『ある天文学者の恋文』


『ある天文学者の恋文』Blu-ray版(Amazon.co.jp 商品ページにリンク)。

原題:“Correspondence” / 監督&脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ / 製作:イザベラ・コクッツァ、アルトゥーロ・パグリア、レイ・シネマ / 撮影監督:ファビオ・ザマリオン / プロダクション・デザイナー:マウリツィオ・サバティーニ / 衣裳:ジェンマ・マスカグニ / 編集:マッシモ・クアッリア / キャスティング:ジェレミー・ジマーマン / 音楽:エンニオ・モリコーネ / 出演:オルガ・キュリレンコ、ジェレミー・アイアンズ、ショーナ・マクドナルド、パオロ・カラブレージ、アンナ・サヴァ、イリーナ・カラ、サイモン・ジョンズ、ジェームズ・ウォレン、オスカー・サンダース / 配給&映像ソフト発売元:GAGA
2015年イタリア作品 / 上映時間:2時間2分 / 日本語字幕:松浦美奈
2016年9月22日日本公開
2017年4月4日映像ソフト日本盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
公式サイト : http://gaga.ne.jp/tenmongakusha/
TOHOシネマズシャンテにて初見(2016/9/28)


[粗筋]
 天文学を学んでいるエイミー・ライアン(オルガ・キュリレンコ)は、6年前に出会った教授のエド・(ジェレミー・アイアンズ)と恋仲になっていた。既に妻子のある身で、しかも世界的にその名を知られたエドは講演などで出張することも多く、会える時間はごく限られていたが、それでもエイミーは幸せだった。
 だが、その幸せは突然、予想もしないときに崩れ落ちる。エイミーがエドの死を知ったのは最後の逢瀬から3ヶ月ほど過ぎた頃、本来エドが行うはずだった講義の冒頭、代理で教壇に就いた教授の口からだった。
 エイミーは愕然とする。何故なら、つい先刻まで、エイミーはエドとビデオメッセージやメールのやり取りを重ねていたのだ。そして、エイミーがその死を知ったのちにも、エドから不意打ちのメッセージは繰り返し届いた。
 エドは先見の明のある人物だった。だから、エイミーの性格や、学生である彼女のスケジュールを把握しておけば、ある程度の細工は出来るだろう。そう承知していても、エドの行動はさながら今もエイミーを見守り続けている、と錯覚するほどだった。
 世間的にはその死が認知された人物との交流はそれからも繰り返し続いた――


TOHOシネマズシャンテが入っているビル外壁にあしらわれた『ある天文学者の恋文』キーヴィジュアル。
TOHOシネマズシャンテが入っているビル外壁にあしらわれた『ある天文学者の恋文』キーヴィジュアル。


