『国宝(2025)』

TOHOシネマズ上野、スクリーン7入口脇に掲示された『国宝(2025)』チラシと副音声案内。
TOHOシネマズ上野、スクリーン7入口脇に掲示された『国宝(2025)』チラシと副音声案内。

原作:吉田修一(朝日新聞出版・刊) / 監督:李相日 / 脚本:奥寺佐渡子 / 企画&プロデュース:村田千恵子 / 撮影:ソフィアン・エル・ファニ / 照明:中村裕樹 / 美術監督:種田陽平 / 編集:今井剛 / 衣裳デザイン:小川久美子 / 衣裳:松田和夫 / ヘアメイク:豊川京子 / 特殊メイク:JIRO / 振付:谷口裕和、吾妻徳陽 / 舞踏指導:谷口裕和 / 歌舞伎指導:四代目中村鴈治郎 / VFXスーパーヴァイザー:白石哲也 / 音響効果:北田雅也 / 音楽:原摩利彦 / 主題歌歌唱:井口理 / 出演:吉沢亮、横浜流星、渡辺謙、田中泯、寺島しのぶ、高畑充希、森七菜、三浦貴大、見上愛、宮澤エマ、嶋田久作、黒川想矢、越山敬達、芹澤興人、瀧内公美、永瀬正敏、四代目中村鴈治郎 / 制作プロダクション:CREDEUS / 製作幹事:MYRIAGON FILMS / 配給:東宝
2025年日本作品 / 上映時間:2時間55分
2025年6月6日日本公開
公式サイト : https://kokuhou-movie.com/
TOHOシネマズ上野にて初見(2026/1/17)


[粗筋]
 長崎。歌舞伎の女形・二代目花井半次郎(渡辺謙)は、現地の興業を取り仕切る立花一家の宴会に同席したとき、立花家の親分・立花権五郎(永瀬正敏)の子息・喜久雄(黒川想矢)と出会う。直後、その場で敵対組織の襲撃によって、喜久雄の父である組長は殺された。
 1年後、喜久雄は半次郎の家に引き取られた。母親も喪い、父親の仇討ちを目論むも失敗に終わった喜久雄には、他に頼るところがなかった。半次郎は、あの宴会の余興で女形として《関の扉》を舞った喜久雄に才能を見出し、歌舞伎役者として育てることにしたのだ。
 喜久雄は“花井東一郎”の芸名を与えられ、半次郎の実子・俊介(越山敬達)、芸名“花井半弥”とともに芸の修行を始めた。半次郎の指導は容赦がなかったが、喜久雄にとってはそれすら楽しかった。人間国宝となった小野川万菊(田中泯)の、年老いてなお妖しく美しい芸を目の当たりにして、その境地を目指すのだった。
 やがて成長した喜久雄(吉沢亮)と俊介(横浜流星)は、お互いに切磋琢磨しつつ、2人ひと組での舞台を繰り返し経験し、息の合ったコンビになっていた。その稽古を目の当たりにした興業会社・三友の社長である梅木(嶋田久作)は2人をメインにした興業を打つことを決めた。
 そうして上演された《二人藤娘》《二人道成寺》は好評を博し、知名度を高める。ただその一方で、喜久雄はしばしば、自分が外様であることを思い知らされる。どれほど芸に励もうと、いずれ自分に与えられるのは端役ばかりで、主要な役どころは半弥のような、歌舞伎一家の血筋の者に割り振られる。
 だがある日、大きな公演を控えていた半次郎が、交通事故に遭ったことで、喜久雄、そして俊介の運命は、大きくうねり始めた――


