角川シネマ有楽町のロビー入り口に掲示された『風が吹くとき』2024年公開時のポスター。
原題:“When the Wind Blows” / 原作&脚本:レイモンド・ブリッグズ / 監督:ジミー・T・ムラカミ / 製作:ジョン・コーツ / 音楽:ロジャー・ウォーターズ / 主題歌:デヴィッド・ボウイ / 声の出演:森繁久彌、加藤治子、田中秀幸、高井正憲 / 初公開時配給:ヘラルド・エース / リヴァイヴァル上映配給:チャイルド・フィルム / 映像ソフト日本最新盤発売元:TC Entertainment
1982年イギリス作品 / 上映時間:1時間49分 / 日本語吹替版演出:大島渚 / 吹替翻訳:進藤光太 / G
1987年7月25日日本公開
2024年8月2日日本リヴァイヴァル公開
2023年12月8日映像ソフト日本最新盤発売 [Blu-ray Disc]
公式サイト : https://child-film.com/kazega_fukutoki/
角川シネマ有楽町にて初見(2024/8/8)
[粗筋]
イギリスの郊外に暮らすジム(森繁久彌)は街で読み耽った新聞で、新たな戦争が近づいていることを知る。しかも今回は、日本に投下された核爆弾より更に威力のあるものが、イギリスに照準を定めている、という。
帰宅したジムは、妻のヒルダ(加藤治子)に、シェルターを作る必要性を熱弁した。行政はその備えのためにパンフレットを発行しており、ジムはその手引に従って、家庭で行うべき対策に忙しく動いた。指示通りに、扉を流用した簡易的なシェルターを窓とは反対側の壁に立てかけて構築し、指定する非常食や備品を用意した。
ヒルダもいちおうは夫の言葉に従うが、彼女にとっては、あるかどうかも解らない核爆弾の脅威より、家の美観が損ねられることが気懸かりだった。ふたりとも第二次世界大戦を生き抜いており、その当時を懐かしみながら、新時代の戦争とその準備に対する違和感や不平を漏らすのだった。
その日、現状を確認すべくジムがラジオを点けると、アナウンサー(高井正憲)が「我が国に向けてミサイルが放たれた」と警告した。なおも日常の仕事が疎かになることを気にするヒルダを抱きかかえ、ジムはシェルターに飛び込む。そのとき、激しい閃光に続いて、強い風が吹き抜けた。
シェルターの中で、どうやら怪我もせずに済んだジムとヒルダだが、手引に従い、その日はシェルターから一歩も出ることなく一夜を明かす。しかしそのうちに、ふたりはふとした拍子にシェルターから踏み出した。
ヒルダは、家中が瓦礫にまみれ散らかり放題になったことに失望する。だが、彼女もジムも知らない。ロンドン付近に投下された核爆弾の衝撃波は、広範囲に住宅を吹き飛ばし、街がその機能を喪失していることを。そして、核兵器のもうひとつの恐怖が、既に彼ら自身を蝕んでいることを――
[感想]
公開時、アニメ専門誌でもしばしば取り扱われ、絵柄には似つかわしくない重い題材の食い違いも含め強い印象を残した。以来、私にとって、そのタイトルと方向性は知りつつも、なかなか実物を観る機会がなかった1本であった。
鑑賞すると、色々なことを思い、考えずにいられない作品である。
どうやら劇中では、政治的衝突から第二次世界大戦とは異なる敵対関係が生まれ、核兵器を使用する局面に突入した、と思われる。
だが、第二次世界大戦を経験した老夫婦の認識は、現状に追いついていない。何なら、間もなく核兵器が投下される状況にも拘わらず、先の大戦のことを懐かしげに語るひと幕さえある。
恐らくこれは、実際にあり得ることだ。なまじ、豊かな経験のある人間ほど、そこから逸脱した脅威を想像しづらい。“戦争”という、国の根幹さえ揺るがしかねない脅威にあっても、それを乗り越えた経験が実態よりも低く見積もらせてしまう。
それでも夫ジムは図書館で手に入れたパンフレットをもとに、一般家庭用の簡易シェルターを設けたり、と得られる知識の範囲で対処を試みるが、非常に危うい。しかしこれも、経験したことのない事態、しかも物語の時点では実際に用いられた核兵器が日本への2発しかない、という状況で、情報を発信する側も意見は統一されていない。真面目に情報を仕入れて対策を講じようとすればこそ、夫妻は翻弄されてしまう。彼らに、自分たちが頼った情報がすべて心許ないものだ、と真実を伝えたら、どうなったのだろう?
劇中の二人はそんなことなど知るよしもなく、その知識のまま核攻撃に晒される。そこからの展開、光景はより悲痛だ。なまじ、爆心地からは遠く離れているが故に、夫婦は“被害”の全容を知る余地がない。新聞も牛乳も届くことなく、二人は政府への信頼と、辛うじて蓄えた食料で命をつなぐが、その肉体は既に放射線に蝕まれている。ゆっくりと、真綿で首を絞められるように、二人の元に死が歩み寄ってくるさまは、観ていて胸が痛くなる。
本篇の恐ろしさは、この段階にあってもアニメーションとしての絵柄は素朴で愛らしいことだ。老夫婦はふたりとも、そのたたずまいのまま頬がこけていき、血色を失い、活力を奪われていく。それでもなお、老夫婦を描写するタッチは変わらない。
ただ、ここでやたらと印象が際立つのが、一部実写で撮影されている部分だ。パンフレットに従いしつらえたドアとクッションのシェルターや、これも手引きに放射線対策として被るように記されていた穀物袋などは実写、恐らくはミニチュアにてコマ撮りしたものだろう。終盤で幾度か行われる、室内を巡るカメラの目線を再現しやすいようにこうした撮影方法を用いた、とも考えられるが、その質感と愛らしい手書きとの対比が、言いようのない薄気味悪さを作品世界にまとわせている。
繊細で丁寧な描写によって描かれる、化学兵器による目に見えない脅威がもたらす恐怖と悲愴感が忘れがたい作品だが、恐らく核爆弾のもたらす被害、影響として、本篇の描写も更に時を経たいまの知見からすれば完璧ではないと思う。しかし、問題は被害の正確さではない。戦争というものが、決して最前線にはおらず、穏やかに日常を過ごしていた人々から容赦なく日常を奪い、蝕んでいく事実を、静かだが容赦なく描いたことに意味がある。
終幕、まるで星に吸い込まれていくかのような微かな悲鳴は、慎ましくも力強い表現によって、いつまでも胸に響き続ける。本篇は、この悲鳴に耳を傾けるひとがひとりでも増えるように、これからも鑑賞されるべき作品だ。
関連作品:
『戦場のメリークリスマス』/『愛のコリーダ〈修復版〉』/『もののけ姫』/『の・ようなもの』/『シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション』
『この世界の片隅に』/『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』/『ゴジラ(1954)』/『カウントダウンZERO』
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