新型コロナの新規感染者の増加もだいぶ抑えられているのはまことに喜ばしい、んですが、そのぶん週末の人出が増えてきた。経済が回るのも大歓迎、とはいえ基本的に人混みそのものは苦手なので、出来ればあんましこの時期は出たくない……けど、この週末は観たい映画が数本封切られている。あんまし時期を探っていると観逃してしまう、というのは今年なんどもやらかしているので、私にとって利用しやすい午前中に上映している作品を選んで観に行くことに。
訪れたのは、TOHOシネマズシャンテ……しかし、チケットを買ってから、これは私の性分からは決して賢明な選択ではなかった、と気づきましたがもう遅い。
いくぶん戦々恐々としつつ、バイクにて現地入り。最安値のバイク駐車場の入口に《満》の字を見た瞬間、ちょっと暗澹としました。しかし、念のために中に入って確かめてみると、けっこう空いてる。4つくらいはスペースがあった。管理会社のミスか、私の見間違いか、いずれにせよ安心して駐車。
映画館のほうは、少なくとも私が訪れた時間帯にはさほど人が密集していない感じ。しかし、エレベーターに同乗したほかの階の客は、通常上映に来る客とは違う雰囲気を醸してました。どう言うべきか、素人っぽくない、で合ってるのか。目当ての作品じたいは、まあまあの人の入り。
鑑賞したのは、世界的に知られた童話を、カルロ・コッローディによる原点により近いイメージで実写映画化した『ほんとうのピノッキオ』(Happinet-Phantom Studios配給)。
実のところ私は、一般的なイメージの源になったディズニー版にもそれほど親しんだ覚えがなく、“嘘をつくと鼻が伸びる”というものすごーい大雑把なイメージしかなかったのです。だからそもそもそんなに固定観念はない、と思いつつ観たのですが――そもそもそのシーン自体が1箇所しかない、というのに驚いた。
思ったほど残酷な印象はないんですが、しかしピノッキオのやってることは確かに酷いし、展開はけっこう強烈。ピノッキオはいわば、大人が子供に対して軽率にイメージする無垢さではなく、本質のずる賢さを体現しているようです。自分の欲望に正直だし、己の行動がどんな影響を他人に及ぼすのか思慮が及ばない。他人を欺こうとする一方で、簡単に騙され傷ついたりもする。
ピノッキオが彷徨う世界そのものも、ちょっと現実とは違う。人形が自力で動いているのに誰も大して驚いてないし、妖精や知恵のある生き物が普通に跋扈している。頼りにならない鳥の医者に、恣意的すぎる猿の裁判官など、歪んだヴィジョンのつるべ打ちに目眩がしそうです。
正直、ストーリー的に綺麗な組み立てをしているわけではないので、やや退屈の感も否めないのですが、薄汚れて生々しい造形なのに不思議と美しい映像、そしてやたらと寓話的なヴィジョンの数々が心に残る。そして気づくと、物語同様、観ている者のなかでピノッキオは確かに“人間”になっている。人口に膾炙したピノッキオのイメージにはなかった寓話性、風刺性を奥底に秘めた、なかなかに忘れがたい作品。
空気感としては、ギレルモ・デル・トロ監督の作り出す雰囲気に近い――そういや、そのデル・トロ監督も、ストップモーションアニメーションでピノッキオを映画化したそうで、既にimdbのステータスは“Post-Production”になってるんですが、自身の作風に近い本篇のアプローチとどう差別化してるんだろうか、それともあえて意識せずに作っているのか。
鑑賞後は、またラーメンアベニューに立ち寄り、入っている3店舗のうち、まだ食べていなかった店舗のメニューで昼食を済ませる。帰りはいつものルートで……と思ったら、どうやら歩行者天国が始まっていたようで、途中が塞がれていたため、だいぶ迂回して家路に就きました。
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[…] 原題:“Pinocchio” / 原作:カルロ・コッローディ / 監督:マッテオ・ガローネ / 脚本:マッテオ・ガローネ、マッシモ・チェッケリーニ / […]
[…] 11月6日のレポート。 […]