原題:“Cloud Atlas” / 原作:デイヴィッド・ミッチェル / 監督&脚本:ラナ・ウォシャウスキー、アンディ・ウォシャウスキー、トム・ティクヴァ / 製作:グラント・ヒル、シュテファン・アルント、ラナ・ウォシャウスキー、アンディ・ウォシャウスキー、トム・ティクヴァ / 製作総指揮:フィリップ・リー、ウーヴェ・ショット、ウィルソン・チウ / 撮影監督:ジョン・トール,A.S.C.、フランク・グリーベ / プロダクション・デザイナー:ウリ・ハニッシュ、ヒュー・ベイトアップ / 編集:アレクサンダー・バーナー / 衣装:キム・バレット、ピエール=イヴ・ゲロー / 視覚効果:ダン・グラス / 音楽:トム・ティクヴァ、ジョニー・クリメック、ラインホルト・ハイル / 出演:トム・ハンクス、ハル・ベリー、ジム・ブロードベント、ヒューゴ・ウィーヴィング、ジム・スタージェス、ペ・ドゥナ、ベン・ウィショー、ジェームズ・ダーシー、ジョウ・シュン、キース・デヴィッド、デヴィッド・ギヤスィ、スーザン・サランドン、ヒュー・グラント / 配給:Warner Bros.
2012年アメリカ作品 / 上映時間:2時間52分 / 日本語字幕:野口尊子
2013年3月15日日本公開
公式サイト : http://www.cloudatlas-movie.jp/
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2013/03/15)
[粗筋]
何処とも知れぬ土地の星空の下で、片眼に傷を負った老人(トム・ハンクス)が物語を始める。どこから始まり、どこで果てるとも知れぬ物語を。
舞台のひとつは1849年。主人公のひとりは、若き弁護士アダム・ユーイング(ジム・スタージェス)。愛妻の父ハスケル・ムーア(ヒューゴ・ウィーヴィング)の依頼で、奴隷貿易に必要な契約を結ぶために、ある島へと渡った。無事にホロックス牧師(ヒュー・グラント)の印鑑を契約書に受け取ったが、間もなく彼は熱と頭痛に悩まされる……
別の舞台は1936年。同性愛が許されない時代に、恋人ルーファス・シックススミス(ジェームズ・ダーシー)との逢瀬を愉しんでいたところに、部屋に踏み込まれそうになったロバート・フロビシャー(ベン・ウィショー)は窓から脱出、新しい人生を得るべく、旅立った。彼が向かったのは、高名な作曲家ヴィヴィアン・エアズ(ジム・ブロードベント)の家。優れた作曲家の採譜者となることで、芸術史に名を刻むことを志したのだ……
また別の時代、これは1973年の出来事。芸能専門の雑誌社で記者として働くルイサ・レイ(ハル・ベリー)は、取材先のエレベーターで停電に遭い、閉じ込められる。そこに同乗していた物理学者の老紳士と親しくなり、後日、彼から電話で「大事な話がある」と呼び出された。だが、彼の滞在しているホテルで見つけたのは、頭を撃ち抜いて倒れた、彼の屍体だった。屍体の下にあった、古い手紙を思わず抜き取ったルイサは、遙か昔の数奇な愛の奇跡と、彼を襲った奇禍の正体を探りはじめる……
そして今度は2012年。ティモシー・カヴェンディッシュ(ジム・ブロードベント)は長年編集者として働いているが、充分な成績を上げられず苦しんでいる。だが、パーティの席で、彼が担当した作家ダーモット・ホギンズ(トム・ハンクス)が、自著を酷評した評論家をテラスから放り投げたことで状況は一変した。ホギンズの著書は一気に売上を伸ばし、カヴェンディッシュは大きな収入を得る。しかし、そんな彼のもとにホギンズの兄弟が押しかけ、収監されたホギンズが自分のぶんの金を払え、と言っていると警告した。既に収入の大半が返済に消えてしまっていたカヴェンディッシュは、やむなく自分も兄弟を頼るが……
更に時は経ち、2144年。給仕係として複製された人間のひとりソンミ451(ペ・ドゥナ)がある晩、予定外の時間に起こされた。厳格なルールに則っているはずの自分たち複製種のひとりユナ939(ジョウ・シュン)が、雇い主であるレストランの経営者リー師(ヒュー・グラント)と肉体関係を結ぶ禁忌を犯していることを知る。そんな彼女に、また別の禁忌である映画のワンシーンを見せられ、ソンミ451は初めて外の世界を知った。そしてそれからしばらく、発生した事件が、彼女の運命を大きく変える……
そして、最後の舞台は、文明崩壊後の地球。ザックリー(トム・ハンクス)の暮らす村の近くには、人喰のコナ族が徘徊し、しばしば村人を襲撃する。先だっても、ザックリーの弟と甥が殺害された。現場の近くにいたザックリーは、抵抗することも出来ず手をつかねて眺めていたが、家族に真実が打ち明けられずに苦しむ。そこへ、かつての技術を継承するコミュニティから、メロニム(ハル・ベリー)という人物が訪ねてくる……
[感想]
