きのうも触れたとおり、作業は続いております。しかし、それはそれとして、予め組んでしまったスケジュールがある。既にチケット代も払っているので、出かけてきました。まあ、連休中は出かける気はないし、心置きなく作業に集中するためにも。
行き先はTOHOシネマズ日本橋台風は温帯低気圧に変わったようですが、その影響と思われる朝からの雨模様。映画館のあるコレド室町と直結する路線で向かいます。
鑑賞したのはマーティン・スコセッシ監督1995年の作品、目利きの博労がその眼力を見込まれラスヴェガスのカジノの責任者としてのし上がるが、やがて絡み合う欲望によって翻弄されていく様を描く『カジノ(1995)』(ユニバーサル×UIP Japan初公開時配給)。
とにかくまあ情報量の多いこと。主人公のサムだけでなく盟友のニッキーもナレーターとなり、それぞれの立場から語りまくるので気が抜けません。確かに博打打ちとしての才覚は優れ、それ故にインチキを的確に見抜くことも出来るし、ただ設けたままで帰さない執拗さも利益を上げるのに役だったのは解る。
が、どー考えても、私情の入るところで選択を間違っている。ルールなどお構いなしのニッキーがラスヴェガスに移り好き勝手するのを抑えられず、一目惚れした相手がすんなりと心を許すと思い込んでドツボに嵌まる。どれほど大成しようと本質的には小物で、行動は妙に愚かで情けない。クライムドラマなんだけど、緊迫した笑劇みたいな印象もある。
序盤は畳みかけるようなナレーションで情報を詰め込んできて、ついて行けない、という気分になりますが、シビアで間の抜けたピンチや混乱の連続で惹き付けられ、ほぼ3時間の尺が長いと感じない。
スコセッシ監督はギャングを題材にした映画を幾つも撮ってても、決して同じにはならないようです。狂騒的で余韻は虚しく、滑稽だけど哲学めいたものも感じさせる作品でした。
まだ新宿で大つけ麺博を実施しているのに、あえて日本橋を選んだのは、毎度ながら老麺まるやが理由です。前回からあまり間隔は空いてませんが、この次がいつになるか解らないので、スケジュールを合わせて食べに行ってしまったわけです。どのみち大つけ麺博も今度の水曜日までで、いったん日本橋に河岸を戻すタイミングではあったし。
映画が終わって、日本橋ふくしま館に辿り着いたのは12時半近く、平日なら界隈のビジネスマンが列をなして待たされても不思議はない時間帯ですが、祝日、かつ悪天候という条件が重なったからか、席はまあまあ埋まっているけれど、ぽつぽつと空席はあったので、スムーズに入店できました。そして、平日ならもうとうに売り切れているはずのチャーシューメンもまだ残っていたので、嬉々として注文。実はここはチャーシューも好きなのです。
しかし、残念ながらお土産用は今日もなし。確認してみたところ、どうもまるやのご主人が荷物を持ってくる際、お土産用の賞味期限があまり長くない場合は置いてきてしまうらしい。やむなく今回は、ふくしま館ならレギュラーで置いている、別のお土産用ラーメンを買って帰りました。
TOHOシネマズ日本橋、エレベーター向かいの壁に掲示された『カジノ(1995)』上映当時の午前十時の映画祭14案内ポスター。
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