原題:“Shazam!” / 監督:デヴィッド・F・サンドバーグ / 原案:ゲイリー・ヘイデン、ダーレン・レムケ / 脚本:ヘイリー・ゲイデン / 製作:ピーター・サフラン / 製作総指揮:ジェフリー・チャーノフ、クリストファー・ゴッドシック、ウォルター・ハマダ、ジェフ・ジョンズ、アダム・シュラグマン、リチャード・ブレナー、デイヴ・ノイスタッター、ダニー・ガルシア、ハイラム・ガルシア、ドウェイン・ジョンソン / 撮影監督:マキシム・アレクサンドル / プロダクション・デザイナー:ジェニファー・スペンス / 編集:ミシェル・オーラー / 衣装:リア・バトラー / キャスティング: / 音楽:ベンジャミン・ウォルフィッシュ / 出演:ザッカリー・リーヴァイ、マーク・ストロング、アッシャー・エンジェル、ジャック・ディラン・グレイザー、アダム・ブロディ、ジャイモン・フンスー、フェイス・ハーマン、グレイス・フルトン、イアン・チェン、ジョヴァン・アルマンド、マルタ・ミランス、クーパー・アンドリュース / 日本語吹替版声の出演:菅田将暉、緒方恵美、阪口大助、子安武人、平野綾、杉田智和、楠大典、三石琴乃、佐藤二朗 / 配給:Warner Bros.
2019年アメリカ作品 / 上映時間:2時間12分 / 日本語字幕:アンゼたかし / 日本語吹替版演出:福田雄一 / 吹替版演出補:久保宗一郎 / 吹替翻訳:佐藤恵子
2019年4月19日日本公開
公式サイト : http://shazam-movie.jp/
TOHOシネマズ日本橋にて初見(2019/4/24)
[粗筋]
1974年、疾走する乗用車に乗っていたはずのサデウス・シヴァナ少年は、気づけば石造りの宮殿のような場所にいた。彼を待ち受けていた魔術師(ジャイモン・フンスー)は、衰えた自らに代わり、英雄達の力を受け継ぐに相応しい人物を捜している、という。だが、自分を軽んじる父や兄に対する憎しみに囚われていたサデウス少年は魔術師に失格の烙印を押され、元の場所に返される。その事実が、以後何十年も、サデウス・シヴァナ(マーク・ストロング)を支配し続けた――。
時は移り、現代のアメリカ、フィラデルフィア。ビリー・バットソン(アッシャー・エンジェル)は6組目の里親に引き取られることになった。彼を引き取ったのは既に5人の里子を預かるバスケス夫妻。里子はいずれもだいぶ風変わりな子供たちばかりだったが、幼少時にはぐれた母親を見つけることに囚われているビリーは、この家にも居つくつもりはさらさらなかった。
だが、同い年の里子仲間フレディ・フリーマン(ジャック・ディラン・グレイザー)は、ビリーの冷めた態度にもお構いなしに接近してきた。ビリーとしては親しくなるつもりもなかったが、脚の悪い彼が学校のいじめっ子に“母親も居ないくせに”といたぶられているのを目撃して、思わず助けてしまう。必死に逃げ、地下鉄に駆け込んだビリーは、その直後、気づくと石造りの宮殿にいた。
ビリーは知るよしもなかったが、何十年にも亘る執念で宮殿への扉を発見したサデウス・シヴァナによって、宮殿に閉じ込められていた悪魔“七つの大罪”は解き放たれ、シヴァナに同化していた。既に衰弱しきっていた魔術師は焦りのあまり、ろくにその人間性を試すこともせず、ビリーに自らの力を託してしまう。
ふたたび気づいたとき、ビリーは元の地下鉄のなかにいた――雷のマークがあしらわれた赤いスーツにヴェールみたいな白いマント、というやたらとダサいコスチュームのヒーロー・シャザム(ザッカリー・リーヴァイ)の姿で。
[感想]
小さい頃、自分もいつかはヒーローになれる、と思っていたひとは多いはずだ。幼くして悟ってしまったようなひとを除けば、ほぼ例外なく、そんな想像に浸った経験があるのではなかろうか。
本篇はそのシンプルな願望が、実際に叶ってしまった場合、というのを完璧にシミュレーションすることで、見事コメディに昇華させている。
絶妙なのは、ヒーローについての知識が通り一遍しかないビリー・バットソンに、対照的に造詣豊かなフレディ・フリーマンというキャラクターを相棒につけたことだ。対話で“ヒーロー”というものの能力やあり方を探るプロセスがあることで、それらが持つ特異性、滑稽さを引き出し、コメディに昇華させると同時に、ヒーローもののセルフ・パロディ的な風味をも生み出している。
