新宿シネマカリテ、1階入口のドアに掲示された『バルタザールどこへ行く』ポスター。
原題:“Au Hasard Balthazar” / 監督&脚本:ロベール・ブレッソン / 製作代表:マグ・ボダール(パルク・フィルム) / 撮影監督:ギラン・クロケ / 美術:ピエール・シャルボニエ / 編集:レーモン・ラミー / 音楽:シューベルト、ジャン・ヴィーネル / 出演:アンヌ・ヴィアゼムスキー、フランソワ・ラファルジュ、フィリップ・アスラン、ナタリー・ジョワイヨー、ヴァルター・グリーン、ジャン=クロード・ギルベール、ピエール・クロソフスキー、バルタザール / 配給:コピアポア・フィルム / 映像ソフト発売元:IVC,Ltd.
1966年フランス、スウェーデン合作 / 上映時間:1時間36分 / 日本語字幕:?
1970年5月2日日本公開
2020年10月30日4Kリマスター版日本公開
2017年6月30日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
公式サイト : http://balthazar-mouchette.com/
新宿シネマカリテにて初見(2020/11/10)
[粗筋]
ロバのバルタザールは幼くして、農場主の息子ジャックと、校長の娘マリーに見初められ、農場に買い上げられた。幼いふたりはバルタザールを可愛がるが、ジャックの一家が引っ越したことで、その絆は壊れてしまう。
月日を経て、大きくなったバルタザールは人手に渡り、輸送手段として酷使された。やがてある日、バルタザールは逃げ出し、かつて面倒を見てもらった馬房へと舞い戻る。そこには、大人になり、美しく育ったマリー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)がいまも暮らしていた。
こうしてふたたび巡り会ったマリーとバルタザールは、不良少年たちから「愛し合っている」と揶揄されるほど仲睦まじく振る舞う。しかし、かつては厳格で裕福だったマリーの一家はこの頃、両親の誇り高さ故に困窮しつつあった。その苦悩のなかでマリーは、村で悪さばかり働いているジェラール(フランソワ・ラファルジュ)に惹かれていき、不道徳な生活を送るようになる。
マリーが世話をしなくなったために、両親はバルタザールをふたたび売却した。そこでもまた酷使されたバルタザールは、次第に疲弊していく……。
新宿シネマカリテ、ロビーに展示された『バルタザールどこへ行く』のペーパークラフト(だと思う)。
[感想]
本篇を読み解くのはなかなか難しい。こちらは日本であちらはフランス、それも農村での物語であるため、制度や常識がすぐに飲み込めないことも大きいと思われるが、しかしそのことを抜きにしても、説明が乏しい。
冒頭、バルタザールというロバが果たして買われたものなのか、譲られたものなのか、といったあたりから描写が不明瞭だ。持ち主となったのがジャックの家なのかマリー家なのか、も定かではない。その後、ジャックたち一家がなぜか土地を去ったあと、急にバルタザールが蹄鉄を着けられ、農作業などに酷使されるさまが描かれるが、それがマリーの家なのか、人手に渡った結果なのか、も解らない。やがて逃げ出したのちに、序盤に登場した馬房へと舞い戻るさまが描かれていることから、どうやらマリーたちからも離れていたことがようやく窺えるが、その間の事情は語られない。
万事この調子で、なぜこういう状況になっているのか、というのを、本篇はほぼほぼ説明しようとしない。だから必然的に観客はすべての描写に注意を払い、その都度解釈を求められる。しかも、劇中でそうした“謎”に明快な答は示されないので、不安や居心地の悪さを味わいながら観続けることになる。説明の添えられていない絵画を鑑賞し読み解くような感覚で、それ自体を愉しめるひとでないと、ただ「よく解らないけどロバがひどい目に遭う話」程度の感想で終わってしまう。
しかし、語っていない部分があまりに多く、解釈の幅がいくらでもある本篇は、観るひとによって、そしてそのときどこに注目して鑑賞するかによっても捉え方が変わる、多彩な表情を示すはずだ。
本篇において、ロバのバルタザールと共に大きい存在感を示すのは、マリーという女性である。最初は幼い恋人だったジャックと共にバルタザールを慈しむが、いつの間にかバルタザールは手放され、その間、彼女や家族がどうしていたかは示されない。しかし、彼女が暮らしていた家がふたたび登場すると、そこはすっかり荒れ、マリーも鬱屈を抱えた佇まいになっている。もともと彼女の父は校長であり、身なりからも上品に、厳格に育てられていたことが窺えるが、しかし画面に再登場したマリーはやがて、悪さばかり働くジェラールに惹かれ、道を踏み外していく。
ロバがそうであるように、マリーもまた抗いようのない出来事に翻弄され虐げられる存在と言えるが、大きく違うのは、彼女は“ジェラールへの思慕”というかたちで、むしろそれを積極的に受け入れているように映る点だ。そして無自覚のうちに、いちどは「愛し合っている」と揶揄さえされたバルタザールに関心を示さなくなり、他のひとびとと同様に、悪意や無自覚の象徴となっていく。
ジェラールがいささか突出して卑劣に見えるが、しかし彼を含め、本篇には突飛な個性を持った人物は登場しない。厳格すぎるマリーの両親も、ロバを酷使する労働者達も、そしてジェラールたちのような不良でさえも、どこにでもいる凡庸なひとびとに過ぎない。しかし、ロバを軸に描くことで、そんな彼らが持つ暴力性や無神経さ、身勝手ぶりがいやというほど露わにされていく。そのときの立ち位置で愛されたかと思えば鞭打たれ、悪童の玩具にされ、易々と売り払われたかと思えば、あるときは“神聖なロバ”と表現されたりもする。
果たしてこの監督は、この“神聖なロバ”にいったい何を託して描き出そうとしたのか。いずれにせよ、いつしか観客はこの物云わぬバルタザールの悲鳴が、自然と聞こえるようになるはずである。それが決して、このロバ1匹の悲劇だったわけではなく、人間の軽率さ、思慮の乏しさに苛まれる者が常にどこかに存在することを暗示するかのようだ。
本篇には著名な俳優はひとりも出ていない――起用されたのち、他の作品に出演する者もいたようだが、撮影時はみな素人だったのは確からしい。それ故に、演技はみな朴訥で抑揚に乏しいが、それがまた却ってこの世界の“近しさ”を観る者に感じさせる。残酷なまでに端正な映像とも相俟って、文字通り、絵画の地獄絵図にも似た趣のある作品である。恐ろしいのに、立ち止まって見入るしかないような。
関連作品:
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『それぞれのシネマ ~カンヌ国際映画祭60周年記念製作映画~』
コメント
[…] [感想] とても当たり前のことだが、神に仕え、信仰をひとびとに説く司祭といえども、一個の人間に過ぎない。 […]