原案:映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』(臼井儀人[原作]、原恵一[監督・脚本]) / 監督・脚本・VFX:山崎貴 / 撮影:柴崎幸三,JSC / 照明:水野研一 / 美術:上條安里 / 装飾:龍田哲児、中澤正英 / 編集:宮島竜治 / 床山・美粧:曽我恒夫 / 結髪・美粧:高崎光代 / ヘアメイク:宮内三千代 / VFXディレクター:渋谷紀世子 / 殺陣:中瀬博文 / 音楽:佐藤直樹 / 出演:草なぎ剛、新垣結衣、武井証、夏川結衣、筒井道隆、大沢たかお、吹越満、斎藤由貴、吉武怜朗、浪岡一喜、菅田俊、小澤征悦、中村敦夫 / VFXプロダクション:白組 / 企画・制作プロダクション:ROBOT / 配給:東宝
2009年日本作品 / 上映時間:2時間12分
2009年9月5日日本公開
公式サイト : http://www.ballad-movie.jp/
TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/09/05)
[粗筋]
小学生の川上真一(武井証)が暮らす街には、“川上の大クヌギ”という大樹がある。いじめられていた同級生を助けられなかった真一は、勇気をください、と時々祈りを捧げに来ていた。
ある日真一は、大クヌギの根元からやけに古びた箱に収められた紙切れを発見する。訝りながらそれを見つめていた真一は――気づいたときには、見知らぬ場所にいた。
大クヌギの影も形もなく、周囲にあったはずの住宅もない。お祭りの太鼓に似た音を聞いた真一がそちらに向かうと、旗印を掲げた無数の鎧武者の姿。近くの草原には、鎧武者に向かって銃を構えた兵がふたり潜んでいる。真一が訳も解らず声をかけると、驚いた兵が発砲、照準を向けられていた男が振り向いたその胸許を銃弾がかすめた。
真一は狙われていた侍――井尻又兵衛(草なぎ剛)に捕らえられ、彼の仕える康綱(中村敦夫)の居城・春日城に連行される。どうやらここが戦国時代らしい、と気づいた真一は自分が未来から来た、と訴えた。
当然、最初は疑いの眼差しを向けられるが、ひとりの女性の登場で流れが変わる。彼女は康綱のひとり娘・廉姫(新垣結衣)――彼女の顔を見た瞬間、真一は驚きの声を上げる。この時代に飛ばされる直前、真一は夢の中で繰り返し、湖の畔で祈りを捧げるお姫様を見ていた。事実、廉姫は毎日、湖に向かってあることを祈り続けていたのだ。廉姫は真一が何かの役割を負ってここに遣わされたのだと信じ、彼の面倒を見るように命じる――又兵衛に。
厭々ながら真一を自らの家に招き入れた又兵衛だったが、出で立ちこそ風変わりだが純真な彼の言動に次第に気を許していった。両親が心配しているかも、と呟いた真一に、文を残してみてはどうだ、と提案し、紙と墨に、未来まで保ちそうな箱を用意する。言われるまま手紙を用意していた真一は、書いているうちに気がついた。それこそ、真一が大クヌギの木の根元で発見した手紙だったのだ。
――そして、真一が突如姿を消した直後の現代、真一の両親が彼の手紙を発見する。母・美佐子(夏川結衣)は真一が本当に戦国時代にタイムスリップした可能性があると察知した。父・暁(筒井道隆)ははじめこそまさか、と反発するが、やがて美佐子の言う可能性に賭けてみることに決める。
真一を追って、過去に向かうのだ。
[感想]
本篇は、2002年に公開された映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』の実写版リメイクである。ちょうどこのあたりから『クレヨンしんちゃん』映画版は評価を俄然高め、本篇のオリジナルには「大人が見ても泣ける」という評判が立つほどだった。私自身は原作のほうは鑑賞していないのだが、そういう噂を耳にしていたために、本篇の公開を待っていた。
なるほど、これは確かに、子供向けだと高を括って足を運ぶと意表をつかれ、涙腺を刺激される可能性は強い。
