新宿シネマカリテ、ロビーにある水槽を中心にした『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』の展示。
原題:“The Death of Dick Long” / 監督:ダニエル・シャイナート / 脚本:ビリー・チュー / 製作:ダニエル・シャイナート、メロディー・シスク、ジョナサン・ワン / 撮影監督:アシュリー・コナー / プロダクション・デザイナー:アリ・ルビンフェルド / 編集:ポール・ロジャーズ / 衣装:レイチェル・ストリングフェロー / 音楽:アンディ・ハル、ロバート・マクドウェル / 出演:マイケル・アボット・Jr.、ヴァージニア・ニューコム、アンドレ・ハイランド、サラ・ベイカー、ジェス・ワイクスラー、ポッピー・カニンガム、ロイ・ウッド・Jr.、スニータ・マニ、ジャニール・コクラン、クリストファー・キャンベル、ダニエル・シャイナート / 配給:PHANTOM FILM
2019年アメリカ作品 / 上映時間:1時間40分 / 日本語字幕:佐藤恵子 / PG12
2020年8月7日日本公開
公式サイト : http://phantom-film.com/dicklong-movie/
新宿シネマカリテにて初見(2020/08/11)
[粗筋]
ジーク・オルセン(マイケル・アボット・Jr.)とアール・ウェイス(アンドレ・ハイランド)、ディック・ロング(ダニエル・シャイナート)の3人は《ピンク・フロイト》というバンドを組んでいた。休日は練習と称してジークの家に集まり、家族が寝静まったあとで羽目を外すのが楽しみだった。
しかしその夜、想定外の事態が起きる。大怪我を負ったディックを、ジークとアールは車で運び、街道沿いの救急病院の前に置き去りにした。決して顔を見られるわけにはいかなかった。友人の無事を願いながら、ふたりは家に戻っていった。
その頃、スペンサー保安官(ジャニール・コクラン)は、救急病院のリクター医師(ロイ・ウッド・Jr.)から呼び出されていた。早朝、入口の前に放置されていた患者が、もはや手の施しようもなく息絶えた。遺体には惨い損傷があり、殺人の可能性が考えられた。保安官は部下のダドリー(サラ・ベイカー)の手も借りて調査に乗り出した。
病院での出来事を知るよしもなく、狂乱の一夜を乗り越えたジークは、ベッドに横たわった矢先に、妻のリディア(ヴァージニア・ニューコム)に娘のシンシア(ポッピー・カニンガム)を学校に送るよう頼まれる。自動車の準備をしようとしたジークは、ディックを乗せていた後部座席が血まみれになっていることに気づき、蒼白になる。とりあえずシーツを敷いて凌ごうとしたが、それでは済まなかった。
独り者のアールは、街を離れるつもりでトラックの荷台に荷物を詰め込んだうえで、とりあえず職場に顔を出していた。そこへ、困り果てたジークから電話がかかってくる。やむなくアールは職場を早退し、“後始末”を手伝うことにした――
[感想]
……観終わってすぐに「感想、どうやって書こう」と頭を抱えてしまった。
少々大袈裟に書いたが、心情的にはそれに近い。これは非常に説明しにくい。色んな意味で、未見のひとに面白さを説明するのも、タチの悪さを解ってもらうのもだいぶ厄介だ。
ミステリっぽい題名にやはり謎めいた導入、そして“深堀厳禁”(公式サイトにも劇場内の展示物にもこう書いてあった)という奇妙な宣伝文句が否応なしに興味を惹くが、それによって喚起された好奇心が、正しく満たされることはたぶん、ない。終始違和感を抱き続け、終盤に至って「バカにしてんのかおらぁ」と一時的に荒くれになってしまうひとがいても当然だと思う。
しかし、では出来の悪い作品なのか、と問われれば、私は自信を持って否定する。その仕掛けは悪意さえ感じるほどに大胆だが、描写や構成は驚くほどに繊細だ。
