『田舎司祭の日記』

新宿シネマカリテ、ロビーに展示された『田舎司祭の日記』イメージヴィジュアルと場面写真、およびロベール・ブレッソン監督作品のキーヴィジュアル。
新宿シネマカリテ、ロビーに展示された『田舎司祭の日記』イメージヴィジュアルと場面写真、およびロベール・ブレッソン監督作品のキーヴィジュアル。

原題:“Journal d’un cure de campagne” / 原作:ジョルジュ・ベルナノス / 監督&脚色:ロベール・ブレッソン / 製作代表:ロベール・シュスフェルド / 撮影:レオンス=アンリ・ビュレル / 美術:ピエール・シャルボニエ / 編集:ポーレット・ロベール / 音楽:ジャン=ジャック・グリューネンヴァルト / 出演:クロード・レデュ、アルマン・ギベール、ジャン・リヴィエール、ニコル・ラドラミル、マリ=モニーク・マイケル・パルペトレ、ニコール・モーレイ / 配給:MERMAID FILMS / 映像ソフト日本最新盤発売元:KADOKAWA
1951年フランス作品 / 上映時間:1時間55分 / 日本語字幕:?
2021年6月4日日本公開
2019年7月5日映像ソフト最新盤発売 [DVD VideoBlu-ray Disc]
公式サイト : https://inakashisai2021.jp/
新宿シネマカリテにて初見(2021/7/8)


[粗筋]
 若い司祭(クロード・レデュ)は初めての教区として、アンブリクールという地方の街を任された。
 だが、赴任早々、司祭は住民達の冷たい態度に悩まされる。司祭は青少年の交流を促すべく、領主(ジャン・リヴィエール)に納屋や土地を提供してもらいスポーツクラブを興そうと交渉するが、色好い返事をしてくれない。一方で領主の娘シャンタル(ニコラ・ラドミラル)は、使用人のルイーズ(ニコール・モーレイ)が両親を唆して自分を寄宿学校に送りこもうとしている、と訴え、司祭を翻弄した。
 もともと病弱な司祭は、赴任以来胃痛にも苦しめられていた。ろくに食事が喉を通らず、パンを浸したワインで辛うじて栄養を摂取している。だが、常に年中、ワインを口にしているせいで、住民からは酒浸りに見られている、と言われ、ショックを受ける。
 トルシーという教区を受け持つ年長の司祭は超然とした態度を説くが、若く生真面目な司祭は、住民の言動や自身の病状に振り回され、次第に衰弱していくのだった……。


[感想]
 とても当たり前のことだが、神に仕え、信仰をひとびとに説く司祭といえども、一個の人間に過ぎない。人間関係に悩み、理想通りに運ばない現実に焦り、そして病にも蝕まれる。
 本篇はそのごく当たり前のことを、生真面目であるが故に背負いすぎてしまう若き司祭が綴った日記に基づく、というかたちで、彼の視点より物語を綴っていく。
 決して経験豊かでも、信仰について何らかの悟りに達したわけでもない若者であることが、本篇のポイントだろう。それは劇中、若い司祭の相談相手として登場する、トルシーという教区を任されている年嵩の司祭の言動からも窺える。住民が誰しも敬虔な信徒ではなく、身勝手な要求をしてくることも、そうした住民と教会側の意識が噛み合わないことも重々承知している。だから、年嵩の司祭は泰然とした姿勢を説くが、生真面目な若い司祭はそんな風に割り切ることが出来ない。
 そして、そんな彼を、心身の不調が同時に苛んでいく。胃弱の事実が、司祭としての任に差し障りがある、と捉えられたくない一心で、司祭は自らの不調を申告せず、自己流で病に対処しようとする。ワインと、ワインに浸したパンと穀物だけ、という、現代の人間の目からすれば素人でも問題がありそうな取り合わせだが、どうにか栄養を摂取でき、多少なりとも気力が戻る、という事実に司祭は縋ってしまう。
 物語は、そんな司祭と住民との交流、そして心身の変化を点綴するかたちで紡いでいく。そうして次第に露わになっていくのは、信仰というものの危うさだ。
 司祭と関わるひとびとが決して、信心に乏しいわけではない。しかし、生活を、人生を捧げて神に奉仕しようとする司祭と比較すれば、理解も覚悟も生易しいのは自明だろう。だが、若い司祭はそれを受け入れられるほどの寛容さも諦観もない。それゆえに、身辺のひとびとの言動を息苦しいほどに抱え込んでしまう。
 そのなかで悪化していく病もまた、司祭を追い込んでいく。かなり早い段階で「祈ることが出来ない」と吐露するのは、文字通り身を粉にして神に仕える自分を、他ならぬ神が顧みない、というジレンマの表れだろう。これも、司祭がより経験を積んでいれば悟りもしただろうが、若さが却って彼を追い込んでいくのだ。
 ロベール・ブレッソン監督は専業の俳優を使わず、素人を起用するスタイルを取るようになるが、本篇はその端緒にあたるという。事実、本篇の主要キャストは、決して感情表現に優れている印象はない。しかし素朴で、大きな起伏なく示す表情には、驚くほどの説得力がある。恐らく、監督が不慣れな役者たちから表情を引き出す方法論をきっちりと構築したからこそ、この情感、画面の饒舌さを実現できるのだろう。後年の、役柄が更に込み入ったものになり、ストーリー性も増した『バルタザールどこへ行く』や『少女ムシェット』のほうが技術的に洗練されているのは間違いないが、日記という体裁で点綴する時間の蓄積が、さながら全篇を印象派の絵画のように演出した本篇は、技法を確立した、という以上の価値を感じる。
 日記という形式だからこそ許されるかたちで綴る結末の、空虚だが不思議な色彩を漂わせる余韻も忘れがたい。映像ソフトのリリースや映画祭での上映は実施されていても、一般劇場での公開は行われていなかった、というのが訝しく思える、滋味豊かな逸品である。


関連作品:
バルタザールどこへ行く』/『少女ムシェット
ダウト ~あるカトリック学校で~』/『汚れなき祈り』/『スポットライト 世紀のスクープ』/『沈黙-サイレンス-(2016)

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