有栖川有栖『日本扇の謎』

有栖川有栖『日本扇の謎』(Amazon.co.jp商品ページにリンク) 『日本扇の謎』
有栖川有栖
判型:新書判
レーベル:講談社ノベルス
版元:講談社
発行:2024年8月5日
isbn:9784065364215
価格:1540円
商品ページ:[amazon楽天BOOK☆WALKER(電子書籍)]
2025年7月7日読了

 洛北にある《玄武亭》と名付けられた邸宅で、画商の女性が殺害された。《玄武亭》では元の主であった日本画家・武光宝泉の次男・颯一が、7年近い空白ののち、2週間前に戻ってきたばかりだが、屍体と入れ替わるようにふたたび姿をくらませた。発見されたとき颯一は記憶を失っていたというが、行方不明の間に何があったのか、そして再度の失踪は事件と関係しているのか。犯罪社会学者・火村英生が煩悶の末に炙り出した真相とは――。

 1994年の『ロシア紅茶の謎』から始まった《国名シリーズ》30周年記念となる第11作は、往年の本格推理を愛好するひとなら口許が緩んでしまうタイトルである。これまでの傾向から、なっして内容的にまでエラリイ・クイーンを意識してはいない、と解っていても、ちょっとワクワクしてしまう。
 そういう意味では、正直に書くと、序盤は辛かった。ひたすら関係者への事情聴取が続き、なかなか事態が動かない。もちろん、記憶を失って帰ってきた次男の謎や、そもそもの被害者が発見された状況がいわゆる密室であった、など細かに興味を惹く要素は多々あるのだが、如何せんそこまでの尺が長く、倦んできてしまう。当方の事情で、なかなか読書に集中出来ない時期でもあったとは言い条、半分あたりに辿り着くまで随分と時間を費やしてしまったし、劇中時間でも数時間程度しか進んでいない――日付さえ変わっていなかったのだから、内心、いつまでかかるか不安になってしまった。
 しかし、章題で《急転》と記してからは本当に急転であり、読むスピードも上がった――こちらもあんまりダラダラと読んでいたら終わらない、ととりあえず一気に読む気持ちを固めたからでもあったが、実際、そこからはほんの数時間で読み終わっていた。時の流れが歪んだ気分である。
 そうして急転の末に辿り着く真相は、作中でいっているとおり、論理的、というより“辻褄が合う”という表現のほうが似つかわしいもので、事象を論理的に解体、再構築して明晰に明かされる爽快感を求めていると、やや据わりの悪い印象を受けるかもしれない。しかし、事象においてももちろん、心理的な伏線もしっかり張り巡らせた推理と真相は、確かに「これしかない」という腑に落ちる感覚をもたらすのは確かだ。そのうえで、言いようのない感情を読者にも呼び起こす。ほんの少し、ボタンを掛け違えなければ発生しなかった悲劇であり、ささやかな勇気の結果がこの物語であることに、切なさを覚える。
 本篇の導入は、メインとなる語り手・有栖川有栖が、新作のタイトルとして『日本扇の謎』に辿り着くが、相応しい内容が思いつかずに苦しむ、という、本当の作者が実際に陥ったのでは、と勘ぐりたくなる煩悶から始まる。試行錯誤の末に、京都へと当てのない取材に赴くところから、たまたま新たな“フィールドワーク”に赴くところだった火村に誘われ、事件に踏み込んでいく。
 語り手・有栖川のひと幕はただのきっかけに過ぎないようにも映るが、ただ、こうした物語が、語り手として事件を眺め、エピローグにおいて、自らの心の中で決着をつけていく過程に、情感を齎している。本篇のやるせなさに、ひとまずピリオドが打たれるのは、語り手・有栖川の視点があるからこそであり、それこそ書き手・有栖川有栖の持ち味の発露だと思う。
 個人的に、このタイトルを使うならば、もっと複雑で、かつ初期クイーンの快刀乱麻を断つが如き論理で魅せて欲しかった、という感想を持ってしまうが、30年を経てなおシリーズを繋いでいくこの著者ならではの魅力、安定した読み味と情感を称えた作品である。


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