[感想]
 ジュゼッペ・トルナトーレ監督の本来の資質というのは、ミステリ映画なのではなかろうか、とここ数年考えている。『題名のない子守唄』、『鑑定士と顔のない依頼人』という2作品は、映画ファンであるより前にミステリ愛好家であった私が唸らされるような企みに満ちた傑作であり、これらの作品を経て振り返ってみると、あまりに感動的な傑作『ニュー・シネマ・パラダイス』、そして『海の上のピアニスト』でさえ、その語りの根っこには“謎”と、それを解きほぐすカタルシスが埋め込まれていた。私はこれらと『マレーナ』を観ている程度で、監督の優秀な観客とは言えないが、しかしそれでもこうした作品の仕上がりを思えば、ミステリ的な趣向に対して意欲があり、見事に作品に組み込むことの出来る手腕を持ち合わせている、ということは断言していいだろう。
 それ故に、本篇の予告篇を観たとき、私はいやが上にも優れたミステリ映画を期待せずにはいられなかった。死後も届く天文学者からの通信、そこにはどんな意図があるのか? という、あまりにも魅力的な謎に惹かれ、どのような手捌きで解してくれるのか、楽しみにしていた。
 だが残念ながら、そういう意味では少々肩すかしだった、と言わざるを得ない。死んだはずの恋人から届くメッセージそれ自体に謎はなく、中盤、ある展開からヒロインのエイミーが余儀なくされる謎解きも、ちゃんと描写を追っていればすぐに察しがつく。聡明な彼女がそこを見落としているのが不審に思えるくらいで、前述した『題名のない子守唄』や『鑑定士と顔のない依頼人』と比較すると、鮮やかな謎解きとは言いがたい。
 だが、“謎”をテーマに、極めて理知的な語り口を保ちながら、かくもロマンティックな物語に仕立ててしまったことには唸らされる。
 本篇は、提示された要素ひとつひとつが象徴として実に巧みに絡み合っている。メッセージを遺す側が天文学者であり、主人公となるその恋人がやはり天文学を専攻する学生であること。そんな彼女が恋人から《カミカゼ》と呼ばれていることや、更にはそれぞれの家族の存在までもが、複雑に絡み合いながら、ふたりの関係性やその変化を象徴していく。
 劇中で実際にこう語る人物がいるとおり、こんな風にひとを愛する者はそうそういない。この物語における天文学者の試行錯誤と努力は、想像を絶するレベルだ。このために彼がどれほどの思考を巡らせ、どれほどの準備をし、どれほどの忍耐と苦悩を自らに強いたのか、考えるだに凄まじい。“重すぎる”と切り捨てたくもなるが、それさえも計算の中に加えて、恋人に寄り添おうとした愛情だけは疑うべくもない。
 そして、それを受け止める側の苦悩もまた本篇は繊細に描き出す。自分は受信するばかりで、もはやメッセージを返す術のない相手に翻弄され、苛立ち、感情を露わにする。しかし、乗り越えられないものを受容したとき、本来ならばあり得ない“交流”が両者のあいだに結ばれていく。ふたつの時間も場所も隔てた想いが繋がり、共鳴しあうさまは切なくも麗しい。
 本篇が描くのは、あるひとつの愛の、あまりにも長い時間を費やした終幕だ。だがそれと同時に、その愛は滅びることでまた新たなメッセージを遺された者、更には観客へと放つ。その様子はまさしく超新星のようだ。
 メールにスマートフォン、デジタルビデオカメラといった近代的なガジェット、趣向を駆使し、極めて理知的に描かれながらも、その底には確かな情が流れている。こちらが期待しような“謎解き”ではなかったが、大いなる謎をトリガーに、胸に深い余韻を残す秀麗なロマンスである。

 本篇の感想を棚上げにしているあいだに、『ニュー・シネマ・パラダイス』から繰り返しジュゼッペ・トルナトーレ監督と組んできた映画音楽の名匠エンニオ・モリコーネが亡くなった。この名コンビ最後のコラボレーションとしては全篇に軽さを感じる作品ではあるのだが、もったいぶることなく、作品の主題に寄り添うその仕上がりこそ、理想的なパートナーシップの象徴であるようにも思える。
 実はモリコーネ存命の段階から、トルナトーレ監督は新作として、モリコーネを扱ったドキュメンタリーを準備していたという。これを書いている現時点で発表には至っていないが、恐らく2021年には完成し、いずれ日本にも届くことと思う。
 時を隔てて、監督から音楽家へと届けられるラブコールを目の当たりにしたとき、もしかしたら私は他の傑作よりも先に本篇のことを思い浮かべてしまうかも知れない――もう届くはずのないひとに捧げるメッセージ、という主題はたぶん繋がっているはずだから。


関連作品:
ニュー・シネマ・パラダイス』/『海の上のピアニスト 4Kデジタル修復版』/『マレーナ』/『題名のない子守唄』/『鑑定士と顔のない依頼人
マージン・コール』/『オブリビオン』/『ディセント』/『スナッチ(2000)
ある日どこかで』/『エターナル・サンシャイン』/『インターステラー』/『君の名は。

コメント

タイトルとURLをコピーしました