昏い部屋

昏い部屋 『昏い部屋』

ミネット・ウォルターズ/成川裕子[訳]

Minette Walters“The Dark Room”/translated by Hiroko Narikawa

判型:文庫判

レーベル:創元推理文庫

版元:東京創元社
発行:2005年4月28日

isbn:4488187048

本体価格:1200円

商品ページ:[bk1amazon]

 現代ミステリの女王と呼ばれるミネット・ウォルターズの第四長篇。

 ジンクスことジェイン・キングズリーがおよそ考えられないような理由で病院に収容された。彼女の乗った車が廃飛行場の柱にまっすぐ激突し、車は大破、ギリギリで車から飛び出したと見られるジンクス自身は車の惨状に比べれば遥かに軽傷で済んだものの、事件直前の一週間ほどの記憶を失っていた。その直前、ジンクスは婚約相手であるレオ・ウォラダーを親友のメグ・ハリスに略奪され縁談を解消していた、という事実と、衝突事故の前にも自宅のガレージでガス中毒になって隣人に発見される、という騒動を起こしていたことから、警察は彼女が失望のあまり自殺未遂を働いた、と結論づける。だが、ジンクスの周辺の人物、そしてジンクス自身もまた、彼女自身の意志の強さを知悉しているために、結論を認めない。様々な因縁からジンクスとは微妙な関係にある父アダムの計らいで精神医療の分野で信頼の高い病院に運ばれることとなったジンクスは、身動きもままならないなか、ただひとつ自由を許された頭脳で真相を探ろうとするが、沈みこんだ記憶には何故か不安と恐怖とがつきまとい、ジンクス自身をも翻弄する。そんななか、騒動を恐れてフランスへ旅行していたはずのレオとメグが屍体となって発見され、更に事態は複雑化していく……

 読むのに十三日も費やしてしまいましたが、詰まらなかったわけでも肌に合わなかったわけでもなく、色々理由があってあいだに別の本を挟んだり、読書に充分な時間が割けなかったせいです。寧ろテーマ、ストーリー展開、終盤の神経が磨り減りそうな推理戦に至るまで、非常に好みの作品でした。

 しかし、本書を読むうえではこのくらいのペースの方が却って適当だったかも知れない。視点はヒロイン・ジンクスのみならず、警察や事件関係者など様々なところに散っているとはいえ、基本は病院から外へ出られないジンクスを中心に進行しており、物語を進行させているのは行動よりも会話とその隙間に滲む心理、そして絶えることなく繰り返される推理を描くことに照準を絞っている。ひたすら繰り返される問題提起と葛藤は数日間に及び、情報量は紙幅に相応しく多い。一晩で一気に読み切ってしまうのもミステリの作法のひとつだが、本編の場合はこのくらいのペースでじっくりと情報を咀嚼していくのが相応しいように思った。そうすればするほどに、登場人物たちの混乱や不安がそのまま読み手に浸透し、クライマックスの衝撃を増幅させる。

 やや物足りなく感じるのは、様々な人物の思惑や推理が入り乱れた挙句の決着が、誰かの推理によって齎されたとは言い難いことである。これほど幾つもの論が提示された以上、締め括りも論理によって成して欲しかった、と思うのだが、反面本編には筋を追うごとに自明と思われていた登場人物の気質が、登場人物や読者の解釈とは別物だったということが判明し、はたまた犯人が特定される一方でより闇を深めていく部分も無数にあり、そうした物語の性質からすると、まるで神からの天啓のごとく突如降りてくる真相は、本編にとって何より相応しいものと言えるかも知れない。趣向を凝らした韜晦ぶりについては千街晶之氏による解説に詳しいのでそちらを御覧頂きたい。

 ラストシーンでさえある種の企みを感じさせるものである、という点についても解説は触れているが、ここについては単純にハッピーエンドと捉えても差し支えないだろう、と個人的に思う。確かに作中で暗示された悲劇の継続を匂わせてもいるが、しかしそう考えるとある人物の選んだ道に従来と異なる要素が含まれていることが、異なる可能性を示唆しているようにも思えるのだ。連続性によって引き起こされた悲劇からその人物なりに学んだ結果がアレなのならば、その後それなりの幸福を勝ち得たと想像しても構うまい。

 しかしこれも結局は解釈のひとつであり、読者それぞれに捉え方があって何の問題もない。謎解きとして明快な決着を用意しながらも、その随所に深読みを許す、端倪すべからざる作品である――例によって、旧作についても確保するだけしておいてほとんど手をつけていない私だが、他の邦訳済作品も引っ張り出して読みたくなってきました。

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