『ブラックアダム(字幕)』

丸の内ピカデリー、シアター2側ロビーに掲示された『ブラックアダム』ポスター。
丸の内ピカデリー、シアター2側ロビーに掲示された『ブラックアダム』ポスター。

原題:“Black Adam” / 監督:ジャウム・コレット=セラ / 脚本:アダム・スティキエル、ローリー・ヘインズ&ソーラブ・ノシルヴァーニ / 製作:ボー・フリン、ハイラム・ガルシア、ドウェイン・ジョンソン、ダニー・ガルシア / 製作総指揮:トビー・エメリッヒ、リチャード・ブレナー、デイヴ・ノイスタッター、クリス・パン、ウォルター・ハマダ、アダム・シュラグマン、ジェフ・ジョンズ、エリック・マクレオド、スコット・シェルドン / 撮影監督:ローレンス・シャー / プロダクション・デザイナー:トム・マイヤー / 編集:ジョン・リー / 衣装:カート・アンド・バート / キャスティング:リッチ・デリア / 音楽:ローン・バルフェ / 出演:ドウェイン・ジョンソン、オルディス・ホッジ、ノア・センティネオ、サラ・シャヒ、マーワン・ケンザリ、クインテッサ・スウィンデル、モー・アマー、ボディ・サボンギ、ヴィオラ・デイヴィス、ピアース・ブロスナン / セヴン・バックス/フリン・ピクチャーズ CO.製作 / 配給:Warner Bros.
2022年アメリカ作品 / 上映時間:2時間5分 / 日本語字幕:アンゼたかし
2022年12月2日日本公開
公式サイト : http://blackadam-movie.jp/
丸の内ピカデリーにて初見(2022/12/15)


[粗筋]
 約5000年前、エジプト文明よりも先に隆盛を誇り、人類で最も早く民主主義国家を築いたカーンダックは、しかし野心を抱くアクトン王率いる軍事政権によって制圧された。国民はアクトン王の野望を叶えるために必要な鉱物《エタニウム》発掘のため奴隷として駆り出され、苦難の日々が続いたが、やがて魔術師によって選ばれたひとりの“英雄”の登場により解放されたという――
 そして現代。カーンダックの民はふたたび苦難の時を迎えていた。インターギャングと呼ばれる組織によって支配され、首都への出入りですら厳重に管理され自由を奪われている。レジスタンス活動を重ね、インターギャングから指名手配されているアドリアナ(サラ・シャヒ)は、インターギャングが狙っていると思しき古代の遺物である、かつてアクトン王が《エタニウム》によって製造し、悪魔の力を封じた《サバックの王冠》の場所を古文書から特定に成功、その力が悪用されないよう、発掘して廃棄する計画を立てる。
 見事に《サバックの王冠》を発券したアドリアナたちだったが、まさにその現場をインターギャングが襲撃してきた。追い込まれたアドリアナは、同じ遺跡にある碑文を読み、この地に封印されていた5000年前の“英雄”テス・アダム(ドウェイン・ジョンソン)を解放する。テス・アダムはインターギャングの持ちだした銃火器をものともせず、ほぼ壊滅させてしまう。だが、最後に放たれた《エタニウム》を用いた砲弾によって思わぬ傷を負い、アダムは意識を失う。
 アドリアナは仲間でもある弟のカリーム(モー・アマー)の手を借り、彼らがアジトにもしているアパートへとアダムを運び込んだ。アドリアナのひとり息子で、ヒーローに強い憧れを抱くアモン(ボディ・サボンギ)は欣喜雀躍とするが、目醒めたアダムは自らをヒーローではない、と言い切る。
 その頃、インターギャングは混乱の中でアドリアナが持ち去った《サバックの王冠》を探して追っ手を放っていた。そして同時に、アダムの強い“魔力”を検知した秘密組織《A.R.G.U.S.》も動き始めていた。長官のアマンダ・ウォラー(ヴィオラ・デイヴィス)は《ホークマン》ことカーター・ホール(オルディス・ホッジ)を中心とするヒーローのチーム《JSA》を召集し、アダムの強大すぎる力の封印を画策する――


