原題:“Saw V” / 監督:デイヴィッド・ハックル / 脚本:パトリック・メルトン&マーカス・ダンスタン / 製作:グレッグ・ホフマン、マーク・バーグ、オーレン・クルーズ / 製作総指揮:ダニエル・ジェイソン・ヘフナー、ジェームズ・ワン、リー・ワネル、ステイシー・テストロ、ピーター・ブロック / 撮影監督:デイヴィッド・A・アームストロング / プロダクション・デザイナー:トニー・イアンニ / 編集:ケヴィン・グルタート、ブレット・サリヴァン / 衣装:アレックス・カヴァナ / 音楽:チャーリー・クロウザー / 出演:トビン・ベル、コスタス・マンディラー、スコット・パターソン、ベッツィ・ラッセル、マーク・ロルストン、カルロ・ロータ、ジュリー・ベンス、グレッグ・ブリク、ミーガン・グッド、ローラ・ゴードン / ツイステッド・ピクチャーズ製作 / 配給:Asmik Ace
2008年アメリカ作品 / 上映時間:1時間33分 / 日本語字幕:松浦美奈 / R-15
2008年11月28日日本公開
公式サイト : http://saw5.asmik-ace.co.jp/
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2008/11/28)
注:本作はシリーズ旧作『SAW』『SAW2』『SAW3』『SAW4』の内容を踏まえております。なるべくネタバレはしないように心懸けていますが、どうしても抵触せざるを得ない部分、推測する材料を齎してしまう表現が含まれる恐れがあります。今後鑑賞するつもりのある方は、シリーズをすべてチェックした上で御覧になるか、ネタバレが含まれることを覚悟のうえでご覧ください。
[粗筋]
ジグソウ=ジョン・クラマー(トビン・ベル)を追って、FBIのストラム捜査官(スコット・パターソン)が辿り着いたのは一軒の廃墟。そこで、自分に銃口を向けた男を射殺したのち、手術室のような場所でジグソウの屍体を発見したストラムは、部屋の奥に隠し扉を発見する。その先には、吊されたカセットプレーヤー。再生すると、聴こえてきたのは馴染みのあるあの声――「これ以上先へは進むな」。だがストラム捜査官は屍体に向かって「クソ喰らえだ」と罵り、奥へと進んでいく。しかし、路地で背後から襲われ昏倒し、ふたたび目醒めたとき、ストラム捜査官は自らを死へと導く仕掛けのなかにいた。
しかし、自らを傷つけることで生き延びたストラム捜査官は、あの煉獄のような惨状で、ひとり無傷で脱出した者に疑惑の目を向ける。その人物とは、ホフマン刑事(コスタス・マンディラー)――犠牲になった多くの警官と共に、ジグソウ事件をかなり最初の頃から追っていた男だった。
ストラム捜査官はホフマン刑事を追求するべきだと主張するが、幼い少女を生きて助け出すことに成功したホフマン刑事は英雄となっており、逆に傷ついたストラム刑事は直属の上司であるエリクソン(マーク・ロルストン)から休養を命じられ、捜査から外されている。やむなくストラム捜査官は密かにホフマン刑事の身辺を探りはじめた……
……一方、とある地下室。
そこには、首をワイヤーで繋がれた五人の男女がいた。目醒めたとき、五人はそのワイヤーが背後にある、V字型の鋭利な刃物の凹みを通って、五人を結んでいることに気づく。そして、突如通電したモニターにマペットの姿が映しだされ、重く不気味な声が、彼らに語りかけた。
「お前たちは他人を犠牲にして、傲慢に生きてきた。いまこそ、生き方を変えるチャンスだ。これまでと違う行動を選んで、生き延びてみるがいい」
果たして、ホフマン刑事はどのように事件に関わっているのか。そして、今回のゲームの狙いはいったい……?
