原題:“Dream House” / 監督:ジム・シェリダン / 脚本:デヴィッド・ルーカ / 製作:ジェイムズ・G・ロビンソン、デヴィッド・ロビンソン、ダニエル・ボブカー、アーレン・クルーガー / 製作総指揮:リック・ニキタ、マイク・ドレイク / 撮影監督:キャレブ・デシャネル / プロダクション・デザイナー:キャロル・スピア / 編集:グレン・スキャントルベリー、バーバラ・タリヴァー,ACE / 衣装:デルフィーヌ・ホワイト / キャスティング:アヴィ・カウフマン,CSA / 音楽:ジョン・デブニー / 音楽監修:デイヴ・ジョーダン / 出演:ダニエル・クレイグ、ナオミ・ワッツ、レイチェル・ワイズ、イライアス・コティーズ、マートン・ソーカス、テイラー・ギア、クレア・アスティン・ギア、レイチェル・フォックス、ジェーン・アレクサンダー、サラ・カドン、グレゴリー・スミス / モーガン・クリーク製作 / 配給:Showgate
2011年アメリカ作品 / 上映時間:1時間32分 / 日本語字幕:?
2012年11月23日日本公開
公式サイト : http://dreamhouse-movie.com/
TOHOシネマズ西新井にて初見(2012/12/11)
[粗筋]
私、ウィル・エイテンテン(ダニエル・クレイグ)は、多くの同僚たちに見送られて、職場をあとにした。そして家族が待つ、夢にまで見たマイ・ホームへと赴く。喧騒を離れ、落ち着いた環境で、念願の執筆生活に入ることにしたのだ。
妻のリビー(レイチェル・ワイズ)に、長女のトリッシュ(テイラー・ギア)と次女のディディ(クレア・アスティン・ギア)、愛すべき家族とともに穏やかな生活が始まった、はずだった。
新しい家には、転居した早々から第三者の気配が絶えなかった。夜、どこからともなく聞こえる囁き声に導かれて地下室に赴くと、そこには近所の不良たちがたむろしている。私が追い払ったとき、彼らはこの新居が、かつて一家殺傷事件が起きた場所だ、と言った。
そんな話は初耳だった。私は地元の警察官に事情を確かめようとするが、何故か言葉を濁すばかりで、ろくに相手をしてくれない。やむなく新聞を手懸かりに情報を辿ると、確かにこの家ではかつて、凄惨な事件が起きていた。妻とふたりの子供が銃殺され、唯一生き残った父親のピーター・ウォードが犯人として告発されるも、本人も頭部に負った損傷がもとで精神を病んで病院に収容され、しかも最近になって退院した、という報道がされている。
慄然として我が家に帰ると、ふたりの娘がひどく怯えていた。窓の近くで、「この家に住むものはみんな死ぬ」と心ない噂をしているのを聞いたのだという。どうやら向かいに住む一家の娘が元凶らしい、と思い、私が訪問していくと、娘の母親アン・パターソン(ナオミ・ワッツ)は私の来訪に心なしか戸惑った様子を見せながら、理解を示してくれた。私はくだんの惨劇について詳しい話が訊けるものと思っていたが、アンは惨劇に見舞われた一家とも親しかったらしく、聞きそびれてしまう。
それまでは漠然とした危機感だったが、しかし我が家に何者かが侵入し、追っていった私を逆に乗用車で襲うに及んで、恐怖に結実した。相変わらず非協力的な警察に業を煮やし、私は事件の真相と病院を放たれたピーター・ウォード、その両者を自らの手で探り出そうと考えた……
[感想]
『マイ・レフトフット』や『イン・アメリカ 三つの小さな願いごと』など、良質のドラマを手懸けてきたジム・シェリダン監督初のスリラー……という触れ込みだが、しかしその実、根っこのテーマは変わっていない、という気がする。
いちおうは謎と解決のある作品ゆえ詳しくは述べないが、軸となるアイディアが導くクライマックスの情動は、『イン・アメリカ』や『マイ・ブラザー』で扱ったような家族のドラマの延長線上にあるものだ。
冷静に観れば、それはかなり序盤から明白だ。日本では本篇とほぼ前後して『007/スカイフォール』が公開されているが、立て続けに鑑賞すると同じダニエル・クレイグが演じていることに違和感を覚えるくらいに温和な父親、夫であるウィルと、彼を取り巻く家族の暖かさ。対比するように持ち出される、惨劇に見舞われた一家についての情報や、壊れつつある隣人一家の姿などと並べると、ウィルたちの家族の幸せさが明瞭に際立つ。
それでも最初のうちは、家族がいずれ直面するであろう危機を想像させる不穏な気配に翻弄されるが、しかし中盤以降、そのムードが一変する。本篇の大きな特徴はここだ。変化のきっかけとなる出来事が、通常のスリラーならばもっとあとに明示されるであろうところ、かなり早いタイミングで提示されるのである。そしてそれ以降、物語の苦しみの質が変わる。通常ならば終盤で有効に用いられることの多い要素を、本篇は主題を研ぎ澄ませるために活用しているのだ。
アイディアをスリラーとしてどう活かすか、という点にのみ注目すると、本篇は不出来に映る。この描き方が原因で、説明が足りない、曖昧さが過剰に残ってしまった部分も出ているので、その評価も致し方のないところではある。だが、テーマが“家族”である、として考えていくと、実に見事な描き方なのだ。序盤の描写と対比させて、感情を揺さぶってくる。
このあたりまで来て、“騙されまい”と鵜の目鷹の目になって成り行きを見届けようとしてしまうと、そういう描写に素直に反応出来なくなってしまうはずであり、そういう意味ではジャンルの選択を誤った、という見方も出来るが、表現手法の応用、として捉えれば果敢な試みであり、描写そのものの説得力は充分に備わっている。それこそ、本篇のようなプロットを、ジム・シェリダンのような監督が手懸ける必然性だった、と考えられる。
手法が本来用いられていた効果を存分には活かしていない、と思われる一方で、そうした感情を揺さぶる描写ばかりでなく、終盤まで緊張感を盛りあげる工夫も怠ってはいない。瀬戸際の攻防にハラハラさせつつも、家族の情に満ちたやり取りで胸を熱くさせる。クライマックスの展開は、この両者をうまく織りこんで、圧巻の趣がある。
締め括りにしても、ワン・アイディアを軸とするスリラーとして読み解くと少々軽く見えてしまうが、しかし重すぎず軽すぎず、快い余韻を残すのは、むしろアイディアとテーマ性の調和、という面からすると程良い匙加減だろう。変にドラマとしての重量感を強調すればアイディアが浮いてしまい、アイディアに拘泥すればせっかくの感動を誘う要素がうまく嵌まらなくなる――それでもいささかアイディアが勝ちすぎて、あちこちに不自然さを残している嫌味はあるが、この題材、プロットで可能なギリギリのバランスを保っているのは間違いない。
当初は私も、ジム・シェリダン監督がスリラー? と首を傾げたものだが、やはり作風の確立した監督というのは、簡単に新しい土壌に移植したりしないらしい。うまく織りあげたスリラーにして、大胆な発想で形作られた家族のドラマである――もともと友人であったダニエル・クレイグとレイチェル・ワイズが本篇をきっかけに結婚した、というのも、当然のような気がする。
関連作品:
『マイ・ブラザー』
『J・エドガー』
『ボーン・レガシー』
『モールス』
『アザーズ』
『ゲスト』
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