ミリオンダラー・ベイビー

ミリオンダラー・ベイビー ミリオンダラー・ベイビー

F・X・トゥール/東理夫[訳]

判型:文庫判

レーベル:ハヤカワ文庫NV

版元:早川書房

発行:2005年4月15日

isbn:4150410828

本体価格:743円

商品ページ:[bk1amazon]

 アメリカのボクシング業界に関わってきた著者がその経験を元に執筆した、5つの短篇と1つの中篇からなる作品集。老コーチと女性ボクサーとの絆を描き、クリント・イーストウッドによって映画化された作品がアカデミー賞主要四部門に輝いた表題作のほか、カットマンと呼ばれるリング脇の止血職人が目論んだ復讐を描く『モンキー・ルック――猿顔』、オポネントと呼ばれるタイトルマッチへの数稼ぎの相手に選ばれるボクサーの奮闘劇『ブラック・ジュー――黒いユダヤ』、才能豊かな若いボクサーにかける人々の情熱とアメリカ下層社会の現実とを活写した『ロープ・バーン』ほか。

「ボクシングが人生の縮図なのではなく、人生がボクシングの縮図のように思える」――訳者があとがきにて、作者のこんな発言を引いている。まさにその言葉通り、人生そのものがボクシングの比喩になっているような人々の姿を活写した作品集である。

 本書に登場するのは世界的なタイトルマッチに参加するような大物ではなく、ドサ回りのように各地を転戦してまわり日銭を稼ぎながら上を睨む在野のボクサーたちや、そんな彼らを支えるコーチやセコンド、また試合中の止血を受け持つカットマンといった脇役たちばかりである。ボクシングに詳しくない人間にはそうした立場の人々の仕事ぶりや、ボクシングに対する有り様や信念のひとつひとつがまず興味深い。いささか専門的な表現が多く素人には意味の掴みづらい箇所もあるが、多くの点については先刻承知の事柄と投げ出すことをせず、丁寧に解説してくれる姿勢が有り難い。

 ボクシングが数あるスポーツのなかでも特に乱暴なものだという認識をしている人は多いだろうが、内部からボクシングの実情を描く本書は、その事実をほぼ肯定している。加えて、『モンキールック』では選手の金銭に対する意地汚さを、『ブラック・ジュー』『フィリーでの闘い』では興行的な側面にばかり目を向け試合の価値を歪めるプロモーターの存在を描き、リングの外側で繰り広げられる“拳を使わない暴力”にも言及している。ただ、それを百も承知のうえでなおボクシングという競技の魅力と、そのために惜しみない情熱を捧げる人々を、本書は冷静な、しかし愛情の感じられる筆致で描いており、読み続けていくうちにそんなある意味で愚かな、一方でこの上なく潔い人々に敬意を表さずにいられなくなる。

 作品それぞれの結末は、拾っていくと有り体なドラマの顛末と言えてしまうが、しかし登場人物の心理を丁寧に押さえ、じっくりと結末まで導いていってくれるので、ありがちだと思いながらも沁みる。こと、映画化された表題作と、脚色されるに当たってミックスされたという『凍らせた水』は、誰にも訪れうる悲劇を扱っているだけに、読み終えたあとの余韻はひしひしと重い。

 終盤にいたってさながら西部劇のような様相を呈する巻末の中篇『ロープ・バーン』だけがやや趣が異なる。相変わらず舞台はボクシングの世界を中心としているが、警官による黒人殴打事件の判決を受けて黒人たちの暴動が起きた時代を背景に、低所得層の暮らす街におけるマイノリティとマジョリティの歪んだ構図を巧みに織り込み、ほかの作品にも覗かせたアメリカ社会の暗い一面を描く技倆を特に遺憾なく発揮している点に注目したい。展開といいある意味皮肉極まりない結末といい、多くの文芸や映画作品に対する造詣も垣間見えるのがまた興味深い一篇でもある。

 この時期に読んだのは、前述の映画版がもうじき公開されることを踏まえてのことだったが、あのイーストウッドが映画化を決めたのも納得の優れた作品集だと思う。事実上本書一冊のみを遺して2002年に他界してしまったのが惜しまれてならない――読みながら、日本の稲見一良氏に通ずるものを感じていただけに、尚更に。

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