『キャバレー(1972)』

TOHOシネマズ日本橋、エレベーター正面の壁面に掲示された『キャバレー(1972)』上映時の午前十時の映画祭12案内ポスター。
TOHOシネマズ日本橋、エレベーター正面の壁面に掲示された『キャバレー(1972)』上映時の午前十時の映画祭12案内ポスター。

原題:“Cabaret” / 原作戯曲:ジョー・マスタロフ / 監督&振付:ボブ・フォッシー / 脚本:ジェイ・アレン / 製作:サイ・フュアー / 撮影監督:ジェフリー・アンスワース / プロダクション・デザイナー:ロルフ・ツェヘトバウアー / 編集:デヴィッド・ブレザートン / 衣装:シャーロット・フレミング / 作曲:ジョン・カンダー / 作詞:フレッド・エブ / 編曲:ラルフ・バーンズ / 出演:ライザ・ミネリ、マイケル・ヨーク、ヘルムート・グリーム、ジョエル・グレイ、マリサ・ベレンソン、フリッツ・ウェッバー、ゲルト・ヴェスパーマン / 初公開時配給:20世紀フォックス
1972年アメリカ作品 / 上映時間:2時間4分 / 日本語字幕:?
1972年8月5日日本公開
午前十時の映画祭12(2022/04/01~2023/03/30開催)上映作品
2002年9月27日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video]
TOHOシネマズ日本橋にて初見(2023/2/4)


[粗筋]
 1931年、イギリス出身の青年ブライアン・ロバーツ(マイケル・ヨーク)は、哲学の博士号を得るためにベルリンへ渡った。安い住居を探して辿り着いた下宿で、サリー・ボールズ(ライザ・ミネリ)という女性と知り合う。
 サリーはいずれ女優となることを夢みながら、いまはキャバレー《キットカットクラブ》のステージに立ち続けている。遊び歩くことの多いサリーは、借りた部屋では英語講師の仕事がしづらい、というブライアンに、不在のあいだは自分の部屋を使うように勧める。生き方はまるで異なるふたりだが、妙に馬が合い、自然と親しくなっていった。
 それまで3人の女性と交際して、いずれも失敗に終わったブライアンは、秋波を送るサリーになびかず、友人関係を築こうとするが、しかしやがては惹かれ合い、恋人へと発展していった。
 にわかに輝きはじめたふたりの生活は、しかしサリーがマクシミリアン・フォン・ヒューナ(ヘルムート・グリーム)という若い男爵と知己を得たこと、そして時代の波そのものによって、大きな変化を余儀なくされていくのだった……


[感想]
 ミュージカルといえば、華やかな歌とダンスで物語を綴り、感情を揺さぶる、というのが普通のイメージだろう。予備知識をほとんど仕入れずに本篇を鑑賞した私自身、そういう気持ちで臨んだので、正直、やや戸惑い、そして驚かされた作品だった。
 通常のミュージカルなら、普通に交わされるような台詞もメロディに乗せ、舞台を大きく使ったダンスで感情を表現する。しかし本篇は、そういうくだりは実のところ、皆無に等しい。ブライアンやマクシミリアン=マックスといった登場人物は踊るどころか歌いもせず、普通のドラマのように物語を織りなしていく。本質的な主人公であるサリーもまた、彼らと絡むときに歌ったり踊ったりはしない。
 本篇のミュージカル的要素は、ほぼほぼ劇中のキャバレーにおけるステージに集約されている。どう見ても、劇中に登場するキャバレー《キットカットクラブ》にて演じられているショーそのもので、複雑なカット割りや、カメラを介するからこそ可能な特殊効果による演出は用いていない。実際には演出ごとにカットを変えている可能性もあるが、映画のかたちで見る限りは、ひと繋がりのステージを複数のカメラで追い、その一瞬ごとにいちばん見たい、見せたいカットに切り替えられている感覚だ。キャバレーという設定ならではのケバケバしさと露出をした衣裳のいかがわしさがミュージカルらしい華やかさを演出しているが、ドラマと地続きの感覚があるため、ミュージカル特有の不自然な印象はない。
 そして、描かれるドラマ自体も、極めてリアルだ。サリーは自由を、ブライアンは将来を、そしてマックスやフリッツ(フリッツ・ウェッパー)もまたそれぞれの理想や夢を求めようとしている。序盤はその昂揚感、浮ついた雰囲気が強いが、しかしそれぞれの理想や価値観の違いが、どうしようもないすれ違いを生み、胸を締め付けられるようなドラマに変貌していく。
 何よりも重いのは、1931年のベルリン、という舞台、時代背景のあまりにも大きな影響だ。序盤から少しずつ鏤められた描写に、登場人物は無頓着だが、歴史を知る多くの観客はその都度、穏やかでない気配を感じてしまう。そしてこの大きな時代のうねりは、サリー達の行動、決断にまで影響を及ぼし、取り返しのつかない姿へと変貌させていくのだ。
 監督はブロードウェイ・ミュージカルの傑作『シカゴ』のクリエイターとしても知られるボブ・フォッシーであり、それだけにミュージカルパートのクオリティは清めて高い。しかし本篇は、大方のミュージカルが持つ陽のイメージとは裏腹に、そのステージが鮮やかで華やかであればあるだけ、その向こうの空虚さ、闇の深さが際立つ構造になっている。物語の終盤には悲しい出来事が待っているが、しかしラストシーンが仄めかすものはより暗澹としており、ミュージカル映画としては類を観ないほどに不穏だ。
 恐らく、ミュージカル映画全般を愛好するひとにとって、そして普段そうしたものを観ないひとにとっても、決して望まれる作品ではないだろう。しかし、ミュージカルを“表現”の一手段として捉えたとき、そのポテンシャルを最大限に活かした傑作であることは間違いない。ミュージカル映画そのものが以前よりも撮られなくなっているが、『ラ・ラ・ランド』や『グレイテスト・ショーマン』など、その可能性を膨らませ、未来へと繋ぐような作品は断続的に生まれており、完全に消えることはないだろう。しかしそれでも、本篇のような作品はそう簡単には撮れない。2023年現在、配信でも映像ソフトでも容易に鑑賞出来ない状況だが、たぶん今後も語り継がれ、何らかのかたちで鑑賞され続ける作品である、と私は信じる。


関連作品:
オール・ザット・ジャズ』/『シカゴ
ロミオとジュリエット(1968)』/『ベニスに死す
カサブランカ』/『ティファニーで朝食を』/『ラ・ラ・ランド』/『グレイテスト・ショーマン』/『ディア・エヴァン・ハンセン
ソフィーの選択』/『ジョジョ・ラビット』/『異端の鳥』/『オードリー・ヘプバーン』/『ファイナルアカウント 第三帝国最後の証言

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