本篇の実質的な主人公であるジークと、彼を手助けする友人アールはいずれも、はっきり言って思慮の浅い愚か者だ。緊急事態に動揺し、何とか対処しようとするが、目配りが甘く、いちいち新たなトラブルに遭遇する。もうちょっと考えれば、予め調べておけばいいようなことを毎回のように見落としていて、およそ犯罪者に向いていない。
しかし、ふたりとも間違いなく悪人ではないのだ。焦りが困じて態度が荒々しくなる場面もあるが、すぐに反省して謝罪してしまう。観ていてまったく憎めない。それだけ根が善良ならいっそのことさっさと告白してしまえばいいのに、とさえ思うが、その秘密の性質故に、急場しのぎの言動に自分が追い込まれていく。
本篇の巧みさは、警察や周囲のひとびと、それぞれが情報を得ていくタイミングが絶妙に計算されている点だ。救急病院からの通報で早々にディック・ロングの状態を確認しただけでなく、ある事情から警察は早いうちにジークと接点を生じるのだが、お互いの情報量の違い故に生じるヒリヒリとした緊張感と、一種コントめいた空気感が面白い。それでいて、その細かなやり取りがのちのちに新たな展開を生んでいくのだ。観ている側はただただ苦笑いしながら眺めているのだが、そのタイミングの巧さに気づくと、脱帽せざるを得ない。
この作品、主人公たちに限らず、みな基本的に普通のひとだが、それぞれに不自然さがなく、適度に個性が立っている。保安官は高齢の女性で、如何にも事件の少ない田舎町らしい鷹揚とした捜査姿勢だが、最初から何か勘づいているような節を窺わせる。その貫禄や、部下に対する采配ぶりが、いわゆる謎解き映画とは一線を画すものの、妙に説得力がある。早い段階からジークと接点を持ち色々とニアミスする部下のダドリーは、この上司と比較すると凡庸だが、一方で同性婚をして一家の稼ぎ頭として振る舞っている、というのがユニークだ。突然に担ぎ込まれた変死者と、その検視の過程で判明した事実に困惑しきりの医師でさえも一種の愛嬌がある。
出色はやはりジークの妻、リディアだろう。本篇のキーヴィジュアルには、真相を知って衝撃を受ける彼女の表情が用いられているが、彼女のリアクションは終始リアルで印象深い。夫の不自然な行動に疑いを抱きつつも話を合わせたかと思えば、真実を知らされた途端に激しく夫を罵り、でも少し落ち着くと冷静に夫の怪我を処置したり、関わってきた第三者に対して心配りを見せる。支離滅裂のようでいて、想像もしなかった出来事に動揺し、その都度立て直そうとする、いい意味での“普通さ”がこの作品では見事にスパイスになっている。
物語は紆余曲折を経て、ある意味では当然のところに着地するが、そこである人物が見せる“配慮”もまたリアルだ。とんでもない着想から生まれた作品であるのは確かだが、本篇はそのなかにきちんと常識感覚が根付いている。そして、だからこそ馬鹿馬鹿しく、情けなくて、それでいて愛おしい物語となっている。
たぶんタイトルや宣伝文句から期待した知的興奮やスリルは得られない。しかしその代わり、このシチュエーションだからこその言いようのない情感が味わえる。いちおう反省してるっぽいけど、こいつらまたどこかで似たような馬鹿をしでかしそうだな、という予感を称えた終幕にはまたぞろ苦笑いが湧いてくるが、それでも彼らを憎むことは出来ない。実に愛すべきひとびとであり、作品なのだ――でも鑑賞するなり激怒するひとがいても不思議じゃないけどね。だから、楽しめる、という保証はしません、絶対に。
関連作品:
『ラビング 愛という名前のふたり』/『ムーンライト・マイル』
『パルプ・フィクション』/『ファーゴ』/『オープン・ウォーター』/『85ミニッツ PVC-1 余命85分』/『告発のとき』/『ディア・ドクター』//『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』/『サバービコン 仮面を被った街』/『パラサイト 半地下の家族』
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