現代の家族が揃ってタイムスリップするその理屈についてはまったく言及していないが、そのこと自体はあまり重要ではない。現代の家族と戦国時代、暮らしぶりも価値観も違う人々が交流する姿と、この出来事が彼らの人生に齎した意義を描くことに焦点が置かれ、その展開が観るものに感動させる。
ユニークなのは、春日城の城主・康綱が、自分たちも、近隣で最も勢力を誇る武将でさえも、構成の歴史に名前を残していないと悟り、戦国時代ではあり得ない結論を下すくだりだ。こういう類のフィクションはけっこう多いものの、本篇のような成り行きを辿る物語はあまり記憶にない。時代考証をきちんと行いながら、実在しない国や武将を出すことで行動に自由を生んでいるからこそ可能なひねりが、作品に驚きと個性を齎している。
ただ、時代が移ったあたりからしばらくは、多かれ少なかれ違和感を覚えるはずだ。言葉遣いがやや現代的であり、真一たちの「未来から来た」という発言をあまりに素直に受け入れていることなど、やはり構造的に子供っぽい部分が随所で垣間見えるのである。未来の世界から来る、という観念は、そういうシチュエーションのフィクションがあまり存在していなかった時代の人々に伝えにくいはずだし、“自由”や“身分を超える”という考え方も、そうシンプルに理解されたとは考えにくい。
しかしこのあたりは、原作が本来子供に向けて製作された映画であることを受けて、実写リメイクである本篇も子供が理解しやすいものにしよう、と製作者側が苦慮した結果であると察せられる。実際、そのつもりで眺めれば、全体に貫かれたシンプルさは、時代物に馴染みのない子供であっても受け入れやすく描かれていることは評価出来る。そう割り切ることが難しいという人には、たぶん本篇はあまり楽しめないだろう。戦国時代を扱いながら、血飛沫や凄惨な死の場面をほとんど画面に入れていないことや、終盤の展開など、作りが善良かつマイルドに調整されている点に最後まで苛立つ恐れがある。
だがその一方で、本篇は合戦の様子が従来の時代物とは異なる、しかし真に迫った描き方をしている点が見所となっている。竹で編んだ楯を構えてじわじわと城壁に迫っていき、外からは可動式の櫓などを用いて爆薬を投げ込み、内側からは投石などで応戦する、という城攻めの様子は、間違いなく当時の戦い方、と感じさせるのに類例があまり思い浮かばない。ブラッド・ピット主演の『トロイ』や昨年・今年と大ヒットを飛ばした『レッドクリフ』を彷彿とさせる泥臭さやリアリティがある。合戦前夜に又兵衛が策を弄して敵方の神経を消耗させたり、日暮れには戦いを切り上げ、撤退を始めた相手には危害を加えない、といった一種長閑な様相も新鮮だが、時代性を思えば納得がいく。非常に特異である分、受け入れられるかはその人の考え方次第ではあるが、考証をきちんと施しながらも新しいタイプの時代物に仕上がっていることは確かだ。
きちんと練り込まれた土台のうえに築かれ、いちばん高いところに掲げられているのは、又兵衛と廉姫との身分を超えた恋である。時代背景、その描き方を取り除けば、やはり構造はとても単純明快だが、だからこそ感動を誘う。ある程度フィクション慣れした大人なら、ラストの展開も察せられるが、その裏切らない誠実さもまた、この作品の場合は意図した通りであろうし、魅力に繋がっている。
それでもクライマックスの出来事にはもう少し伏線が必要だったのでは、とか、エピローグ部分で提示されるメッセージは他にもやりようがあったのでは、など細かく首を傾げる点もあり、傑作である、と断じるにはやや物足りないのだが、独自に考証を施した上で丁寧に、かつ解り易く作ったことに好感の持てる、良質の映画である。近年は暴力描写に容赦のない映画が増えており、面白いけどそういうものに抵抗のある人や感受性の強すぎる子供には薦めにくい、と悩むことが多いので、よほどのひねくれ者でもない限り安心して薦められる作品であること、それ自体が本篇の価値を強めている。
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