみると、どういう意図で作られたのかは察しがつくし、実のところ否定するには惜しいポイントもけっこうある。
たとえば、主人公ティムがかつて味わった恐怖のために、部屋中のドアを素通しにしている、というアイディアは面白い。ジョナサン・リーベスマン監督の『黒の怨』にて、暗闇の恐怖に怯える青年が灯りの絶えない街・ラスベガスに暮らし懐中電灯を集めている、という似たようなモチーフを扱っているが、描写の薄気味悪さは本篇のほうが秀でている。
非常に丁寧に作られた舞台と、その立体感をうまくフォローしたカメラワークも悪くない。現在と過去が交錯するシーンをいくつも組み込むことで、記憶と原罪の経験とに翻弄される主人公の感覚はかなり再現されている――如何せん、共感を生む仕掛けがないために奏功していないのは残念だが。
事態を決着させるアイディア自体も、それそのものは決して悪くはないのだ。ただ、何故それが源となり、事態の解決に繋がるのか、観客を納得させるための伏線をまったく顧慮していないので失敗しているのである。脚本家が悪いのか、過程で人の手が入ったために崩壊したのか、いずれにしてもシナリオ自体に大きな問題を孕んでいるのは間違いなさそうだ。
恐らく本篇は、「クローゼットや、閉じられた扉の向こうに何かが潜んでいる」という、小さい子供が抱く恐怖を引きずったらどうなるか、それが日常生活の端々に恐怖をもたらす様を描くことをまず主眼に置いて作ったのだろう。未公開となったシーンにこうしたシチュエーションが多い点からそんな風に想像できる。だが、ちゃんと人物関係の整頓もせずに、一時期の流行りに倣って、ドラマや奇妙な逆転劇を盛り込もうとした結果、失敗に終わった作品のように感じた。
興味深いのは、本篇の製作を担当したサム・ライミが2009年、久々に自ら監督して撮った『スペル』という作品が、まるで本篇の欠点を意識して作られていたように思えることだ。本篇をリリースした結果、「人任せには出来ない」と実感して、『スパイダーマン』以前から寝かせていたという『スペル』の脚本をふたたび掘り起こした――と想像するのは、少々穿ちすぎだろうか。
関連作品:
『死霊のはらわた』
『スペル』
『黒の怨』
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