[感想]
 ライヴァルであるマーヴェルの映画最新作として『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』が公開されて程なく、DCも同じ色を冠した作品をリリースした、というのも奇縁だが、その内容にやけに重なる部分があるのもまた奇縁だ。
 あちらは王を失った国を、新たに背負うべき人々が復讐心に駆られ葛藤する様がドラマの軸として用いられるが、こちらは復讐心に駆られた結果、封印された超人が、長い時を経てふたたび抑圧された祖国に蘇る物語である。あちこち捻れているが、それぞれが“ヒーロー映画”という大きな枠組みの中で展開しているので、結果としてあちこちに共通項のちらつく構造となっている。
 だが、監督の作家性を反映し、哲学的な重厚さをも孕んだ『ワカンダ・フォーエバー』に対し、本篇は作家性を抑え、とことんまで“ヒーロー映画”ならではの娯楽性を追求しており、面白いほどに趣を違えている。
 監督のジャウム・コレット=セラは異色のスリラー『エスター』で注目されて以来、リーアム・ニーソンと組んでアクションにも力を入れたりしながら、いわゆる“ジャンル映画”にこだわってきた人だ。そういう意味ではスタンスはブレていないのだが、スリラーの緊迫感を巧みに演出し、サメ映画では久々の快作となった『ロスト・バケーション』を生んだ監督とは思えないほど、本篇は“ヒーロー”映画として仕上がっている。
 ただし、“ヒーロー映画”と言っても、巨悪に正義の味方が挑む、というシンプルな構造には収まっていない。悪党の側はゆるぎない悪意に駆られて暗躍しているのは間違いないが、本篇のタイトルロール・ブラックアダムには、“英雄”と呼ばれることに激しいジレンマがある。ヒーローに憧れるアモンと序盤に交わす会話で、その呼び方にあからさまな拒否反応を示す理由はおいおい明かされるが、この困惑、逡巡が本篇・そしてブラックアダムというキャラクターに意外なほどの深みを生みだしている。
 しかしその一方で、本篇は決してドラマ的な奥行きを追求することに拘らず、現実を超えた能力者たちのダイナミックな戦いを面白く、魅力的に描くことに徹していることも窺える。あえて説明的にまとめたプロローグ、敵方の人間性を一切合切無視して文字通り薙ぎ倒していく序盤のアクション、異能者たちそれぞれの特徴を活かしたユーモアに富んだ混戦などなど、躍動的な見せ場に事欠かない。そのなかで、段階的に明かされているブラックアダムの背景や、《JSA》のリーダーであるホークマンと、未来を読むことの出来る歴戦のヒーロー《ドクター・フェイト》(ピアース・ブロスナン)ら正統派ヒーローたちが、正統派であるがゆえに孕むヒーローとしての悩み、世代交代の問題など、長年の歴史を有するアメコミ原作であればこその苦悩もまたこまめに織り込んでおり、そつがない。
 本篇においてブラックアダムは最後まで“アンチヒーロー”というスタンスを貫いている。しかし興味深いことに、彼がそれに自覚的であればこそ、本篇は“ヒーローとは何者か?”という問いかけを繰り返す物語にもなっているのだ。『ワカンダ・フォーエバー』と並べると、その出発点も、着地点も近しいのに、終始軽快である本篇のほうが、ある意味ではごく正統派のヒーロー映画に思えてくるのも面白いところである。
 主演のドウェイン・ジョンソンはこのブラックアダムというキャラクターへの愛着が強く、製作という立場でも作品に携わっている。その熱量ゆえに、ブラックアダムの人物像の完成度、ドウェイン・ジョンソンのハマりっぷりは素晴らしい。プロレスラーとして鍛え上げた肉体が神々の力を得た超人、という設定に説得力をもたらしている。それがスローモーションを駆使して、人間の常識を超えたスピードで躍動する序盤の大暴れは、その演出も含めて一見の価値がある。アモンとの関係性に少々『ターミネーター2』の安易なリスペクトめいた部分が見受けられるのに苦笑いも漏れるが、危険だが不器用で、ある意味誠実な人物像には愛すべき魅力が生まれている。どうしても人間的な悩みが先行しがちなマーヴェルのヒーローたちや、バットマンやスーパーマンのように、背景がシリアスになる傾向のあるDCのヒーローよりも、ある意味で正しくヒーローに映るのも、ドウェイン・ジョンソンが昨今のヒーロー映画に抱いた違和感が反映されているように思えてならない。そして本篇が北米での公開初期、評論家の評価と観客の評価が大きく乖離したのも、あえてそういうベタなところを押さえることで、アメコミヒーローに親しんでいた人びとの理想に近づいたからこそではなかったか。
 ドラマとしての深み、という意味では、マーヴェルで評価の高い作品や、《DCEU》の枠組の外で製作された『THE BATMAN-ザ・バットマン-』や『ジョーカー』には及ばない。だが、近年製作されたどのアメコミ原作作品よりも、その本来の魅力を映画として蘇らせた作品、と言えるかも知れない。