[感想]
 これを書いている時点で、封切りから実に7ヶ月以上が過ぎている。にもかかわらず本篇は、未だ日本全国で上映が継続している――それどころか、1日3回、という尺を考えれば最大限と言ってもいい回数を確保した劇場があり、更にはIMAXなど、通常は封切り直後しか行われないラージフォーマットでの上映が改めて実施されている。日本の映画興収ランキングで実写として歴代第1位を獲得しながら、まだ大きく記録を伸ばす勢いだ。
 遅ればせながら、映画館で鑑賞してみて、ヒットするのは必然だった、とすら思う。
 原作は文庫で上下巻、そのまま映像化しようとすれば、たとえ3時間を費やしても収まらない。本篇はそれ故に、随所でだいぶ端折った印象は残っている。しかし、流れがスムーズなので、その省略を意識させない。説明台詞もテロップもなしに、断片的な情報と心情描写で観客に流れを浸透させる手管が巧みだ。
 だがやはり、本篇の凄みは、歌舞伎の描写のクオリティと美しさだろう。
 当然ながら本職の指導はかなり長い期間にわたって実施されたようだが、それにしても、劇中で演じる俳優たちが醸し出す“本物”の薫りは極上だ。主人公との幼い日を演じた2人も既に充分すぎるほど見事だが、長じてからの2人を演じた吉沢亮と横浜流星は更に凄い。長年、芸を競い合い、揃って舞台に立っていればこその息の合った舞踏はむろん、指導によって変化し、熟成するさままで見事に演じている。随所で披露される演目に目を奪われるうちに、あっという間に時間が過ぎてしまう心地がする。
 ドラマとしても実に巧みだ。現代の歌舞伎が、家名を重視されることは、日本人なら、この分野の知識が乏しくてもうっすら理解していると思うが、本編の中でその厄介さが明確に描かれる。俊介が喜久雄の芸の質に圧倒される一方で、どれほど稽古を重ねても、部屋子という立場では重要な役を得られない可能性のある喜久雄にも苦悩はある。互いを羨みながらも、義兄弟のような絆で結ばれた2人のやり取りは繊細で、物語が進むほどに観ていて胸が苦しくなる。やがてそれぞれに訪れる試練の鏡映しのような対比が、また情感を際立たせる。
 このドラマの表現に、歌舞伎の演目それ自体が絡んでいく趣向がまた素晴らしい。特筆すべきは《曽根崎心中》だろう。劇中、2度にわたって採り上げられるこの演目は、2人の芸が宿す物語を芸術へと昇華させている。直前に現れた確かな成長、そして舞台上で明瞭になる2人の思いは、観客の心を確実に震わせる。
 本篇はきちんと、歌舞伎の世界、というよりは興業の世界が備えていた負の部分も、それを批難したりすることなく見せている、という点も評価出来る。そもそもの来歴故、歌舞伎など芸能の公演と興行主としての任侠との接点は排除出来なかったし、稽古は現代では社会問題になりかねないほど暴力的な側面もあった。それが、まさに喜久雄と俊介が修行を重ねている時代に少しずつ変化し、喜久雄を追い込む、という構造などは、いまでもあちこちで目にする不寛容と理不尽だが、こうした側面もきちんと盛り込んでいる。
 伝統芸能の理不尽な歪さと、社会の変化に揺さぶられ、誤解を受けながらも芸に生きた姿が、最終的に芸として昇華され描かれる。その結晶となる、歌舞伎の描写が凄絶なほどに美しいから、本篇は観る者の胸を打つ。時間をかけて実際に芸に取り組んだ俳優陣と、優れた美術、撮影技術などが凝縮されたクライマックスは、間違いなく大スクリーンで鑑賞する価値がある。多くの人が賞賛し、映画館に脚を運ぶのもごく自然のことだろう。
 もちろん不満がないわけではない。前述したとおり、映画としては長いがそれでも収まらない原作の内容を随所で省略して構成した内容は、どれほど洗練していても駆け足の印象は残るし、それが引っかかる人もいるだろう。また、実際の歌舞伎に接している人には、演目の表現に満足がいくかは微妙だと思われる。実際、長唄や鳴物を映画のBGMで抑えてしまうことが気にかかる、という評は聞いたことがあるし、私自身、本来の音のみで見せても良かったのでは、と感じるシーンがあった。
 だがこれは大した瑕ではない。劇場映画である、という制約の中で、出来うる限界まで研ぎ澄ませた本篇もまた間違いなく芸術であり、往年の傑作と共に日本映画史に名前を刻む名作である、と思う。想像を遥かに上回るロングランにより、かなり遅ればせながら、とはいえ、映画館で鑑賞出来たのは本当に幸いだった――あとで配信やテレビ放送で観たら、きっと後悔していた。


関連作品:
許されざる者(2013)』/『サマーウォーズ
空の青さを知る人よ』/『一度死んでみた』/『GODZILLA ゴジラ(2014)』/『PERFECT DAYS』/『キネマの神様』/『ヲタクに恋は難しい』/『地獄少女』/『シン・ウルトラマン
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