原題:“Sweeney Todd The Demon Barbar of Fleet Street” / 監督:ティム・バートン / 脚本:ジョン・ローガン / 原作戯曲:クリストファー・ボンド / 作詞・作曲:スティーヴン・ソンドハイム / 製作:リチャード・D・ザナック、ウォルター・パークス、ローリー・マクドナルド、ジョン・ローガン / 製作総指揮:パトリック・マコーミック / 共同製作:カッタリー・フラウエンフェルダー / 撮影監督:ダリウス・ウォルスキー,A.S.C. / 美術:ダンテ・フェレッティ / 編集:クリス・レベンゾン,A.C.E. / 衣装:コリーン・アトウッド / 出演:ジョニー・デップ、ヘレナ・ボナム=カーター、アラン・リックマン、ティモシー・スポール、サシャ・バロン・コーエン、ジェイミー・キャンベル・バウアー、ジェイン・ワイズナー、エド・サンダース、ローラ・ミシェル・ケリー / 配給:Warner Bros.
2007年アメリカ作品 / 上映時間:1時間57分 / 日本語字幕:佐藤恵子
2007年01月19日日本公開
公式サイト : http://www.sweeney-todd.jp/
TOHOシネマズ西新井にて初見(2008/01/19)
[粗筋]
19世紀のロンドン。港に入ってきた船には、独特の情緒に富んだ街並に胸を膨らませるアンソニー(ジェイミー・キャンベル・バウアー)に対し、傍らに佇む男の表情は暗く険しかった。彼、スウィーニー・トッド(ジョニー・デップ)は海を漂流しているさなか、このアンソニーに救われ、かつて暮らしていたというロンドンに舞い戻ってきたのである。
浮かれるアンソニーに対して、トッドはある昔話を聞かせる。それは純粋で愚かな理髪師と、その妻の物語であった――筋書きは至ってシンプル。理髪師の美しい妻に、判事が横恋慕し、理髪師に嫉妬した。判事は自らの地位を悪用して、理髪師をありもしない罪で刑に処したのである……もう15年も昔の話だ、と呟き、トッドはアンソニーと別れ、街へと消えていった。
トッドが向かったのは、一軒のパイ屋。材料費の高騰で生地だけの不味いパイしか焼けなくなったことで、女主人のミセス・ラヴェット(ヘレナ・ボナム=カーター)は半ば世を儚んでいた。トッドは上階の空き部屋を貸して賃料を稼げばいい、と仄めかすが、ミセス・ラヴェットは「そこには幽霊が出る」と語る。
かつて、愚かな理髪師と愚かで美しい妻がそこに暮らしていたが、夫が突如として投獄されたのち、妻はただただ嘆き悲しんで過ごしていた。そんな彼女に、夫を裁いた判事ターピン(アラン・リックマン)が盛んに言い寄っていたものの、彼女は耳を貸そうとしない。ある日、ターピンは夫の件で彼女に詫びたいと言って、妻を屋敷へと招いた。しかしそこでは、淫らな仮面舞踏会が開催されていた――面も被らずに闖入し、酔い潰され正体を失った彼女は辱められ、やがて自ら毒を呷ったという。夫婦の娘ジョアナ(ジェイン・ワイズナー)は判事が後見人として引き取り、半ば幽閉されて暮らしているということだった……
――ミセス・ラヴェットは気づいていた。目の前にいる男が、その愚かな理髪師ベンジャミン・バーカーであることに。彼はスウィーニー・トッドと名を変え、復讐を遂げるためにこのロンドンに舞い戻ってきたのだ……
[感想]
いま、映画界において“黄金コンビ”といえば、ティム・バートン監督とジョニー・デップこそ最強と言えるだろう。『シザーハンズ』の大ヒット以来、『スリーピー・ホロウ』、『ティム・バートンのコープスブライド』、『チャーリーとチョコレート工場』と印象の強い作品が揃っている。既にこの二人の名前が並んでいるだけで安心感を得られる域に達しているが、本編はそうした作品群の集大成、と言ってもいい内容と出来になっている。
近年、ティム・バートン監督は上述後半の2作が象徴するように、かなりミュージカルづいているが、本編もそれを踏襲している。しかし本編が特異であるのは、これまでミュージカル・パートのある作品群に参加しながら歌わずにいたジョニー・デップをとうとう楽曲に組み込んでしまった点である。もともとミュージシャン出身であった*1からなのか非常に達者であり、充分に培われた表現力も加味された彼の歌声を聴くだけでも、充分に観る価値はある。
しかしもっと特徴的であるのは、もともとホラー方面の才覚を窺わせていたティム・バートン監督の個性が特に強く盛り込まれている点であろう。もともとミュージカルとは言い条、『コープスブライド』は死者の世界、『チョコレート工場』では随所に黒いユーモアを振りかけていたのだが、それでも何処か一般的な観客に配慮してか、マイルドな舌触りになるよう心懸けていたきらいがある。だが本編はそもそもが復讐という陰鬱な主題に、中盤以降は主人公が目的を逸脱して殺人鬼に墜ちていく筋書きであるため、内容がいっそうダーティだ。血飛沫も容赦なく描いており、その意味では最も重たい。
だが本編では、そうした凶悪な部分を、ユーモアの領域に達するほど掘り下げているのだ。殺戮にいたる場面で敢えて歌を交えたりする手法もさることながら、無数の登場人物の意識をきちんと歌という形で明示し、それぞれの認識の違いを巧みに描き込んでいるからこそ、暴力的な部分の齎す衝撃がいい具合に和らげられている。血の飛び散るホラーやサスペンスが苦手という人でも、本編はかなりすんなり受け入れられるに違いない。
そうしてユーモアで彩りながらも、バラバラに動き回っていた登場人物達の行為が一挙に結びつく終盤のドラマは重量感があり、かつどうしようもなく痛ましく切ない。ここで描かれる逆転などは概ね予想がつくものだが、結果としての出来事、行動の迫力はただごとではなく、また凶悪であるが故に胸に残る。
惜しむらくは、あのあとに放り出される幾人かの人物の顛末に言及していないことだが、しかし言及していないからこそ、よりいっそう淀んだ結末を求める向きは不幸なその後を、せめてもの救いを求める向きは最後の幸せを手にした、と自由に想像を展開する余地を残しているとも言える。そんなところまで、実によく考えられた構成となっているのだ。
素材となった伝説の魅力に、本編の原型となったミュージカルの完成度の高さもあるだろうが、本編はそれらを映画という形で理想的に料理していることは間違いない。傑作揃いのティム・バートン&ジョニー・デップによる作品群の中でも、現時点で最高の出来を成し遂げた1本である。
……それにしても、いくら嫁だからってどうして毎回ヘレナ・ボナム=カーターの扱いはこんなに悪いのか。まあ当人も愉しそうではあるが。
*1:但しパートはベースで、歌っていた訳ではない。
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