『愛のコリーダ〈修復版〉』

ヒューマントラストシネマ有楽町、チケットカウンター手前に掲示された『愛のコリーダ〈修復版〉』ポスター。
ヒューマントラストシネマ有楽町、チケットカウンター手前に掲示された『愛のコリーダ〈修復版〉』ポスター。

原題:“L’empire des Sens” / 監督&脚本:大島渚 / 製作代表:アナトール・ドーマン / 製作:若松孝二 / 撮影:伊藤英男 / 照明:岡田健一 / 美術:戸田重昌 / 装飾:荒川大 / 衣裳:加藤昌廣 / 美粧:竹村幸二 / 結髪:大沢菊江 / 編集:浦岡敬一 / 録音:安田哲男 / 助監督:崔洋一 / 音楽:三木稔 / 出演:松田英子、藤竜也、中島葵、芹明香、阿部マリ子、三星東美、藤ひろ子、松井康子、殿山泰司、白石奈緒美、青木真知子、東祐里子、安田清美、南黎、堀小美吉、岡田京子、松廼家喜久平、九重京司、富山加津江、福原ひとみ、野田真吉、小林加奈枝、小山明子 / 初公開時配給:東宝東和 / 映像ソフト最新盤発売元:紀伊國屋書店 / 修復版配給:unplugged
1976年フランス、日本合作 / 上映時間:1時間48分 / R18+
1976年10月16日日本公開
2021年5月12日修復版日本公開
2011年9月26日映像ソフト最新盤発売 [DVD Video]
2021年修復版公式サイト : https://oshima2021.com/
ヒューマントラストシネマ有楽町にて初見(2021/5/18)


[粗筋]
 昭和十一年、阿部定(松田英子)は料亭・吉田屋に女中として雇われた。かつては芸妓や女郎をしていたが、パトロンとなっていた名古屋の学校校長・大宮(九重京司)に堅気の仕事に就くことを勧められ、紹介されたのである。
 吉田屋の主人・吉蔵(藤竜也)は使用人が部屋に訪ねてきても、平然と女将・トク(中島葵)と肌を合わせているような、性に奔放な人物だった。同僚に誘われ、情交の現場を覗いた定は、陶酔するトクと、逞しく瑞々しい吉蔵の肉体に魅せられる。
 吉蔵もまた、女郎であった定に魅力を感じていた。出先では酒を呑まない、と言い、部屋でひとり杯を傾け清元を唄っていた吉蔵のもとに銚子を運んだ定は誘われるがまま、吉蔵に身を委ねてしまう。
 こうして人目を忍び身体を重ねるようになった定と吉蔵だが、ほどなくトクはふたりの関係を嗅ぎつけた。それを承知で、見せつけるように吉蔵に跨がるトクに激しく嫉妬した定は、吉蔵を促し駆け落ちを図る。
 待合で芸者たちを立ち会わせ、祝言の真似事をした定と吉蔵は、情欲の日々を過ごす。飽くことなく身体を求める定の欲望に吉蔵は応え続け、いつしかふたりの行為は常軌を逸したものになっていった――


[感想]
 本篇は、未だ語り継がれる、昭和を代表する事件のひとつ“阿部定事件”をもとにしている。粗筋では最後まで綴らなかったが、定が最後に取った行動をご存知の方は多いはずである。男性は恐怖ですくみ上がり、女性でも異様さに戦くような彼女の最後の行動は当時、センセーショナルに報じられ、第二次世界大戦を挟んでふたたび脚光を浴びたことにより、猟奇犯罪の代名詞のようになっている。
 しかし、当事者である阿部定が残した証言や、その後の彼女の振る舞いから浮かび上がるのは、“被害者”である吉蔵に対する深い愛情だ。本篇はそれを、事件そのものに匹敵する大胆な手段で描きだした。
 実際、最初に公開されたときはそういう扱いだったようだが、その表現はほぼハードポルノだ。昼夜を問わず身体を重ねることで愛を募らせ、吉蔵への執着を募らせていった定の姿を表現するため、本篇は映画撮影の現場では通常行われない“本番行為”を実施した。そこまでして描かれた、定と吉蔵の爛れた性生活は異様なまでの生々しさがある。
 それでいて、本篇の性描写は、決して卑猥なばかりではない――エロティックなことは確かだが、ただ煽情的なばかりでなく、そこに感情の変化、心理の機微が織り込まれている。序盤、迷い込んだかつての客でいまは乞食となった男(殿山泰司)に請われて性器に触れる所作には、定の情の深さが垣間見える。最初、定は吉蔵にほだされるように身体を任せるが、次第に吉蔵の肉体に対する執着を露わにしていく、その心情の濃淡の表現も巧みだ。
 同じ種類の描写を延々と続けていくと、どれほど刺激的な内容であっても観客側は慣れ、倦んでしまう。この作品でも、あまりに繰り返される濡れ場に、気づけば慣れてしまっている。しかし、その状態であればこそ、終盤に至って破滅的な行為を選択してしまうふたりの心情が理解できるのだ。あまりにも情が深すぎて際限なく求めてしまう定と、そんな彼女を尋常ならざる懐の深さですべて受け入れてしまう吉蔵。クライマックスはあまりにも有名な、猟奇的な行為が待ち受けているが、本篇を観ているとそれが必然だったように感じられる。
 定も吉蔵も、犯罪には手を染めていないが、いずれも堅気とは言いがたく、倫理観は現代のそれとも、当時の一般人とも隔たっている。その生き様に同調は出来ないが、彼らがこういう末路に至ったことは頷けるし、自らの愛のかたちに文字通り全身を捧げた姿が、美しく映るのだ。むろんこの美しさは、丁寧に計算された美術とカメラワーク、そしてその肉体を惜しげもなく晒した松田映子や藤竜也も大きく貢献しているが、この設計図を書き、様々な障害を乗り越えてまとめ上げたのは、大島渚という稀有な豪腕があってのことだろう。
 想像するほどにイヤらしさは感じない、とは言い条、やはりまだ初心な少年少女に見せるには刺激が強すぎる。しかし、そんな危うさの中に繊細な機微を埋め込んだ本篇は、映画という表現のひとつの極北だ。当時でさえ奇跡的だったはずだか、たぶんこんな境地に辿り着くことの出来る作品は今後も稀だろう。

 当時よりも現在の方が表現についての縛りは厳しい印象だが、実は後年の方が緩和されている部分もままある。本篇が製作された当時も、表現に対する規制は確かにあった。
 法の眼を掻い潜るため、撮影は部外者をシャットダウンして日本国内で行う一方、フィルムの現像などはフランスのスタッフで行い、フランス主導で製作された作品とした。それでも日本での初公開時はかなり無惨な編集が施され、関連書籍が裁判にかけられる騒動に発展している。
 最終的に裁判は無罪の判決を受け、作品ものちに本来のカットに戻し、局部をモザイクで隠したヴァージョンが日本で公開されるようになった。だが、海外ではリリースされている無修正版が未だ日本では正式な形で鑑賞することは出来ず、その点に対する不満の声もあるらしい。
 しかし個人的には、今回の〈修正版〉レベルなら充分に許容範囲内ではないか、と考える。むしろ、あまりにもあからさまに晒してしまうより、肝心な部分が隠れている方が煽情的とも言える――だとしたらやっぱり無修正の方がいいんじゃ、とも思うが、いずれにせよ、既に本篇は時の経過にあっさりと埋もれるような評価はされていない。いつかは監督らスタッフが望んでいたかたちで、多くの観客がスクリーンで鑑賞出来る日が来る、と信じたい。


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コメント

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