『アポカリプト』

原題:“Apocalypto” / 監督:メル・ギブソン / 脚本:メル・ギブソン、ファルハド・サフィニア / 製作:ブルース・デイヴァ、メル・ギブソン / 製作総指揮:ヴィッキー・クリスチャンソン、ネッド・ダウド / 製作補:ファラド・サフィニア / 撮影監督:ディーン・セムラー,A.S.C.,A.C.S. / プロダクション・デザイナー:トム・サンダース / 編集:ジョン・ライト / 衣装デザイナー:マイェス・C・ルベオ / 視覚効果スーパーヴァイザー:テッド・レイ / コンサルタント:リチャード・D・ハンセン博士 / 音楽:ジェームズ・ホーナー / 出演:ルディ・ヤングブラッド、ダリア・エルナンデス、ジョナサン・ブリュワー、モリス・バード、ラオウル・トルヒーヨ / アイコン製作 / 配給:東宝東和

2006年アメリカ作品 / 上映時間:2時間18分 / 日本語字幕:林完治

2007年06月09日日本公開

公式サイト : http://www.apocalypto.jp/

東宝東和試写室にて初見(2007/05/31) ※ブロガー限定特別試写会



[粗筋]

 マヤ文明後期にあった中央アメリカ。

 ジャガー・パウ(ルディ・ヤングブラッド)は父フリント・スカイ(モリス・バード)や友人ブランテッド(ジョナサン・ブリュワー)らとともに狩猟を生業とし、日々生命の炎に身を焦がしながらも穏やかな日々を送っていたが、ある日彼らの森を無数の遭難民が横切っていったことで、ジャガーは初めて漠然とした不安、恐怖心を抱く。

 フリント・スカイは恐れこそが自らの足枷になるとジャガーを諭すが、しかし彼の不安は最悪のかたちで的中した。翌朝、彼らの集落を突如無数の男達が襲撃したのである。手順に慣れた敵はまだ住民が目醒めない早朝にやって来て周囲に火をかけ、多くの大人達を縛り上げてしまう。ジャガーは身重の妻セブン(ダリア・ヘルナンデス)と息子タートル・ラン(カルロス・エミリオ・バエズ)を竪穴に匿うことに成功するが、自らは掴まり、縄を打たれてしまう。

 長く危険な旅の果てに、ジャガーたちが運び込まれたのは、彼らが初めて見る“大都市”であった。無数の奴隷が石灰を切り出し、真っ白になって工事を続け、中心部には巨大な石造りの建物がある。女たちが市場で売りに出される一方、ジャガーたち男が連れて行かれたのは、高所にある祭壇であった――そこでは、干魃に苦しむ都市の人々が、彼らの神ククルカンに雨乞いするために、無数の男達が生贄に捧げられていた……

[感想]

 あいにくと私は未見なのだが、メル・ギブソン監督が手懸けた前作『パッション』が齎した衝撃は凄まじかったようだ。当時の言葉を使用し、残酷な現実をもリアルに再現した映像には、ショック死する観客が出るほどの騒ぎとなったことを記憶に留めている人もいるだろう。

 本編は、その批評的にも興行的にも一定の成果を収めた『パッション』を踏襲するように、台詞を全篇マヤ語に統一、ロケやセットを中心に限界まで後期マヤ文明の姿を克明に再現することに務め、リアリティを追求した作品となっている。

 一般には馴染みのないマヤ文明の姿をそうして再現した、というだけでも、ある程度真面目さを保って製作すれば、充分に見応えのある作品になるのは自明だ。だが本編はそのうえに、物語が非常に洗練されている。

 概要を切り出すと、その構造はかなりシンプルである。森のなかで狩りを生業として暮らす人々の平穏な日常を説得力充分に描き出すと、そこに災いとして都市からやって来た“人間狩り”が現れて、労働力となる大人達を攫っていく。都市に戻る過程で、自然の過酷さと並行して“人間狩り”たちの文化水準を窺わせる描写を鏤めながら、やがて辿り着いた都市においてはその衝撃的な“儀式”と、携わる人々の退廃ぶりや残酷さとを打ち出していく。その流れの着実さと強烈なインパクトには、物語としての起伏の乏しさにも拘わらず惹きつけられ、言葉を失ってしまう。重厚な構造をスムーズに見せ、しかし手応えを損なっていない。言うのは簡単だが、これを成し遂げるのはけっこう至難の業であり、製作者の技倆の高さを窺わせる。

 物語としての伏線も単純でありながら、世界観をよく踏まえて特徴的であり、それだけ充分な効果を上げている。最も目を惹くのは移動中に齎される“予言”の立ち現れ方とその効果の果たし方であるが、縄を打たれ生贄として捧げられかけ、しまいにはふたたび放たれて“お遊び”の道具に用いられた主人公がある線から一転し、“人間狩り”たちを追い詰めていくその逆転に至る仕掛けが実に巧妙に働いている点をやはり見落とすべきではないだろう。フィクションずれしているものならば終盤で活きてくるアイディアの数々は予測でき、実際その通りに話は運んでいくのだが、その無駄のなさと、予想を裏切らずにきちんとカタルシスに結びつける巧さは感嘆に値する。

 スタッフにはオスカー獲得者を含む巨匠・名人ばかりを集める一方で、キャストを演技初経験という者や、キャリアはあってもどちらかと言えば脇を固めるほうで力を発揮する、いずれにせよ名前よりも存在感のほうが知られている俳優ばかりを集めていることも奏功している。観る側に余計な先入観を齎さないことで、作品世界によりどっぷりと浸かることを可能にし、またそのアクションやドラマによってより効果的に興奮を引き出すことに成功しているのだ。

 マヤ語という、大半の観客にとって馴染みのない言葉を敢えて用いたことも本編にとっては有効だった。なまじ聞き覚えのある言語を使ってしまうと作品世界が浮いてしまうばかりか、演技の質を過剰に意識させられてしまう。耳馴染みの乏しい言葉だからこそ、演技のレベルに目がいきづらくなっている――但しこれは、役者が下手だと言っているわけではない。朴訥だがそれだけ剥き出しに近い感情をうまく表現できている。また、マヤ語でなければいけなかった必然性も実はちゃんと盛り込まれており、これ以外に方法はなかった、という点でも徹底されている。

 と、様々に理屈をこね回したが、しかし観ているあいだにこんなことを意識することはあまりないだろう。監督は「頭脳ではなく本能に訴える」ことを目標として制作したと語っているが、まさにその通り、考えるよりも先にその迫力に圧倒され、本当に生命の危機を感じさせるアクションに打ちのめされ、シンプルながらも深みのあるドラマに痺れる作品に仕上がっている。

 様々に物議を醸した『パッション』に近い考え方で作られているため、“人間狩り”の対象となった村の惨状と都市における生贄の儀式の残酷さなどは克明に描かれているものの、ある程度は衝撃を和らげるための工夫もしているので、さほど意識はさせられないだろう――とは言え、かなりえげつないのも否定できず、やはりというかR−15の指定を受けているが、しかし多少の暴力描写なら受け付けられる、という人ならばいちどは観て頂きたい。容赦ない暴力と都市に蔓延る退廃、運命が導いたかのような状況の反転、主人公の反撃に至るまでのリアルで鮮やかな流れ、そして物語にとって必然的極まりない結末のサプライズ。どこを切っても歯応えのある、重厚で味わい深い傑作。

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