[感想]
アメリカではすっかりハロウィンの公開が定着、毎年安定した興収を上げているスリラー・シリーズの、早くも第5作となる本篇の指揮は、2から4まで監督に就き、シリーズの空気を醸成することに貢献してきたダーレン・リン・バウズマンから、同じく2〜4にてプロダクション・デザイナーとして携わり、多くの独創的なトラップを創出してきたデイヴィッド・ハックルに委ねられることとなった。
監督が替わると雰囲気が違ってしまうのでは、という危惧があるが、作品にとって重要なモチーフである罠の数々を設計してきた人物だけあって、映像においても演出においても雰囲気をまったく壊していない。シリーズ特有の手頃な尺に複数の罠を仕込み、自らの意志で我が身を傷つけなければならない“ゲーム”の参加者たちの葛藤を緊迫感充分に描き、観る側に気の安まる暇をほとんど与えないスタイルは見事に踏襲している。
脚本のほうも同様だ。シリーズ旧作をよく研究し、随所にあった違和感や時間の隙間をうまく利用し、旧作の何気ない要素を伏線に仕立てて、シリーズらしいどんでん返しまできっちりと用意した前作の担当者ふたりが再登板しており、今回もその手腕に忌憚はない。第1作の時点からしてここはおかしいだろう、と感じられていたポイントを今更ながらに採り上げ、欠かさず追いかけてきたファンほど唸らされる描写を巧みに盛り込んでいる。こと本篇では、第1作のモチーフを反復している部分が多く、さすが『ザ・フィースト』でクリーチャー物の常套を踏まえてマニアを喜ばせ素人を阿鼻叫喚に叩きこんだ脚本家コンビである、という印象だ。
しかし、第2作の時点で既に指摘はあったことだが、作を追うごとに進んできた、「旧作のエピソードを知らないと楽しめない」という傾向はいよいよ強まり、本篇に至っては「シリーズ旧作が必見」というレベルにまで達している。4までのネタばらしを多数含んでいる、という理由も重要だが、本篇では完全に旧作からの観客しか引っ掛からないような描写上のトラップを用意しているのだ。恐らく、旧作を知らずにいきなり観た人であれば、あれが罠になっているとさえ気づくまい。また、断りもなく旧作で登場したキャラクターやシチュエーションを何度も再現しているので、そのあたりも含めてシリーズ初心者向けではない。
かといって、シリーズに慣れ親しんでしまっていると、物足りなさを禁じ得ない部分があるのも事実だ。特に、シリーズの特徴となっている罠のクオリティ、視覚的なインパクトや残酷さが弱くなっているのが気に懸かる。恐らくホラーやスプラッタものに不慣れな観客にしてみれば目を逸らし耳を覆いたくなるレベルだろうが、そもそも基本的に一見さんお断りに等しい仕様なのだから、これまで鑑賞し続けてきた観客のためにもうひとつ、戦慄するような趣向を用意して欲しかったところだ。
プログラムによれば、監督に就いたデイヴィッド・ハックルは、なまじ罠を考案する立場だったせいか、罠が主役になるのではなく、人間のドラマが中心となり、そのパーツとして罠が使われるような形にしたかったようで、そのために仕掛けのインパクト、残虐性については若干抑え加減にしたようだが、そうだとしても、ドラマ部分についてもやや物足りない印象はあるので、効果を上げているのかは疑問だ。その意味で言えば第1作の、あの虚無感と絶望とに彩られたクライマックスのインパクトにはどうしても及ばないのである。
シリーズ恒例の、ラストで判明する意外な事実についても同様で、きちんと織りこんだ意欲には敬意を表するものの、今回は率直に言って、これまででいちばん読み解きやすい。あまりにあっさり辿り着けたもので、それが判明してもなお向こう側にもう一つ秘密を用意しているのかも、と身構えてしまったほどだ。結果、予想を超える決着ではなかったので、拍子抜けの感は否めない。
相変わらず旧作をよく検証したうえで新しい物語を付与しており、その大胆かつ周到な構成には頭が下がる。傾向は近くても、決して同じトラップは使わない、そしてそこにきちんと“ジグソウ”というキャラクターに相応しい雰囲気を盛り込んでいる点も見事だ。しかし、そろそろ旧作の隙間もあらかた埋まってしまい、さながら神の如き“ジグソウ”の威光も限界に来ているのもまた事実だろう。ここまで発展させ、なおもサプライズを用意しようとした努力と誠意には頭が下がるが、しかしいい加減ここらが潮時だろう。
……といったことを書くつもりでいたら、プログラムによると既に6については脚本の打ち合わせが始まっており、監督も今度は第1作から編集を担当していたケヴィン・グルタートに委ねられることがほぼ決まっているそうだ。しかも、そのあとも何本か製作することは既に決定しているらしい。
もはや初心者にはお勧めできない。観るつもりならば1作目から順に辿り、まだ関心があるのであれば劇場に足を運び、まだ次に興味が湧くなら待てばいいだろう。そうして待ち焦がれていたファンたちに、限界まで挑戦を叩きつけようとするその意志こそ素晴らしいのだ。傑作とは呼べないが、スタッフの意欲を強く感じさせる本篇は、ファンにとっていい贈り物となるはずだ。
何はともあれ、私は来年も出来る限り初日に、劇場まで足を運ぼうと思う。
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