この作品、ストーリーを辿っていくと、基本はヒーローものの王道なのだが、その王道らしい設定や展開に対する揶揄で満ちあふれている。次の勇者の候補を手当たり次第に呼び寄せた結果、その体験がさながら都市伝説のように拡散し、更にはドクター・シヴァナのような禍根を生み出しているところや、クライマックスで逆転のきっかけを作る趣向あたりは、痛烈な皮肉とも捉えられる。
そもそもヒーローは、強大な敵の登場や天変地異の到来、といった事象がなければその能力を発揮することが出来ない。本篇に先行するDCエクステンデッド・ユニヴァース作品『マン・オブ・スティール』や『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』にはヒーローが社会的な脅威と捉えられる可能性を描いてシリアスなドラマにしていたが、本篇の場合、当座は無用の長物でしかない特殊能力を持たされた者がどうするのか、という思考実験に加え、ヒーローを生み出すプロセスそのものに悪役を作り出す可能性を秘めていることを改めて炙り出している。どこまで解ってやっているのかは解らないが、本篇の作りはヒーローものに対する自己批評精神が、思っている以上に見え隠れしている。
だがそのうえで、ほとんどのエピソードにユーモアが鏤められ、コメディという軸はブレていない。自らの能力がどこまで存在するのか確かめる過程などは終始コントの趣だが、本当の脅威が出現し追い込まれている場面であっても、本篇は絶えず笑いを挟んでくる。“シャザム”に変身する当人ビリー・バットソンという少年のいい意味での凡庸さもそうだが、このコメディとしての徹底ぶりが、本篇の強烈な自己批評性を巧妙に包み、親しみやすいものに仕立てている。
コメディとして貫きながら、ヒーローものとしての本質も疎かにしていない。初期のDCEU作品にはなかった明るさ、笑いの要素が受け入れられて大ヒットした、と捉えられる本篇だが、決して方向転換などではなく、それまでに築きあげたものがあったからこそ成功した作品なのだ。
同時期に公開された『アベンジャーズ/エンドゲーム』でシリーズとして幸福のうちに一段落を迎え、また新たなステージに突入しようとしているライヴァルに対し、再度のヒーロー集結はおろか、ヘンリー・カヴィルがスーパーマン役からの引退を示唆したり、バットマン単独新作へのベン・アフレックの出演がなくなったり、フラッシュ単独長篇の目処が未だに立っていない、など不安材料の多いDCEUだが、本篇の仕上がりには曙光が見える――ような気がする。
なおこの作品、日本語吹替版は演出に『銀魂』実写版などを手懸けた福田雄一を起用している。訳しているが故の不自然さを解消し、吹替でも自然な笑いを提供する、という意図と思われるが、おおむね成功していると言っていいと思う。画面に映る人物の口許に台詞の長さや間を合わさなければならない、という如何ともし難い制約があるために、すべての場面が文句なく笑える、というところまでは行っていないにしても、日本人に受け入れやすい言葉を巧く選んだり、福田雄一作品ではお馴染みの佐藤二朗を思わぬところで使ったりと、くすぐりを欠かさず吹替版ならではの笑いを作り出している。
配役にも遊び心があるのがなおさらに嬉しい。かつて変身ヒーローだった菅田将暉を変身後の“シャザム”に起用したあたりもそうだが、脇を固める声優の配置にもいたずらが見え隠れしている。特に目立つのは、緒方恵美が演じるビリー・バットソンの里親に三石琴乃を配したあたりだが、他にも色々と細工が施されているようだ。吹替版を鑑賞するにあたっては、そのあたりを探るのも楽しい。
関連作品:
『マン・オブ・スティール』/『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』/『スーサイド・スクワッド』/『ワンダーウーマン』/『ジャスティス・リーグ』/『アクアマン』
『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』/『キングスマン:ゴールデン・サークル』/『ジェニファーズ・ボディ』/『ワイルド・スピード SKY MISSION』
『銀魂』/『銀魂2 掟は破るためにこそある』
『スパイダーマン』/『クロニクル』/『永遠のこどもたち』/『エスター』/『ヒューゴの不思議な発明』
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