年の瀬が押し詰まってもまだドラマを観ている……ドラマ、と言っていいのかこれ。
テレ東の大森時生プロデューサーが様々な分野で活動するホラー・クリエイターとともに繰り出すフェイク・ドキュメンタリー作品、『イシナガキクエを探しています』に続く第2弾。この年の瀬に、23日深夜から連日、放送されてました。こういう試みは好きなので、今回もしっかり鑑賞してます……月・火は、リアルタイムではラジオを聴きながらだったので、パニックに陥ったけどね。録画もしてたし、しばらくはTVerで配信されているようなので、観逃した方はそちらをチェック。『イシナガキクエ~』も再配信されてるよ。
この作品は、とにかく序盤、どこへ導かれるか解らない薄気味悪さが堪らない。一方で、そこに惹かれないと、特に第1回あたりはかつてのスタッフを数珠つなぎにした取材をダラダラと見せられている感があって、のめり込めないかも知れない。
しかし、第1回で引用される、2004年放送された(という設定の)『飯沼一家に謝罪します』のなかでは解らない、儀式の様子が解ってくると、どんどんオカルトの気配が増してくる。そして第2回、第3回ではそれぞれ衝撃的な事実が提示され、巧みに次回へと惹きつけてしまう。内容的にもさることながら、構成の妙がいい。
かなり期待を膨らませて臨む第4回、たぶん漫然と見ていたら、終盤は「なんだか危険な事実が判明しかかっている」という不安と怖さは掻き立てられるものの、その正体がなんなのか解らない。そういう方は、もし録画しているのならば録画で、放送からまだ間もない段階であればTVerにて、序盤のエピソードを観直していただきたい。最後、何故“あれ”がことさらにクローズアップされたのかに気づきます。そして、慄然とする。
けっこう色々な謎は残されてます。あの人物は、あの映像のあと何が起き、現在はどうなっているのか。八代教授が償いのために行った“四十九日の裁き”とは何なのか。ラストシーン、カメラの前に立つその人は、いったい何をした結果、あの言葉を吐いたのか。本当に危険な“闇”は、踏み込めないところにあって、それを視聴者の想像に委ねるからこそ、余計に恐ろしい。
たぶんこのシリーズに携わるため『呪いの黙示録』の演出を退いたと思われる寺内康太郎はこの作品においては演出のひとりとして名前を連ねていますが、本篇にはこの方の作家性を強く感じます。置き土産にしたような大傑作『呪いの黙示録 第九章』とも通じる、オカルトという療育の深みに嵌まり込む危険性を訴えた傑作。正直、その怖さをちゃんとくみ取れずに腐すひとも少なくないんじゃないかな、と危惧する一方で、これが民放では異端のテレ東とはいえ、地上波で放送されているって、なかなか凄いことだと思う。
年末年始、オカルト分が足りない、少しヒリヒリした感覚を味わいたい、という方は、時間を見つけて鑑賞してください。出来れば、個々のエピソードの情報が薄れないよう、4本立て続けに。そうすれば、きっと結末に慄然とします。
……それにしても、年末年始って、おめでたい内容とか雰囲気の番組が多すぎる反動なのか、意外とこういう、急に背筋を指でなぞるような番組が紛れてるのよね。フジテレビ系列の『世界で一番怖い答え』も、年末年始の時期がハマってる印象で、今年も年末に控えてるし、TOKYO MXなんて、大晦日の夕方に『劇場版 呪怨』を、死者が出るたびYouTubeのリアルタイム配信にて、僧侶が読経する、なんてイカれたことやってるし。
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