粗筋では時系列に添って並べてみたが、本篇はこれらのエピソードが不規則に入り乱れる。そして、ほぼ並列で物語られていくかたちだ。複数の視点から眺めた物語を交錯させたり、時系列を前後して語る、という手法自体は決して珍しくないが、これほど徹底してやっているのは稀有だ。
成算もなく行えば、観る側を混乱させるだけの失敗作に陥ることは想像に難くないが、本篇はこれほど複数の出来事が入り乱れてもさほど戸惑いはない。若干、意識的に話を整理する必要はあるが、いまどの時代の出来事なのか、というのはだいたい理解できるはずである。それは恐らく、ウォシャウスキー姉弟とトム・ティクヴァ、撮影においてはこのふた組の監督が別々に並行して撮影を行うことで、パートごとでそれぞれのトーンをきっちり打ち出しているからだろう。過去も近代も未来も、それぞれヴィジュアルイメージが明確であり、扱っている出来事に隔たりがあるため、把握はしやすい。
どれをどちらの監督が撮ったのか、という点を予備知識なしに察しをつけることは難しいが、私の眼から観て唯一如実だったのは2144年のエピソードだ。このパートで盛り込まれた要素、描かれている主題は、見事にウォシャウスキー姉弟がこれまでの作品で採り上げ、描き出してきたものを反復している。どこがどう、と詳しくは述べないが、或いは姉弟は、こうしたモチーフが一致しているからこそ、本篇の原作に着目したのではないか、と思ったほどだ。
こうしたあからさまな反復があるのもそうだが、個々のエピソードの骨格自体は非常にシンプルである。特に大幅なひねりがあるわけではないので、それぞれの展開は察しがつくだろう。しかしこの作品は、それらのエピソードをランダムに語り、お互いに微妙に繋いでいくことで、謎を生み、巧みに関心を惹きつけ、観客を牽引し続ける。一方ではリアルタイムで綴られる物語が、別の時間軸では書籍で、或いは映画というかたちで再現される、といった趣向が、それぞれに関連はないはずのひとびとの意識を結びつけ、共鳴させるような独特の感覚が全篇で展開されており、その影響に想いを馳せると、本篇の世界は大きく広がっていく。
本篇のそうした趣向を更に深化させているのが、主要キャストのほとんどが、それぞれのパートで異なる役を演じている点だ。ある主要キャストが作中でひとり2役、3役を兼ねる、というぐらいなら珍しくはないが、6役に及ぶ俳優が何人もいる、というのは恐らく前例はない。この趣向が、一種の遊び心としてだけでなく、全篇に“運命の面白さ”とでもいうべきものを印象づけている。あるエピソードでは気弱な善人を演じていたものが、別のエピソードでは他人から金を巻き上げ、安易にひとを殺めてしまう。かと思うと、あるエピソードでは同性愛者の男性だったものが、別のエピソードでは女性となり、もつれた人間関係故に複雑な表情を浮かべていたりする。そうした差違や変化にも情感めいたものがまとわりつき、よりいっそう物語を豊かなものにしている。恐らく、それぞれの俳優が何を演じているのか、いちどですべてを把握するのは不可能に等しく、故にエンドロールでそれを確かめたとき、再度の驚きと、更なる世界の広がりが体感できるはずだ。そして、その知識をもとにもういちど鑑賞したとき、より深く内容を噛みしめることが出来るかも知れない。
各々のエピソードは、手触り自体が根本的に異なる。最も古い時代の出来事は、まだ階級が当たり前だった頃の冒険譚の趣だし、20世紀前半のエピソードはいわば美の追求、価値観を掘り下げていく物語だ。20世紀後半では謀略ミステリのような展開があるかと思うと、ほぼ現代に位置するエピソードでは少し身近なところで繰り広げられる冒険を、際立ってユーモラスなタッチで描いている。ふたつの未来の出来事には、政治的、思想的なモチーフはおろか、宗教さえ採り入れられており、文明の変遷を辿るSFとしての興趣が著しい。
各篇の解り易さ、扱われたモチーフの凡庸な印象から、見かけ倒し、と評するひともいるかも知れない。実際、終わった時点では、各篇がそれほど固く繋がりあっていない、というふうに思えて、拍子抜けする可能性もある。だが、どこがどう繋がり、どう変化していたのか、観終わってからしばし思いを馳せていただきたい。じわじわと、作品の本当の大きさ、意欲が感じられるはずだ。
鑑賞中は、複雑さをさほど意識せずとも楽しめる。しかし、観終わったあと、それぞれの意味、理由について考え始めると、なかなか止まらない。いつしか、もういちど本篇に向き合って確かめたくなる。観客側が積極的に臨んでこそ、本篇はたぶん、本当のスケール、真価を発揮する作品だ。
関連作品:
『バウンド』
『悲しみが乾くまで』
『子猫をお願い』
『GAMER』
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