 これだけ魅力的に構築された作品なので、可能なら続投するべきだ、と私は思うのだが、どうやらあまり楽観視できない醸成のようだ。
 そもそも興収がスタジオの期待した水準ではなかった、という噂も聞こえるが、もっと明白な障害として、DC映画のブレーンがここに来て総入れ替え担った、という事実がある。新たにブレーンとして起用されたなかには、マーヴェルには『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』で、こなたのDCでも『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』によって新風を吹き込んだジェームズ・ガンが加わった、と正式にアナウンスされている。既にSNSなどで様々に飛び交うファンの意見に対ししばしば反応するガンのコメントをざっとまとめれば、今後のDC映画の展開は大いに見直されるのが確実のようだ。
 既に、『ワンダーウーマン3』の構想がDC映画の新たな指針と一致せず、キャンセルになった、という話も出ている。《DCEU》という枠組から離れた『ザ・バットマン』や『ジョーカー』の続篇については現時点で何かしらの方向転換を図るような話も聞こえてこないが、緩やかに繋がりあっていた他のシリーズがどう続くか、はかなり不透明になった。
 本篇も、もともと繋がっている『シャザム!』や、暗躍するアマンダ・ウォラーという人物が共通する『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』とのリンクが明示されている。しかしこの様子では、素直に続篇が製作されるかはだいぶ怪しいように思われる――まして、自身の演じるキャラクター、作品のスタンスに強いこだわりのあるドウェイン・ジョンソンが、《DCEU》の新たな枠組に囚われることを望む、とは考えにくいのだ。
 ならばいっそ、新体制での《DCEU》とはマルチヴァースのような関係性で、共通点を残しつつも別系統のシリーズという形を取ってくれれば、と思うが……いったいどうなることやら。


関連作品:
シャザム!
マン・オブ・スティール』/『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』/『スーサイド・スクワッド』/『ワンダーウーマン』/『ジャスティス・リーグ』/『アクアマン』/『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』/『ワンダーウーマン1984』/『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結
エスター』/『アンノウン(2011)』/『フライト・ゲーム』/『ロスト・バケーション』/『デュー・デート ~出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断~
ワイルド・スピード/スーパーコンボ』/『透明人間(2020)』/『オリエント急行殺人事件(2017)』/『マ・レイニーのブラックボトム』/『ザ・フォーリナー/復讐者』/『ミッション:インポッシブル/フォールアウト
ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』/『THE BATMAN-ザ・バットマン-』/『ジョーカー』/『オズの魔法使』/『続・夕陽のガンマン』/『ドクター・ストレンジ』/『ターミネーター2

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